episode7-5

 午後二時二七分、X県・滝山市にて。

 予定されていた一日分の検査が終わり、隆一は病院から抜け出て、水木と名乗る看護師から教えられた雑貨屋に向かっていた。理由は、竜ヶ森クロエへ贈るプレゼントを選ぶためである。父親から外出の了解を得るまでその存在を忘れており、【水龍】や白髪の女と接触しないかとても不安だが、取り敢えず、彼女たちが上手くやってくれることを信じて向かうことにした。

「えーっと、かみずかみず。……げっ、遠くね?」

 道の脇で立ち止まって携帯をポケットから取り出す。“かみず”とは現在隆一が向かっている雑貨屋のことで、病院から約七〇〇メートル先にあるとのこと。

 看護師は病院からそう遠くない所と言っていたが、七〇〇メートルは一般的に近いの範疇に入るものなのだろうか、などとしょうもないことを考えつつ、隆一は再び歩を進め始めた。途中、自転車に乗った子どもたちが彼の脇を通り過ぎていく。

「子どもは元気だなあ……。まあ、それが一番だよな」

 ぼやいていると、“かみず”という看板が掲げられた、店舗兼自宅と思われる建築物が見えてくる。建物そのものは年季の入った様相をしているが、古臭い、ぼろいといった印象を受けないのは、比較的最近に改築が行われているからであろう。それは一種のカフェのようにも見え、今にもコーヒーの芳しい香りがしてきそうだ。

 目的地が見えたせいか隆一の歩みも自然と速くなり、すぐに店の前に着いた。しかし、

「うおっ!」

 “かみず”から出てきた人物と危うくぶつかりそうになってしまう。

 接触しそうになるのを回避するために、隆一は思わず背中をのけ反らせてしまった。そして、そのまま勢いよく背中から転び、受け身を捕れないまま尻を強く打ち付けてしまう。

「大丈夫かな」

 店から出てきた三〇代半ばの男が隆一に対して手を差し伸べてくる。しかし、男の恰好は本当に目の前の雑貨屋から出てきたのか迷う程度には、似つかわしくない服装であった。

 彼の不健康な肌色と対照的に、よくアイロンがけされた皺ひとつないグレーのスーツの上に、同じく皺のない新品同様の白衣を羽織っている。そして、服からは嗅ぎなれない独特な薬品臭を漂わせており、隆一に対して長時間吸うことを本能的に拒否させた。

「ああいえ、大丈夫です」

 目の前が非現実的に見えたのか、隆一は彼の手を取る前に思わず目を擦ってしまう。目を擦った後の手で男の手を取るのは申し訳なかったため、そのまま立ち上がる。それと同時に半歩だけ距離を取る。

「御当主、お約束のお時間が迫っています」

 白衣の男の後ろから出てきた人物を見て、再び隆一が目を擦る。しかし、現実である。

 後ろから出てきたのはメイド服を着た女であった。頻りに時計と手帳を見ている。

 身に着けているメイド服は装飾が少ないロングスカートタイプ、仕事着という表現が適しているだろう。化粧で多少は若く見えるものの、よくて三〇代前半。頭髪を脱色して白色になっていてやや見苦しいが、目鼻立ちは整っているため軽減されている。しかし、目頭が切開された跡を始めとして幾らか手を加えられた形跡が残っており、化粧はこれらを隠すことも目的として施されているのだろう。

 その顔立ちに既視感を覚える隆一。それはつい先程出会った白髪の女に似通っていた。とはいえ、異世界の住人である彼女と目の前の二人組が重なる理由が見つからない以上は、単なる偶然でしかない。彼はそう納得することにした。

「解っている。では」

軽い会釈をして、白衣の男とメイドが“かみず”から遠ざかっていとく。

 隆一は彼らの背中が見えなくなるまでずっと見つめていた。そうしているうちに“かみず”には次なる客が入っていた。その後に続くように彼もまた店内へと入っていく。





「へえ……」

 焚火のように柔らかな橙色の照明に照らされて、棚や机に並べられた商品たちがその魅力を振りまいてくる。それらはペンダントといったアクセサリーからぬいぐるみまで多種多様だが、どれも手作りで作ったような暖かみがあり、店主のこだわりを感じさせる。店内の雰囲気とも噛み合っていて、どれ一つとして調和を乱すものはない。それは店員の服装でさえ同様だった。加えて、店内にいる他の客は女性ばかりであったため、異物感を覚えた隆一は若干気後れする。

「ふぅぅ……」

 店内は冷房が効いていて、身体の奥から全身に奔る熱気を感じ取れる。

 取り敢えず、隆一はポケットから取り出したハンカチで額から垂れ落ちてくる汗を拭きとることにした。何時になく夏日だったせいか、布は多量の水気を含み、しっとりする。

 その皺ひとつないハンカチは見るからにブランド物で、隆一の育ちの良さ、いや、家柄の良さを感じさせた。それと同時に、こういった店に不慣れそうな雰囲気を漂わせていることもあり、店員が愛想笑いを浮かべながら近づいてくるのは必然と言えた。

「いらっしゃいませぇ。本日はどんなご用件で?」

「ええ、ちょっと……その、プレゼントを選びに」

 優男、という表現が似合うだろうか。胸から下げるプレートを見ると“かみず”の店主であることが分かる。見る限りニ〇代後半といったところで、顔立ちは普通よりもやや良いものの、取り立てて良いというわけでもない。しかし、髪型は雑誌の表紙を飾る若手俳優がするような髪をしているため、雰囲気はイケメンらしさを漂わせている。背丈もあり、モデル程ではないがすらっとしていることを考慮すれば学生時代はさぞモテたことだろう。

 店主は経験と勘から、間違いなく目の前の男は女へのプレゼントを買いに来たと思った。絶対的な自信と確信を以ってそう言える。

「よろしければぁ、ご一緒に選びませんかぁ?」

「あぁそうですねぇ。あまりこういう店に来たことがないので、助かるんですけど……」

 隆一が困ったような笑顔を浮かべる。同時に踏ん切りがつかないといった様子を醸し出しており、それは自身のセンスに自信はないが、自分が選んだという確信を得られるものをプレゼントしたいという気持ちがあったからという思いがあってのことだった。しかし、その考えはだんだん揺らぎ始めている。

 店主もその揺らぎを見逃すはずがなかった。経験から、あと一押し声を掛ければ落ちると見当をつける。何としてでも高く良いものを買わせる。そのためにはどんな労力でも惜しまない、そういった気概を瞳から感じさせた。

「初めてのプレゼントってぇ、やっぱり大事ですよねえ。付き合いたてとか、付き合う前のプレゼントってもう絶対って言っていいくらい一生の宝物になるんですよねえ、うぅん。そうなるとぉ、やっぱりなるべくいいものを選びたいじゃあないですかぁ。だからぁ、そのお手伝いをさせていただきたいんですけどぉ」

 客観的にはっきりと言えば、ややトーンを上げ、若干鼻に掛かった声が堪忍袋の緒を切りに来ているとしか思えないものであった。しかし、言っていることそのものには一理あると感じさせる。やがて隆一はこうして悩んでいる時間すらも惜しいと感じたため、

「そうですね、よろしくお願いします」

「ぁりがとうぅござぁいまぁす!」





 それから優に一時間は超える時間が経過し、

「……美味しいですね」

「でしょう? こう見えて、結構お茶にはこだわりがあるんだよねぇ」

 隆一と店主、上沢堅志は店の奥にある家屋の客間で紅茶を飲んでいた。

 そうなった理由を簡単に表すなら、プレゼント選びに時間を掛け過ぎて、選び終わる頃にはフルマラソンを走り切った後のような達成感を共有した。そして、上沢がお茶でも飲まないか、と誘ってきたため隆一はそれに乗ったのである。

「こう……何ていうか、温かいんですよね。いや、実際の温度とかじゃあなくて、胸の奥そこに響いてくるような温かさっていうか。もう茶葉から違いますよね! もう専門店とかで選んできたやつですか、美味しすぎて外国から取り寄せた感じしますもん!」

「……実は近所のスーパーで買った高いやつをただ適当に淹れただけなんだけど」

 なんてこった――――

 何とも言えない気まずい雰囲気になってしまった。

 コーヒーと違って、紅茶には明るくない隆一であったが、人前でいい恰好をしたいという考えを持ってしまったばかりに、楽しいお茶会をお通夜のようにしてしまう。一体ここからどう挽回するか、隆一は手にじっとりと冷たい汗を掻きながら思考を巡らせる。

 そこへ、

「店長ー。お客さんでーす」

 隆一の後方、やや開いたドアの方から女店員の声が聞こえてくる。

 それを聞いた上沢はぽかんと口を開いた後、何かを考える。

「ん? 今日のお客は終わったはずなんだけどなぁ? まあ、いっか。通してぇー!」

 しばらくして、ゆっくりと重い足音が扉の方へと近づいてくる。その足音は隆一にとって聞き覚えがあるものであったため、若干身体を後方に傾けつつ、砂糖の入っていない紅い液体を口に運ぶ。そうしている間にも、足音の主はどんどん距離を縮めてくる。そして、

「どうも、お久し」

「東藤さん!?」

 客間に入ってきたのは東藤であった。彼は現在ズボンとネクタイを外したシャツといった、ラフな姿をしており、額からは玉のような汗を滝のように流している。隆一は予想外の人物に出会ったせいか、紅茶を噴き出し、目に見えて驚いていた。それは東藤も同様で、目を丸くして驚いている。

「何でお前ここにい」

 しかし、東藤の声は何かが割れる音と水がぶちまけられる音によって遮られた。隆一は慌てて音がした後ろの方を向く。そこでは、上沢が見たこともないような鬼気迫る表情を浮かべており、東藤に対して複雑な感情を抱いていることは素人目にも分かる。再び、東藤の方を向くと、何度も瞬きをして上沢を注視している。

「あの、お二人は何か……」

 隆一が詮索しようとした、その時。

 上沢が食卓を強く叩いて、強制的に会話を終了させた。

「ごめぇん! ちょっと用事を思い出したので、返って頂けますか? 刑事さんも」

「いや、私はもう刑事では」

「帰れ!!!」

 上沢の怒声によって表の店すらも静まり返る。

「……それでは日を改めて、また」

 あまりの剣幕に東藤や隆一でさえも、上沢の言うままに店を後にするのだった。

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