episode6-6 黒との邂逅
光金製薬本社ビル・社長室にて。
見晴らしの良い二〇階建てのビル、その最上階で、椿姫は大勢の人間に囲まれながら、社長の金光と紅茶を飲んでいた。
「良いだろう? 地元で作った和紅茶というものは。心から洗われていくようじゃあないか。とてもいい……。質問をしよう、私はこの土地が好きだ。キミは好きかね?」
「ええまあ、嫌いではないですけど」
部屋に入って以降、大物らしい言葉遣いと振る舞いをする金光は、したり顔を浮かべて椿姫に質問をした。恐らく、部下の前で情けない姿を見せたくない種類の人間なのだろう。
周囲を取り囲んでいる人間は全員が武器を忍ばせていたが、椿姫は冷静な思考を行うことが出来た。【水龍】のように異形の力を持っているわけではない、普通の人間。加えて、武器を持っていることを気取られる辺り、プロの殺し屋という訳でもない。あるいは、プロの中でも三流なのだろう。
「キミの名前は確か……そう、滝上さんだったねえ」
「知ってましたか。一応、“客人”ですから、知っていてもおかしくないですよね」
「滝上家。古くからこの土地を空想上の化物から守ってきたという逸話を持つ家だったか。“滝之上幻獣奇譚”、ここの住人なら誰でも知っていることだ、絵本にもなっているしね。そして、皆これを作り話だと思っていた。私も、この案件に手を出すまではその一人だったよ。地元に帰ってこの会社を作らなければ、知ることもなかったことなんだろう、本当に人生とは奇妙だよ」
「話が長いですね。貴方がしたいことは何ですか? この和紅茶に毒を入れていないってことは、ただ始末をするだけではないんですよね? 地下では聞きたいことがあると言っていましたし」
しびれを切らした椿姫が金光に食ってかかる。
しかし、金光は周りに配下の人間を置いている安心感のためか、全く動じていない。
「毒を入れていないって、なんでそう思うんだい?」
「私、そういうの判ってしまうんです。なんとなくってやつですけど。あと、話を逸らさないでいただけると助かるんですが」
「聞きたいことと言っても、特にはないのだよ。ここに来た目的など、大方あの施設を探し出すことだろうしねえ」
「それと、検挙です」
「そうそう、検挙。ん?」
「ん?」
「んんんんん!? 検挙!? キミは今、検挙と言ったのかね!」
「ええ、言いましたけど。ああ、逮捕と言った方が解りやすいですか?」
「言い直さんでも、そういうニュアンスだということは分かっておるわ! 物事というのは大体で伝われば十分なんじゃ! あんまり細かいことを気にしていると禿げるぞ! 若い頃の私のようにな!」
金光は落ち着いた物腰とともに、優雅に持っていたティーカップを荒々しくテーブルに置くと、物凄い剣幕で椿姫に詰め寄る。
意趣返しと言わんばかりに、椿姫はすっとぼけた態度になる。
「あと正確言えば、私たち別に警察ではないんですけど。化物関連の対処を専門でやる、警察みたいな組織というのが一番イメージしやすいので、まあ説明する時にはそう言ってますね」
「そういった説明もいらん! 聞いとらんわ! なんで検挙のことを早く言わなかったんだね! 全く、ほうれん草がなっとらんぞ! 社会に出たら大事だぞ! 大事!」
「いや、知っていてこの余裕だと思っていたんですが……。あと、この近くで味方がすぐに突入出来る状態で待機していることも伝えておきます」
「はあああああああああああああ! げほっげほぉ」
叫び過ぎたのか金光はむせる。そして、慌てて手で口元を覆う。
それは椿姫への配慮だったのだろうか。それとも反射的なものだろうか。いずれにせよ、唾を吹きかけられなかったことにほっとした椿姫であった。
「はあ、この歳になってからすぐに気管に入るようになって……ああ、すまない」
慌てて駆け寄ってきた秘書らしき男から渡された水を、ゆっくりと飲み始める金光。
その様子を椿姫は不思議そうな顔でじっと見つめていた。そしてぽつりと言葉を漏らす。
「随分と慕われているんですね」
「そうだろうか……慕われている、か」
「貴方みたいな人が、何故こんなことに手を出したんですか」
「! そうだ。私たちはこんなところで止まっているわけではないのだ! 者ども! 出合え! 出合え! 勝てばいいのだ! この不届き者どもを消せば全ては解決する! 我々に平和が訪れるのだ!」
金光ははっとすると、既に出合っている配下たちを椿姫に差し向ける。金光の言葉に後押しされたかのように、配下の人間たちが慌てて銃口を椿姫へと向け、詰め寄っていく。
背後に下がり、距離を取ろうとする椿姫であったが、後ろには窓ガラスや金光が使用していると見られる高級そうなデスクしかなく、逃げ道になりそうな場所は見当たらない。
「こんなことをしても、何にもなりませんよ! もう貴方たちは終わりなんです! 私たちに目を付けられた時点で、もう終わっているんですよ! っ!」
慌てて周囲の人間を宥める椿姫だったが、興奮状態のためか全く耳に入っていないようだった。加えて、椿姫の視界に映ったモノが彼女の動きを止めてしまう。
それは、闇よりも黒い甲殻に包まれた肉体を持ち、血よりも紅い単眼を持つ一体の異形。 兄、隆一が報告していた、【幻祖六柱】と呼ばれる幻獣の中の上位種の一体、【疾風】であると、椿姫はすぐに思い出した。それも無理はない、【疾風】の出で立ちは、異形に姿を変えた時の兄と酷似しているからだ。
「っ! まだいたんですか?」
「この方は意思疎通は出来ないが、結構融通が利いてねえ! 中々役に立ってくれているよ! 時々どっかに行ってしまうところが玉に瑕だけどねえ! ささっ先生! まずはあの小娘からやってしまってくだせえ!」
虎の威を借りた金光は、鼻の穴を広げながらそう言った。
「……」
しかし、金光の思惑とは裏腹に、【疾風】は部屋の隅に佇み、静観を決め込む。
金光は思い通りにならず、落胆の色を見せたが、すぐに元気を取り戻し、
「ええい! 先生の手を借りんでも、数はこちらの方が上! やってしまえぇい!」
乗りに乗った金光の勢いはとどまることがなく、何処からともなく取り出した扇子で椿姫を指し、配下の人間たちを煽る。
「っ」
幾つもの銃口を向けられ、息を呑む椿姫。
残された時間は後僅かだ。
「はあ、はあ……! 見えてきた」
人混みの中を掻き分けながら、隆一は街の中を疾走していた。その視界に映っているのは二〇階建ての白を基調としたビル。最上階付近の白い壁にはロゴが入っており、そこには大きく光金製薬と描かれていた。
あれだ……! あそこに椿姫がいる! ――――
白銀の長髪を持った女が指した光金製薬のビル。何故そこに椿姫がいるのか、確固たる証拠や理由すらはない。だが、妹がそこにいるという確信だけはあった。
最早、彼の中に疑念などなく、ただそびえ立つ巨塔へ向けて走る。距離が縮まるごとに、巨塔は彼の視界を占拠していく。しかし、それと同時に、門の付近に立っていた警備員らしき二人の人間の姿も見えてくる。
それは警備員たちにとっても同じことで、自分たちのいる場所に走りこんでくる謎の人物の存在に気づき、警戒する。しかし、それが齢二〇に満たない青年であることが分かると、やや警戒を緩め、警備員の一人が話しかける。
「そこの君、何か用事かい? 今日は創業記念式典があって、関係者以外は招待状がなければ入れないんだ。中にご家族でもいるのかな? 呼ぶこともできるが……」
警備員の男の対応は丁寧かつ強かだった。焦っている隆一を落ち着かせるために、ゆっくりと優しい話し方をしつつ、中に入らせないように門の真ん中を陣取る。
無理やり退けるわけにもいかず、隆一は警備員の前に立ち、息を荒げながら話を始める。
「あの! この建物の中にいる滝上椿姫と話がしたいんです! ああっと俺はその子の兄で……携帯の電源が切れてて、ここに来て……えっと、緊急の用事があるんです! どうしても今すぐ会いたいんです! 中に通してもらうことは出来ませんか!?」
「まあ、まあ落ち着きなさい。今すぐ中と連絡を取るから、一旦深呼吸しよう。ね?」
思いつく言葉を次々とぶつける隆一に、困惑を隠せない警備員は、もう一人に急かすような視線を浴びせて内線のある小屋に向かわせると、隆一を落ち着かせる事に専念する。
だが、隆一にとっては無意味であった。むしろ、目的地の目の前で足止めを食らっている事に歯がゆさを覚え、さらに焦りを募らせていく。
そこへ、
「すみませーん! 息子がご迷惑をお掛けしましたぁー! それじゃあ! 行くわよ!」
「ぐええっ」
「ああちょっと! 行っちゃった」
突然聞きなれない中年女性の声が背後から聞こえてきたと思うと、首根っこを掴んで何処かへ引っ張られる隆一。その有無を言わせない勢いは相当なもので、あっという間に門から距離を取り、街の雑踏に消えていく。
光金製薬から少し離れた路地裏にて。
そこで自身を引っ張った中年の女と隆一が二人で話し込んでいる。
「ちょっと! 何するんですか!」
「作戦中に貴方こそ何をやっているの! というか、光金製薬について知っているのは一部の人間だけのはずよ、一体何処で知ったのかしら? もしかして、何かあったの?」
隆一を引っ張った女は、APCO捜査第二班の花咲であった。現在はパンツスタイルのグレーのスーツとインカムを身に着けている。右足首の辺りが若干膨らんでおり、小型の拳銃を隠していることが分かる。
隆一の表情から、ただならぬ事情があることを察した花咲が隆一に問いただす。
「はい! 信じてもらえないかもしれませんが、椿姫が複数の人間に銃を突きつけられている幻覚を見たんです! いえ、幻覚なんてもんじゃあない、あれは誰かの視界です。多分人間じゃない。俺と同じ化物の視界だと思います。どんな意図でやったかは分からないですけど、あのビジョンは確かに本物だった。時間がないんです! どうか俺をあの中に入れさせてもらえませんか!」
「そう……。分かったわ」
花咲はそう言いつつ、スーツのポケットから携帯を取り出す。そして、素早く何かを打ち込むと自身の耳元に携帯を当てる。何者かと通話をするようだ。一分も満たない内に通話は終わり、意を決したような表情を隆一に向ける。
見る者を射殺すような視線に
「滝上君、準備しなさい。派手にぶちかますわよ」
「え?」
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