episode6-5 少女の危機/兄の奔走

 風切の道場から出て数十分が経過した頃。

 隆一は焦燥感に駆られながら、謎の幻影に映っていた椿姫の下へと向かっていた。

 幻影に映る妹は、銃口を突きつけられ、いつ彼女の生命の灯が消えてしまってもおかしくない。最悪、酷い拷問を受ける可能性もある。身体を止めている猶予はない。

「はあ、はあ……」

 幻影が原因で引き起った頭痛によって鈍りきった思考を、必死に纏め上げ、居所の分からない椿姫がいる場所を探る。だが、居場所を知る唯一の術と言っていい携帯は充電が切れたままだ。無闇に時間だけが過ぎていく。

 街をふらつきながら歩く隆一の姿に、人々は奇異と懸念の視線を向ける。

 喧騒は隆一に苛立ちを覚えさせ、彼の僅かに残った思考力を削っていく。

「何処にいるんだ椿姫……!」

 長い間、確執を最近になってようやく取り払いつつあるというのに、こんなことで、大切な妹が失われてしまうのだろうか、目の前から突然消えてしまうのか。いや、そんなことはない。椿姫は滝上家の次期後継者だ、簡単に死ぬはずがない。だが、もしも――――

 最悪の光景が隆一の脳裏をよぎる、凶弾の前に倒れる大切な者の姿が。

 しかし、どれだけ走ろうと居場所が分からないこの状況では無意味だ。

 どうする、どうすれば椿姫の場所がわかる――――

「あーもう! わっかんねええええええ!」

 隆一は頭を掻きむしり、溜まった苛立ちを爆発させる。同時に、自身の内から無力感が溢れ出てくる。このままでは、悪夢が現実のものとなってしまう。青年の心が絶望に染まりかけた、その時、白銀の輝きが目に留まる。

 腰まで伸びる白銀の髪、陶磁器のように白い肌、翡翠色の瞳を持つ女性。それは、クラスメイトで思い人である、竜ヶ森クロエに酷似していると隆一は思った。しかし、年齢は彼女よりも少しばかり上で、成熟した妖艶さを全身から放っている。

 彼女も隆一の存在に気づいたのか、笑顔を作りながら近づいてくる。

「ふふっ……こっちでも相変わらずなのねぇ、貴方は」

「り、竜ヶ森? いや、違う。お姉さんか何かですか?」

「りゅうがもり? ごめんなさい。私、分からないわ」

 まるで旧知の仲のように話し掛けられたが、隆一は彼女の名前を記憶していない。

 いや、思い出せるようで、全く思い出せない、でも、あと少しで思い出せそう、そんなもどかしい感覚を覚える。

「ああいやいや、こんなことをしている暇はないんだ。すいません! 俺ちょっと急いでて! また機会があったら……それじゃ!」

「待って」

「ぐぇっ!」

 使命を思い出し、慌てて走り出した隆一の襟を掴んだ。

 隆一の首が締まり、蛙のような呻き声が出る。

「探しモノは……多分、あっちの方よ」

「え?」

 そう言った白髪の妖女が指したのは、隆一が向かっていた方向とは反対の方向だった。

 ビルが立ち並び、中でも彼女が指しているのは、一際高い、光金製薬の本社ビルである。

 隆一はきょとんとした顔で、女の顔、美しい翡翠色の眼を見据える。そこに嘘偽りはなく、どこまでも澄み渡り、こちらを案じているということが分かる。理由は分からないが、その言葉は紛れもない事実で、信用するに足るものである、青年は確かにそう思えた。

「貴方の大切なモノなんでしょう?」

「ええ! ありがとうございます!」

 女の言葉に背中を押されるようにして、隆一は走り出した。

「今度はそんな他人行儀、やめてね……?」

「え? ……おう!」

 女の声は弱弱しく小さなものだったが、隆一は聞き取り、振り返りつつ返答する。

 彼の後ろ姿は瞬く間に小さくなっていった。その様子を白銀の妖女はじっと見つめる。そして、深く息を吐き、空を見上げながら呟く。

「また、私も探しモノを見つけなくちゃね……」



 時は再び戻る。

 椿姫は光の発生源である、謎の研究施設に辿り着いていた。

 部屋の中は、幸いにも無人であることが分かった。警報装置の類も見当たらない。

 中に入った椿姫は、地下にあるとは思えないほど長大な研究施設に呆気を取られる。

「ここなのかしら……」

 灰色で統一された部屋はここまでの道と同様、管理が行き届いており、定期的に整備されているということが分かる。部屋の中央には、様々な計器類に囲まれた、天井を突き抜けるほど大きな円柱のアクリルガラスが置いてあり、中は透明な液体で満たされていた。

 昨日感じた悪寒の正体は、この無機質な悪の塊なのだと、頭よりも身体がそう判断する。

 部屋の中の写真を一通り撮った後、現在も稼働している計器類に近づいてみる。専門知識などが一切ない、普通の女子高生の椿姫が解る範囲では、計器類の一部は温度管理などをしているもので、温度は十五℃から二〇℃辺りで設定されている。

「これって、多分……うん、そうだよね」

 ここが“ブルーアイ”の製造施設なのだと、椿姫の頭がようやく事態に追いついた。

 椿姫の身体から汗が噴き出てくる。目の前にあるのは、ただの液体に過ぎないというのに、異形と対峙した時のように、全身を緊張が包み込む。動くことが出来ない、ただの液体に気圧され、椿姫は一歩後ろへ下がろうとする。

 しかし、椿姫の後退は壁によって阻まれてしまう。

 いや、おかしい、後ろに壁などないはず――――

「この前の頻尿娘ではないか、またトイレでも探しておるのか?」

「っ……!」

 椿姫は前に飛び、後ろにいた人物と距離を取る。途中、身を翻して何者かと対面する形になる。後方にいた人物は、椿姫が想像した通りの人物であった。

「何じゃ、怖い顔をして。嫁の貰い手が居なくなるぞ」

 青い着物を身に着けた女はまるで緊張感がなく、至って平静。惚けた顔を浮かべて、ピントが合っていないような目で椿姫を見据えながら、素っ頓狂なことを言っている。

 そんな緊張感がまるで見られない存在を前だと言うのに、椿姫は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなり、背中や額から冷や汗を垂れ流している。身体中を不快感が包み込むが、それに対処する余裕は椿姫にない。目の前の女は、いつでも自分を殺すことが出来る、そう感じられてならなかった。

 それから数秒の間が開く。

 椿姫が何も答えないことに苛立ちを感じた着物の女は、顔をしかめながら言葉を紡ぐ。

「……もしや貴様……“敵”か? よく見れば貴様の瞳、憎き泥棒猫とその娘を思い出す。虫唾が奔る、今すぐ八つ裂きにしてやりたくなったわ。……それで? この場は“王”の目覚めに必要な大事な場……らしいぞ。そんな神聖な場に貴様はいる、何故だ? 返答次第では、その命ないと思え」

「っ」

 この前のように、馬鹿のふりは出来ない。

 椿姫はこの場を乗り切る言葉を見つけるために脳のリソースを総て投入する。

「人間の命などはどうなっても知らんが、不届きモノは消せと言われておるのでな。ねちねちと小言を言ってこられるのも面倒だ、早く申せ、妾の気はあまり長くないぞ」

 女を取り巻く空気、放つ存在感が一変した。

 圧迫するような感覚が椿姫の全身を包み込み、心なしか周囲の湿度が高まったようだった。まるで雨が降った後ように。それは錯覚ではなかったようだ、女の真下の床から徐々に細かな水滴が広がっている。どういった原理で起きていることなのか、椿姫には分からなかったが、自身の命を奪う意図を持って行われていることだけは理解できた。

 思考をしている間にも、椿姫の頬は霧吹きを拭きつけられたように濡れていく。

 時間がない、こうなったら――――

「分かりました、話します」

「……ほう、では話してみよ」

 ぴたりと、水滴の広がりが止まる。

 椿姫は息を整え、意を決して言葉を紡ぐ。

「私は滝上家の次期後継者、貴女たちには魔狩師と言った方が良いのでしょうか。……私は“ブルーアイ”製造の証拠を掴むため、この会社にやってきました」

 敢えて、真実を話す。今を乗り切るにはこれしかないと椿姫は考えた。

 聞き出すだけ聞き出して始末される可能性も考えられるが。

「ほう、“青い目”か。……あの新参者め、そのような名前を付けておったのか。全くどこまでも気持ちの悪いやつだ」

「続けていいですか」

 遠くを睨みつける女に、椿姫が口を開く。

 やばい時は何処までも強気に、追いつめられた時の椿姫は可憐な令嬢の殻を脱ぎ捨て、分が悪い賭けにも手を出す、博打師に変貌する。

「おうおう、話の腰を折ってすまんかったの。話せ話せ」

「外では仲間が待機しています。もし、私に何かあった場合は、すぐにその仲間がここ突入することになっているのです。私に手を出せば、あなた方も無傷ではいられない。無用な血を流したくないのなら、私に危害を加えるのは得策ではないと思うのですが」

「……ふむ」

 女はどこからともなく扇子を取り出すと、顎に当てて唸る。

 どうだ、これで安易に手を出すような真似は出来ないはず――――椿姫は次の手段を考える。ここで思考を止めれば、自分の命がないことを理解しているからだ。

 しかし、

「それがどうかしたのかの?」

「っ」

「貴様も、貴様の仲間も、全て妾が消し去ってしまえば良いのではないか? ミラジオの世で至高の存在たる【幻祖六柱】の妾の力を以ってすれば、容易きこと」

 着物の女は広がった水滴を自身の手に集める。無数の水滴は直径二〇センチほどの水の塊になり、最終的に平たい円盤へと姿を変化させた。だが、それで終わりではなかった。円盤は回転を始め、甲高い音を辺りに撒き散らす。

 万事休すか――――椿姫が諦め掛けた、その時、

「ちょっと【水龍】さん!? あぁた何やってんですか!」

 スーツを着た男が施設に入ってくる。それは先程の式典でも挨拶をしていた、光金製薬の代表取締役社長の金光であった。あの長い階段を急いで駆け下りてきたのか、肩で息をしている。無駄についた顎の肉が二重にも三重にも段が作られる。

 しばらく無言の時間が続いた後、息を整えた金光が口を開く。

「ここでそんな危ないことをやらないでくださいよ! ここにある機械滅茶苦茶高いんだから! いくら儲けさせてもらっているってもねえ! 金は無限にないんですよ! ここの工事に掛かる費用だって馬鹿にならないんですからなぁ! 無駄に長い階段のせいで上り下りが大変だって関わった人間から文句を言われますしねえ! って、そんなことはどうでも良いのですよ!」

 式典での偉そうな振る舞いはどこへ行ったのやら、金光は俗的な言葉を青い着物の女に向け、立て続けに投げかける。対して、【水龍】と呼ばれた女は面倒くさそうに何処かへ視線を逸らし、両耳を塞いでいる。

「そこの君!」

「え、私ですか?」

「キミ以外に誰がいると言うんだね! ここの秘密を知ってしまったからにはタダでは返せないなあ! 聞きたいことがある! ああっと! でもでもでも、まずここで暴れられるのは非っっ常に困るから、社長室まできたまえ! 手を出したりしないから! いや、ほんとに! ちょっと平和的な解決を模索していきたいだけだから! 私の目を見たまえ! アルプス山脈のように澄み切っているだろう!」

「……はあ」

 全く澄み切っているようには見えないが、一先ず、この男の言うことに従うことにした椿姫。このまま良く分からない水で殺されるよりマシなように思えたからだ。ずんぐりとした巨漢について階段を上っていく。この時、椿姫は忘れていた懐にある銃の重さを意識した。

 その後ろ姿を青い着物の女【水龍】は詰まらなさげな表情を浮かべながら、じっと見つめていた。そして、長い溜息をつき、灰色の天井を見上げる。

「……全く、人間とは面倒なもんじゃのう」

「…………」

 見上げた天井に立っていた赤い瞳と目が合う。

「居たのか【疾風】。居たのなら少しは手伝っても良いと思うんじゃが、そもそも、貴様がここの守りを任せておったというのに、何故何もしなかったのじゃ。おかげで服が濡れてしもうたわ。見よ、この袖を妾のように美しい青色が黒くなってしまったではないか」

 【水龍】は【疾風】に見えるように、濡れて黒くなった袖を旗のように振っている。

 だが、【疾風】の紅き瞳はすぐに【水龍】から目を離し、椿姫に視線を移し、彼女の後ろ姿を見えなくなるまでずっと見つめていた。


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