episode5-last 至福の日常

 滝山学園・旧校舎周辺にて。

 空はすっかり月が映える暗闇に染まっていた。

 普段であれば、足音一つ立たないような場所であるが、今日はいつもとは様子が違っていた。

様々な人間の話し声、足音、サイレンといった音で溢れかえっている。

「おい、さっさと歩け! 車まで遠いんだからな」

「もうちょっとゆっくり行きましょうよ。ねえ?」

 その人混みの中を東藤と豪山が掻き分けながら歩く姿があった。

 東藤は手錠を掛けられた豪山を、後ろから急かしている。対して、豪山は薄ら笑いを浮かべながら、ゆっくりと歩こうとしている。

 そんな中、二人に二つの影が近づいていく。

「おい! 先生!」

「ちょっ! 啓、待てって! 救急車あっちだって!」

 それは隆一と街田であった。街田は頭に血が上っており、それを隆一が宥めている、という構図のようだった。しかし、街田を止めることは出来ず、豪山との距離は勢いよく縮まっている。そして、

「おう! お前ら生きてたの、ぐっ!」

 豪山の胸ぐらを街田が掴んだ。隆一にしてきた時と違い、息が苦しくなるほどの強い力が加えられている。その力は秒ごとに強まっている。

 当然、豪山は抵抗しようとするが、東藤がすぐ背後にいる手前、強い抵抗は出来ず、街田にされるがままだ。

「おらあ!」

「ぐっ!」

 そして街田が一発、豪山の顔面を全力で殴る。

 体格に恵まれた豪山はそのまま受け止めようとしたが、現役の高校生の力は豪山が想像していた以上に強く、そのまま地面に倒れこんでしまった。

「悪いな! 友達を散々言ってくれた礼だ。とっとけ。隆一戻るぞ」

 血が溢れる鼻を抑えながら睨みつける豪山を尻目に、街田と隆一は後方の救急車の方へと歩いて行った。

「ほら立て、行くぞ」

「…………」



 滝山学園・校舎屋上にて。

 給水タンクの上に器用に立つ黒ずくめの男、【幻相】は、柔和だが、どこか寒気や忌避感を催させる笑みを浮かべている。

「んー“過剰摂取”による暴走、とでもいうのか。あれは面白かったけど、まあ、制御できていないんじゃあ、あんなものか」

 旧校舎での騒動を記録していた携帯を懐に仕舞いこむと、【幻相】はため息を吐く。その顔は苦虫を噛み潰したように不快感に塗れ、青い瞳には憎悪が宿っている。

「……それにしても、愛か。随分と、つまらない答えに辿り着いたものだ、忌々しい。ああ【ヴァル】……変わり果てたお前を思い出して凄く不快な気分だよ。生きとし生けるモノは変化から逃れられない、それが、どのようなものであっても。全く、悲しいことだ」

 【幻相】はそう呟くと闇夜に溶けるように消えた。



 何もかもが片付いた後、隆一は自宅のベッドで眠りについた。

 その夜も微睡みに満たされ、何もかもが霞のように不安定な夢の世界に迷い込む。今度は学校ではなく、知らないどこか、けれど懐かしさを感じさせる木々に囲まれた湖にいた。

 そして、当てもなく歩いていた隆一の視線に、水辺の近くに倒れていた木に腰を掛ける人影が映り、そこへ近づいていく。

「あら、今日も来てくれたのね」

 白髪で切れ長の目が特徴な美女が、隆一に微笑み掛ける。

 隆一は首筋を掻きながら、照れくさそうに苦笑いを浮かべる。

「来た、ってのが正しいのかはわかんないけど」

「いいのよ、細かいことは。私の目的で偶々こうなったものだし」

「……その、目的っていうのは、その大事な人を探すこと?」

 やや間を置いて、隆一は恐る恐るといった様子で聞く。それは以前、白髪の麗人がその“大事な人”について話す時、悲しそうな目をしていたことを覚えていたからだった。

 覚えていて尚、聞きたくなってしまったのだ。

「ええ、そうね」

 女は若干寂し気な表情になった。それを敢えて表現するならば、古傷が痛んでいるような顔というのが的確だろう。そして、自身を映す湖の水面を見ながら、再び言葉を紡ぐ。

「必ず探さなくちゃいけないのよ、私と彼の約束だから。ずっと一緒にいるっていうね。それに……」

「それに?」

「娘が随分と寂しがっているから……。早い内に会わせてあげたいのよ。あの子ってお父さんっ子だったから……」

「え、娘さんいるんですか?」

 娘がいるという衝撃的な発言に、思わず敬語が出てしまう隆一。

 白髪の麗人は先程の表情から一変し、微笑を浮かべながらも恨みが籠った視線を隆一へと向ける。

「あ、ごめんごめん。ってか大事な人って旦那さんのことだったんだ」

「旦那……そうね。そういう言い方もあるわね」

 娘がいるって、見た目よりも歳いってるのか? それとも、滅茶苦茶結婚が早かったパターンか? ――――

「見た目よりも歳がいっているって? そうねぇ見た目よりは、随分と、歳をとっているかもしれないわねえ。娘もお年頃だからねえ」

 え? 何で考えていること。つーかお年頃って――――

「だって貴方が考えていること、分かりやすいのよ。貴方が思っている以上に」

「そ、そうかなあ」

「ええ、そんなところも、あの人に良く似ているわ……本当に」



 騒動から数日が経過した休日。

 晴れ渡る青空の下、私服を着た隆一と椿姫は、複雑な表情を浮かべながら、目に優しいハチミツ色の高さ約三〇メートル建物の前に立っていた。

「兄さんが一緒に出掛けようと誘ったかと思えば、何で病院なんです? 街田さんのお見舞いでしたら一人で来た方が良かったでしょうに」

「あのなあ……お前はあいつのことを良く知らないからそう言っていられるんだ……。あいつの異名を知っているか?」

「学園の勘違いさせ野郎でしたっけ?」

「知ってるんだ……」

 予想していた以上に街田は罪作りな男であるらしい。

 隆一はげんなりとした顔でため息を吐き、肩を落とした。

「ってか、ここ数日で見舞い何回来てるんですか。どんだけ心配なんですか」

「いや、まだ三回目だし!」

「数日で三回は十分多いんじゃないですかね……。いや、まあ、悪いことではないと思いますけど。なんで私が呼ばれたんです……? 溜まった録画を消費したいんですよ。もう先に見たお母さんから何気なくネタバレ食らいたくないんですけど」

「これには事情があってな」

「どんな事情ですか。言っておきますが、しょうもない理由だったら帰りますからね」

「おう、あれは俺が最初に見舞いに行った時の事……」

「これめっちゃ長くなるやつじゃないですか」

「えっそうだな。こんな所で立っててもアレだし、簡潔に言うか」

 そして、僅かな時間が経ち、

「帰ります」

「待って、本当に待って」

 病院から踵を返して帰ろうとする椿姫の手首を、隆一が強く握り、必死に止める。

「離していただけます? それに兄さんがそんな小さな人間だったことに幻滅ですよ」

「えっいやあ、だってさあ」

「いくら街田さんのお見舞いが女の子ばっかりだったからって、自分も女子連れて行こーとか浅はかで、最低、その上とても惨めですよ」

「い、いやそこをなんとか! この通り!」

「他の子でも良かったんじゃないですか。あの銀髪の美人さんとか」

 恨めし気な視線を隆一に向ける椿姫。

 隆一は気まずそうに首筋を掻き、

「あー実は誘ったんだけど予定があるとかでぇッ!」

「あ?」

「すいません! マジすんません! 後で、なんか奢るからさ! ねっ! あのーなんだっけなー。最近流行のスイーツ店のスイーツ奢るからさ! ねっ!」

「………………高くつきますよ」

「あーありがとうございますぅ。流石椿姫さまあ、ささっ行きましょー行きましょー」

 隆一は苦笑いを浮かべながら、足取りが重い椿姫の背中を押し、病院の中へと向かう。

 程なくして、隆一たちは、清潔な印象を与える乳白色で揃えられたロビーに入り、併設されたコンビニに寄った後、エレベーターに乗った。そして、街田が待つ六階のボタンを押す。

「あーやっぱ行きたくねえなあ」

「そう言いつつ、笑顔じゃないですか」

「そうかあ? へへっ」

 両手に持ったカップコーヒーを見て笑顔を浮かべる隆一。

 そして、そんな兄の様子に椿姫は安堵を覚えた。それも束の間、六階に辿り着いたということを知らせるチャイムの音がなる。

 エレベーターの扉を潜ると、街田が入院している六〇六号室にはすぐ着いた。

「おーい、啓ー来たぞ」

 中の住人に声を掛け、扉を開ける。

「おう、また来たのか」

「あっ滝上君、どうも。それと妹さん?」

「あら、こんにちは」

「こんちはー!」

 室内にいたのは街田と峰山、そして街田の幼馴染である琴吹と城ケ崎だった。その様子を見て、隆一と椿姫の二人は苦笑いを浮かべる。

 そして、隆一は表情を一変させ、天井を指差す。

「ちょっと付き合え」



「ほらよ」

 病院の屋上にある庭園のベンチで、隆一と街田はカップコーヒーを片手に座っていた。

 夏場であるということもあり、カップは透明、中身は氷とコーヒーで満たされている。

「おう、悪いな。つーか砂糖とミルクはないのか? 俺、お前と違って無糖派じゃねえんだけど」

「俺の奢りなんだから文句言うな。黙って飲んでろ」

「へいへい、ありがとさん」

 街田はそう言って透明なカップを満たす黒い液体を口にする。続けざまに苦虫を噛み潰したような顔になる。

 街田の様子を見て、隆一はほっと息を吐き、満足そうにコーヒーを啜った。

 そして、本題に移る。

「お前、琴吹さんに“伝言”伝えたのか?」

「……いや、まだだ」

「そっか、言う気は……あるのか?」

「一応、ある」

「そっか、お前は三ツ木と関係あったのか?」

「関係って、どんな?」

「そりゃあ仲がいいとか、塾が同じとか」

 街田の何気ない問い返しに、隆一はそっぽを向いて困ったように答える。

「別に仲は良くねえよ。つーか俺が塾行ってないの知ってるだろ? つまり、直接的な関係はない。でも、琴吹と三ツ木は同じ塾に通ってたらしい。多分、それなんじゃないか」

「へーそうなのか」

 場が沈黙に包まれ、形容し難い気まずさからか、二人は同時にコーヒーを口にした。そして、示し合わせたわけでもないというのに、空を見上げる。

 しばらくして、

「何となくなんだけどさ」

 街田がぽつりと言葉を呟く。

「ん?」

「もしかしたらあいつ、琴吹が好きだったんじゃないかなって」

 街田の唐突な発言に、隆一は鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた後、苦笑を浮かべた。

「随分とまあ……飛躍したなあ。まあ、俺は、琴吹さんと仲良くないから何があったか知らないし、今回の事件について根本から関わってるわけでもない。だから、絶対ないとは言わないけどさあ……何でそう思うか、聞いていいか?」

「俺が拉致られた時にさ。あいつ、俺に何か言いたいことがあったらしいんだよ。多分それは、最後に遺した“伝言”とは別のやつだ。あとは……そうだな」

「…………」

 唾を嚥下し、街田の言葉を待つ。

 屋上に吹き込む清涼な温かい風が、やけに冷たく感じられた。

「勘だな」

「はあ?」

「だから、勘」

「いや聞こえてるわ! 勘ってお前……。まあ、さっきも言ったけど、今回はマジで事件の最後の方にしか関わってないからなあ、案外間違ってなかったりしてな」

 爽やかな陽射しを一身に浴び、隆一は再び黒い至福の液体を堪能する。苦みと独特な香りが口いっぱいに広がる。青年はひと時の幸福に酔いしれた。

 一杯一〇〇円だというのにこの美味しさ。最新式のドリップマシン、侮れない――――

「隆一は、さ」

「ん?」

「これからも、戦うのか? あの化物と」

「ん、ああそうだな、そうなる。あれは俺の仕事だし、やらなくちゃあいけないことなんだ。だから、俺はこれからもアレと戦うことになる」

「そっ、かぁ。頑張れよって、言ってやりたいけど、なんか他人事だなぁ。俺はお前に何て声を掛けたらいいんだろうなあ」

 晴れ渡る青空を見上げながら、街田は友人に掛ける言葉をゆっくりと時間を掛けて探し始める。それは隆一への気遣いでもあり、自身の意地でもあった。命の恩人でもある友人に安易な声援は送りたくなかった。

「あれだ。俺はいつでもお前を待ってるから、姿形が変わっても、お前はお前だ。ってえこれは前にも言ったよな。だから、絶対帰って来いよ。ってこれも言ったよなあ。あー中々いい言葉って見つからないもんだな」

「はっ、良いんじゃあねえの。そういうの、何度言われても嬉しいんだ。ありがとう」

「おう、どういたしまして」

 二人仲良く、屋上から見える街々を見下ろしながらコーヒーを飲む。

 日常とはこういうものを指すのだろうか。取り敢えず今は、これ精一杯享受しよう。いつだって、後悔のないように自分の気持ちを伝えておこう。



「ところで、お前峰山に告ったりしてないのか?」

「あ」

 街田から間の抜けた声が飛び出る。その様子を見て、隆一が頭を抱えた。

 先程までの落ち着いた雰囲気はどこかへ行き、慌ただしい空気が代わりに流れ込む。

「おいおいおい……お前、何やってんのよ」

「いやあ、だってさあ。俺だって日常に戻ってこれてそれどころじゃなかったんだよ!」

 街田が言い訳を始めると同時に、隆一の懐が振動する。すぐさま、それが着信であるということがわかると、隆一は通話に出た。

「はい、もしも」

『……兄さん、いい加減来てくれませんか?』

 妹の椿姫であった。椿姫はかなり小さい声で喋っており、屋外ではかなり聞きづらい声だ。しかし、隆一は異形の力を宿した肉体のお陰で十全に聞き取ることが出来る。

『会話が全然ないんですよ……! 皆会話せずに携帯構ったりしてるんですよ! アレ絶対なんかありますって! 今は自販機で飲み物を買ってくるってことで抜けて来ましたが、それも限界です。だから早く来てください。来なかったら先に帰りますからね。後、新作スイーツにも色付けて貰いますからね。それじゃ』

 椿姫はひとしきり伝えたいことを伝えきると、返答も待たず、一方的に通話を切る。

 電話越しでも分かる必死の剣幕に、隆一は僅かな間、放心していたが、街田を見やると、

「啓、お前も罪な男だな……夜道には気を付けるんだぞ」

「? お、おう」

「じゃあ、下に降りるか。病人様だからな身体には気を遣わなくちゃなあ?」

「な、なんだよ。その含みのある言い方は!」

 街田の背中を押しながら、二人は屋上を後にした。

 帰って来れた。青年たちは平和な日常への帰還に肩の荷を下ろす。

 胸に刻まれた傷跡が時々痛むが、それが時間の流れによって癒されることを信じて、今日という一日を謳歌する。



 同時刻、滝上重工の敷地内にある別棟、会議室にて。

 ドーナツ状のテーブルをずらりと囲むように、スーツで身を包んだ人間たちが座り、手元にある資料を睨みつけている。

 そして、一人の中年の女が背筋を伸ばし、男顔負けの張りのある声で話し始めた。

「それでは、“ブルーアイ”を製造しているとみられる光金製薬への調査に関する会議を始めたいと思います。……ん。単刀直入に言いましょう、我々捜査第二班は滝上理事の娘、いえ、装機動隊第一班の滝上椿姫氏の協力の下、潜入捜査を行います」

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