episode5-13 青年の伝言

「え?」

 唐突に、呆気なく、目の前で友人が死んだ。その事実を街田はすぐに処理できなかった。困惑に満ちた声が漏れる。そして、数秒が経った後、慌てた様子の街田が湿った触手の格子を外すために手で触れる。

 粘ついた液体が手に絡んできて気色が悪い。だが、そんなことを気にしている場合などではない。力を籠めて左右に引き、進もうとする。想像とは違い、生きた格子はあっさりと街田を外へ出した。体勢を崩し、転びかける。

「おい……おい、隆一! 起きろよ!」

 一瞬、異形を見やった後、街田は魔人の傍に近寄り、その肩を揺さぶる。

 白い兜は力なく、街田に揺られるがままだ。完全にこと切れていると言っていい。

 街田の行為を黙認した異形は、月明りを背に、再び身体を振り子のように左右に揺らし、青い軌跡を作り始めた。

「おい、起きろ! この寝坊助! 俺はお前にまだ言いたいことがあるんだ。明日も、明後日も、その先もな! 俺からこれ以上友達を奪う気か!? 絶対許さないからな! お前が何処へ行こうと必ずこっちに連れ戻す! そこがあの世でもなあ! だから……だから戻って来い、隆一!」

 街田は魔人の胸に拳を振り下ろす。

 石の壁を殴ったような硬い音が虚しく響いた。

『はーア、目の前デ青春茶番劇を繰り広げラれると冷めるンだよねえ……。すゴく苛々させらレたから、死んでクれるよね? ちょッと、残念だケど』

 威嚇する蛇ような体勢の触腕を投げ槍に見立て、街田に狙いを定める。そして、勢いよく放つ。灰色の槍は風を薙ぎ払いながら、街田の後頭部目掛けて直進していく。

「んっ!」

 街田が魔人を守るように覆いかぶさる。

 しかし、その肉体が貫かれることはなかった。

 代わりに遠くから銃声が聞こえ、背後で泥の塊が落ちたような音がする。

〈大丈夫ですか!〉

 藍色の機械鎧から年若い女の声が発せられる。

 機械越しの声だが、その息は上がっており、急いで向かってきたということがわかる。

 街田に向かって歩いてくる鎧は、背中から、自律した二つの簡易的な機械腕を生やしており、それぞれ形の違った銃を保持し、付属の照準器で異形に狙いを定めている。

「早く来てくれ! コイツが! 隆一がやばいんだよ!」

〈にぃ……っ! 貴方は早くここから! いえ、頭を伏せた状態でそこから一歩も動かないでください!〉

 機械鎧を身に纏った少女、椿姫は首があらぬ方向へ向いた魔人を見て一瞬声を失うが、目の前の命を救うことを優先するため、気丈に振る舞い、街田の前に立つ。

 街田は声に従うまま、頭を魔人の胸元に寄せ、自身の生存と魔人の復活を願った。



 月明りに照らされる藍色の鎧。その中にいる少女は悲しみ、後悔、怒りといったあらゆる感情がない交ぜになった表情を作っていた。

 最悪な気分、今にも吐きそう――――

〈…………〉

 椿姫はモニターに映る異形が憎悪を通り越した何かの対象に見える。普段であれば私情を挟まない主義を掲げている椿姫だが、この時に限っては、それを曲げざるを得ない精神状態であった。後方を映したウィンドウには首がへし折れた白い魔人の姿がある。

〈……仇はとって見せます〉

 椿姫の覚悟に応えるように、機械鎧の緑色の双眸が一際強く輝いた。

 椿姫は左腕に携行したライフルの照準を、異形の胸で輝く青い瞳に合わせる。背中の二つの小銃と合わせ、三つの緑色の点が青い瞳に当てられる。

『眩しいナあ……。目に当てるノは危険だっテ教わらなカった?』

 赤ん坊の頭ほどはある瞳が眩しそうに瞼を開閉を繰り返した。瞼と言っても、無数の細い触腕が瞳を覆うだけだが。

 喋る異形と直接対峙するのはこれで二度目の椿姫。彼女に緊張が奔る。知性を持ち合わせた異形ほど手強いモノはない。

 私がここで引くわけにはいかない――――外では再び触腕の活動が活発化しており、第一班の総力を掛けてようやく椿姫一人が突入することが出来たのだ。この場にいる生存者を救えるのは自分しかいない。そう自身に言い聞かせながら、二本の脚を床にしっかりと立てる。

〈……!〉

 藍色の機械鎧は、周囲に細心の注意を払いながら、異形に左手に携行したライフルから鉛の弾を五発ほど放つ。乾いた炸裂音が連続して響いた。

 異形の胴体へ目掛けて、目にも留まらぬ速さで進んでいったそれらは、

『?』

 人智を超えた頑強な体組織の壁に対して何の効果も示さなかった。いや、幾つかの触腕は破砕することが出来たものの、本体には届かなかった、という方が正しい。

 勢いを失った銃弾たちが、小石が水溜りに落ちるような音を立て、触腕の破片と共に異形の足元に散らばる。触腕に埋め尽くされた床では、最早どこが足元なのかさえ分からないが。

〈徹甲弾でも本体へ到達するのは厳しいか。でも榴弾はヤツの粘液で効果を発揮出来ないし……。ていうか、本当にアレが本体なのかっていうのも怪しいところね。やっぱ一点に火力を集中させるしかないか。……兄さんの火力が欲しい、でもそんなこと、言ってられないわね……ああ、もう面倒!〉

 額から出た汗が頬を伝う。

 モニターに映る無貌の異形は相も変わらず、身体を左右に揺らしている。何かの意図を持ってしていることなのか、ただの生理現象なのかは判断がつかないが、とにかく不気味であるということは解る。

 これ以上事態を長引かせたくはない。取り敢えず行動に移す! やばくなったらその時に考える! ――――土壇場になると博打を掛ける椿姫の悪癖が出る。

〈ブレード展開!〉

 右腕の装甲の一部が椿姫の声に応え、剥がれ落ちる。そして瞬く間に黒色の刀身が形成されていき、高速振動による甲高い音が刃から発せられる。

 問題なく動作していることを確認すると、藍色の鎧は目の前に勢いよく飛び出し、小銃から弾丸を放ちつつ、異形との距離を詰める。

『――――!』

 肉と肉が擦れ合い、嫌悪感を催させる叫びにも聞こえる音を出す。その昂りを乗せた触腕群は自身に向けて放たれる無数の弾丸を次々と叩き落としていく。今度は一本たりとも破砕されていない。

〈肉質が硬くなったとでも!? でも、柔軟性は落ちてるみたい。ならあ!〉

 背中のアームに取り付けられた小銃の射線に入らないよう注意を払いながら、椿姫は右腕の振動刃を、本体への道を塞ぐ触腕へ振り下ろす。

 触腕は透明な汁を勢いよく噴射しながら、ゆっくりと切り落とされていく。痛覚は通っているのか、触腕たちはバタバタと暴れる。攻撃を止めさせるために藍色の鎧に近づくモノもあったが、それらは小銃による正確無比な射撃によって撃ち落され、地面に崩れ落ちた。

『――!』

 地面から突然現れた複数の触腕が、槍のように藍色の鎧へ直進していく。

 当然、椿姫は自身に迫りくる触腕を迎撃する。残弾が残り少ない右手のライフルを放ると、背中の二丁の小銃と右腕の刃で的確に捌いていく。だが、

〈しまった!?〉

 地面を這いながら進む一本の触腕が、椿姫の脇を通り抜ける。そして、五メートルほど後ろで伏せている街田へ進んでいく。

 その進行を妨害しようにも、椿姫は自身への猛攻を防ぐことで手一杯であった。

〈危ない! 逃げて!〉

 椿姫は拡声器越しに街田へ向けて叫ぶ。

 しかし、一瞬の出来事、その上ずっと伏せていたため、街田は反応することすら出来なかった。

「まだ死ぬわけにはいかないんだよぉ!」

 青年は叫ぶ。

 自身にはまだやるべきことが残っているからだ。

「隆一!」

 青年は呼ぶ。

 未だ死していないと信じる友の名を。



 激しい雷雲が空に立ち込め、唸る。同時に激しい雨が降り始めた。

街田へ放たれた触手は、爆音を轟かせる眩い光によって、塵も残さず掻き消えた。

 屋内であるというのに、室内は暴風雨に晒され、目を十分に開くことが出来ない。風により周囲の音も聞き取れない。だが、確かに分かる。

「ああ……やっと起きたかよ」

 街田は、轟音に掻き消されることを承知で、目の前にいる存在に向けて呟く。

 そして、街田の視線の先にいる、紅い瞳が確かに街田を捉え、視線と視線が交わる。

 無機質で畏怖の念を抱かせる血のような紅い瞳。しかし、とても温かく安心感を覚えた。

 …………。

「……!」

 蒼き稲妻と暴風を纏う、紅き瞳の魔人は淡然とそこにいた。

〈兄さん! 良かった……! っ! 起きて早々悪いとは思いますが! ちょっと手を貸してください!〉

 兄の生還を喜びつつも、迫りくる触手に対応する椿姫。そして、この戦いに終止符を打つために助力を求めた。

 白亜の魔人は街田に無言で頷くと、藍色の鎧の背後へと歩いていく。

「…………」

〈……ああ、別に謝らなくていいんで。さっさと構えてください。私が後方から援護します。難しいことは考えず、兄さんは思うがままに突っ込んでください。伝わってます?〉

「……!」

 魔人は二度首を振ると、腰を深く落とし、走る体勢を整えた。

 その動作から、椿姫は自身の考えが伝わっていると判断し、再び言葉を紡ぐ。

〈合図を出します。三・二・一で……ってまだです! えーっと? 三二一で合図するので、ヤツに向けて全速力で走ってください。機会は一度。失敗は……言う必要はないですね。よろしくお願いしますよ。では……〉

 少女と魔人は深く息を吸い、呼吸とリズムを整える。長い付き合いだ、お互いの波長を合わせるのは、そう難しいことではない。数度、呼吸を繰り返すだけで、相手がどのように動いてくるのか手に取るように分かる。

〈三〉

 魔人は一歩前へ踏み出し、足や腕に力を籠める。薄っすらと青白い光が奔った。

 遥か頭上の雷雲が唸りを上げ、突風が葉を散らし、遠くへと運んでいく。

〈二〉

 魔人の紅き瞳が輝きを放つ。同時に心を鎮め、あらゆる感覚を研ぎ澄ませる。

 灰色の異形は、その体を構成する触腕の太さを絶えず変化させている。

〈一〉

 激しい唸り声を上げ、白い左腕に稲妻の刃が形成される。そして、ゆっくり構えを取る。

 異形の胸元の大きな青い瞳が一際強く輝いた。紅き瞳と青き瞳が交わり、激しくぶつかり合う。

〈〇!〉

 激しい号砲が轟くと同時に、白亜の魔人は走り出した。

 砂埃が混じり、濁った水飛沫が勢いよく室内を飛び跳ねる。

 異形は魔人に触手を触手を走らせた。だが、それらは藍色の鎧による射撃によって撃ち落され、床に幾つもの破片が散らばる。

 魔人は異形と更に距離と詰めていく。二体の間は約四メートル。

『――――!!』

 怪音とともに、異形が巨大な腕のようなものを触腕で形成していく。それは樹木のように捻じれ、内蔵のように脈動し、何らかの透明な液体を迸らせている。

〈腕!?〉

 藍色の鎧は持てる火力を腕の一点に集中させる。轟音が立て続けに響き、触腕の集合体に次々と着弾していく。

 しかし、腕を構成する触手の一本たりとも破砕できていない。着々と腕が形作られる。

『――――!』

 そして、腕は魔人を横薙ぎにしようとする。床の上にある砂埃や水気、机だったであろう木片や鉄片を巻き添えにしながら魔人を狙う。

「……!」

 迫りくる、湿り気を帯びた巨腕を躱すため、魔人は高く飛び上がる。そして、器用にも巨腕の上に乗り、その上を駆け抜ける。時折、表皮に纏わりついている粘液が脚を浚おうとしてくるが、気力で体勢を保ち続ける。

『アァ……』

 苦し気な呻き声が聞こえる。

 魔人は思う。肉蔓の身体に変わり果て、声帯を失ったにも拘わらず、人に似た姿に寄せ、人の声に聞こえる音を出しているのは、人であった事への未練なのかもしれない、と。

 目の前の怪異は、人を捨てた異形の存在でありながら、人を捨てきれていない。心の中に人と化物がせめぎ合っている。いや、矛盾を抱えたまま混ざり合い、自身ですら気付いていないように感じられる。

 悲しく、虚しいが、それでもやることは変わらない――――

「…………!」

 白き魔人の紅き左眼が燦然と輝いた。白亜の甲殻によって隠され、見えなくなった右半分の顔を始めとした魔人の姿は、無貌の異形と同じく、人のそれとはかけ離れている。

 化物を殺すのは、同じ化物が最適だ。そうに決まっている。いずれ自分もそちら側、地獄へ行くはずだ、そこで私は君たちに謝罪しよう。だから、今は、このまま眠って欲しい。これが、今出せる私の答え――――

「ッ!」

 魔人は自身の左腕に青い雷の刃を形成した。

 これは、異形をあの世へと送り届けるためのギロチン。死者へと手向ける花束。

 轟く稲妻の叫びは異形に向けた弔砲であり、白き処刑人の慟哭。

「……ァァァ!」

 魔人が狙うは異形の胸で妖しく輝く、青年たちの運命を狂わせた“青い瞳”。

 そして、白い流星が異形の身体を貫き、

『とても……とても、長い回り道をしていた気がするよ……申し訳ないねぇ』

 灰色の肉塊は青い炎を纏いながら崩れていく。

 それと同時に、建物が軋む音を立て、崩壊を始めた。

〈建物に侵食してた肉が崩れて、支えを失った建物が崩壊を始めたみたい! ここからすぐに出ますよ! さあ! 手を取ってください!〉

「は、はい!」

 街田は狼狽えながら、藍色の鎧の手を取った。

 藍色の鎧は、崩壊し外へと繋がってしまった壁に近づく。

「え、飛び降りるんすか」

〈時間がないんで。あーでもこのままじゃなあ。お姫様だっこします〉

「ええ……?」

 着々と崩壊している旧学生寮。

 その二階で微妙且つ独特な空気が生まれようとしている中、

『街田君』

 異形ではない、三ツ木の声が確かに聞こえた。

『君たちには随分と迷惑を掛けてしまったね。……厚かましいが僕のお願いを聞いてもらえないだろうか』

「……」

『まあ、勝手に話すよ。僕は自分勝手な人間だからね。あの陰険腹黒生徒会書記もとい、君の幼馴染の琴吹さんに伝えて欲しい事があるのサ。“この前の中間テストずるしてごめん”ってさ』

 どこか、晴れ渡るような、すっきりとした口調。

「……それだけか?」

『ああ、それだけだ。伝えるかどうかは君に任せるよ。僕のこと、どうしても憎いっていうなら伝えなくてもいい。君にはその権利がある。なくても、僕が与えようじゃないか』

「意地の悪いやつだ」

『ああ、そうだね』

 拗ねる街田に、三ツ木は苦笑したようだった。

 そして、

『じゃあ、お別れだ。君たちの恋の行方がこれからどうなるのか、あの世で楽しみに見物でもしているよ……』

〈……飛び降ります、口を開かないでください。舌を噛みますよ〉

「えっちょ、まっ、うわあああああああああああああ!」



 人気がなくなった部屋の中を、木々が崩れ落ちる音と青年の独り言が満たしていく。

『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、か』


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