episode5-11 欲望の檻

「今の何さ」

 三ツ木が恨めし気な視線を、隆一へ痛いほど浴びせる。

 それは、隆一が青い雷を使って、三ツ木と繋がっている灰色の肉塊を攻撃したことが原因であった。しかし、隆一に注目していたのは三ツ木だけではない。その場にいた他の三人も、彼の返答に注目している。その中で、豪山に至っては壁に寄り添い、隆一や三ツ木から距離を取っていた。

「ああ? 今はそんなのどうだっていいだろ。俺はお前と戦う。最悪……三ツ木、お前を場合によっては殺さないといけなくなる。出来れば穏便な方向で済ませたいけど、どっちにする?」

 右手に持った無地のペン型注射器を見せつけながら、隆一は三ツ木に問う。

 恐らく“ブルーアイ”を摂取しているのは、隆一を除いて三ツ木のみ。豪山はあの様子を見る限りでは、まだ普通の人間、何らかの妨害がなければ対処は容易である。となれば、この案件で一番の不確定要素は三ツ木であるということになる。

 挑発と受け取ったのか、目の前の青年は怒りに震えた手でズレた眼鏡を合わせ、

「あ? 今更戻れるるものか、僕も君も。それに、一度やってみたかった、君みたいな人間と……やろうよ、どちらかが死ぬまでさあ!」

 狩りをする獣のような目をした三ツ木が、隆一と同じく懐からペン型の注射器を取り出した。夕陽に照らされ、怪しい青い輝きを放つそれは、人を異形の存在へと変貌させる魔の薬“ブルーアイ”。しかし、それは一本だけではなかった。ざっと見える範囲でも三本はある。

「お前、何する気だ。明らかに適正量じゃない。それ過剰摂取ってやつじゃないか?」

「さあ? 打ってからのお楽しみぃ!」

 束を太ももに当て、血管の位置などお構いなしで、空いた手によって一気に注入する。

「っ。啓、峰山を連れてさっさと逃げろ。で、外にいる人たちに助けを呼んでこい」

「はっお前何言って……分かった。行くぞ峰山!」

「えっ、あっはい」

 今までのシーカーとは格が違う危険を察知した隆一が、街田達二人に逃げるよう促す。

 始めは納得がいかないと言った表情をしていた街田だったが、目の前で起こっている事象が自身の手に負えるものでないことではないと悟り、峰山と共に逃げることを選ぶ。

「隆一、死ぬなよ。また明日、その強面を見せろよ。じゃないと落ち着かないからな」

「おう、当たり前だ。お前が誰とくっつくのか見届けたいしな」

 その言葉と共に、街田達はその場から離れようとする。

 しかし、

「逃がスわけなイじゃん」

 老婆、青年、少女、壮年の男、幾つもの人間の声が重なっているように聞こえ、それらは不協和音となって、厚みのある声を周囲の者へと届ける。同時に、身を竦ませるほどのプレッシャーも伝えてきた。

「お、お前……その姿、ななんだよ」

「ひっ」

 街田と峰山は目の前の存在への恐怖で足が動かなくなり、それに釣られて声が震える。だんだん頭と脚から血の気が引いていき、立っていることすらままならなくなる。

『あァぁ……』

 異物が自己を内側から熱とともに覆いつくしていく感覚に、かつて人間だった内気な青年は陶酔に満ちた声を漏らす。いや、何処からか漏れていると言った方が正しいのだろう。

 夕陽を背に立つ姿は人の形をしているが、凡そ人と呼べるようなものではなかった。その姿はらせん木理のように、脈を打つ灰色の細長い肉が、螺旋を描きながら絡み合い、人型を作っている。

 頭の部分にはぽっかりと穴が開き、背中から降り注ぐ夕陽を通過させ、胸の部分には人の頭ほどの大きさはある青い一つ目が、本来あるべきモノの代わりに隆一たちを捉えていた。

 両脚は灰色の根を床に下ろし、無数に広がっていく根はそれぞれが意志を持つかのようにうねりながら、領土を広げていく。

「こ、こんな所に居られるか!」

 すぐ近くにいた豪山は息を切らしながら窓を震える手で開き、灰色の触手から逃げるように、叫びを上げ、窓の外から飛び降りた。

 仲間が逃げたというのに、無顔の異形は反応を示さない。というよりも、何を思考しているのか、何に反応を示しているのかすら、全く読み取ることが出来ない。ただ、脈を打つ体表によってびくびくと揺れ動いているだけだった。

「おい、おい! 動けるか! 取り敢えず逃げるぞ!」

 懐に注射器を仕舞むと、隆一は目の前の光景に呆気を取られ、動けなくなった友人達の意識を現実に引き戻すために、肩を揺らし、大声で気を向けさせる。

「んっ……あ、ああ!」

「……はいっ」

 迫りくる肉塊の波に、心すら飲み込まれようとしていた精神を取り戻した二人は、隆一に手を引かれるまま、急いでその場を後にした。

 部屋から出てから程なくして、元いた部屋の扉から窮屈そうに肉の蔓たちが押し出されていく。

「はあ、はあ」

 尋常でない速さで走ると、ざっと一五〇メートルはあった階段は目前に辿り着いた。三人は開ききった扉から入り込んでくる外光に安堵を覚える。だが、立ち止まってはいけない。後ろから迫る、粘度を持った水気を纏う肉と肉が擦れ合う醜悪な怪音は、確実に迫ってきているのだから。

「よし、あと少しで……!」

 勢いよく、されど足元を取られないよう細心の注意を払いながら階段を駆け下りていく。

 行き先に散らばる埃や小さな木片を蹴散らし、三人はついに扉を目前にする。距離は一〇メートルを切った。

 しかし、

『だカらぁ、逃がさナいってェ』

 姿は見えないが、確かに異形の声が響いた。そして、その声が発されると同時に、床が割れ、天井まで伸びた幾本もの肉蔓が、三人の行く手を阻む。脈動し、震えるそれは彼らを嘲笑っているようにも見える。

「ちっ……こうなったら」

 街田達の前で魔人の姿を見せるのは気が引けたが、なりふりは構っていられないと、青年は無地の注射器を取り出し、左腕に当て、プランジャーを勢いよく押し込もうとした。

 直後、彼の行動を見ているかのように、道を塞いでいた触手の一本が注射器を勢いよく払いのける。

 弾き飛ばされた注射器は床に勢いよく叩きつけられた。強化プラスチック製であったため、割れることはことはなかったが、バウンドして壁際まで転がっていく。

 すぐ後ろにまで迫っていた肉の波は、逃げられなくはない速度にまでわざと落とされた。

『さァ、鬼ごっこをしヨう?』

 声色は無機質であったが、悪意と嗜虐性を含んでいた。



 APCO・指揮車両にて。

 APCOは、旧学生寮の周辺の地面から突如として現れた灰色の肉塊の猛攻によって、後退を余儀なくされ、指揮車両内では、その情報収集及び対応策立案に奔走していた。

「現状はどうなっている」

「依然として、建物の周囲は触腕によって近づくことすら難しい状況のようです」

 コンソールデッキを背にして、今回の案件の指揮を担当している東藤は、睨み顔で走り書きが記された付箋を、机に敷かれた旧学生寮及びその周辺の地図に貼り付けつつ、直属の部下である高水の報告を聞いていた。

「そうか、保護した容疑者はどうだ?」

「建物から飛び降り、助けを求めてきた豪山によると、灰色の触手は協力関係にあった三ツ木裕之のモノだそうです。彼は今、二階東側奥の寝室にいるだろうとのことでした」

「……内部と連絡が取れない現象については?」

「応戦した時に回収した、触腕の破片から、分析班が調査を行った所、あの物体を覆っていた粘液が通信を阻害する効果を持っているのではないかという見解が出されました。豪山の証言によれば、本来誰にもばれないよう消すつもりだったらしく、総合して考えると通信障害の原因は、現状三ツ木によるものと断定してよいと思われます」

「ふぅん……」

 東藤は顎に手を当てながら顔をしかめ、この状況をどのように打開するか思案する。

 灰色の触腕が現れてから三十分が経過し、中はどうなっているかすら掴めていない状況。その上、異変に気付いた学生や教師が騒ぎ始めている。既に情報は外部へと漏れ、マスコミの車やヘリは規制を掛けて追い払ったものの、騒ぎは拡大するばかりだ。

 一体この状況、どうしたものか――――



 旧学生寮・一階食堂にて。

「ぐっ……啓! 峰山! なんか壁になるもの!」

「おっ、おう!」

 隆一は背中を使って悲鳴を上げる古びた扉を抑え、街田たちに向かって叫ぶ。その声に従い二人はテーブルや椅子、その他諸々を慌てて運んでくる。しばらくして、急ごしらえではあるが、扉を抑えるのには十分なバリケードを造ることが出来た。しかし、扉は相変わらず軋み、不気味な鳴き声を上げている。

 街田と峰山はひとまず安堵のため息を吐き、休憩するため、使わなかった椅子には目もくれず、そのまま埃を被ったカーペットに腰を据えた。

 そんな中、隆一は窓の外を確認する。

 外でも無数の灰色の肉塊が蠢いており、ここから逃げようとは思えない。

 これではまるで檻に入れられた囚人のようではないか――――そんな感想を隆一は持つ。

「なあ、隆一。あの……さ」

「ん? ……なんだよ」

 バツが悪そうに、街田が隆一に話しかける。

「聞いても、いいか?」

「ああ、モノにもよるけどな」

 外の様子を確認しながら言う隆一の顔を窺いながら、街田は慎重に言葉を選び、口にしていく。

「あの眼鏡……三ツ木だっけか。あいつのアレ、何なんだよ」

「“ブルーアイ”って知ってるか?」

 窓を背にして、隆一が静かに問う。

 幸い、街田にもその知識はあった。

「木島が言ってた……願いを叶える薬、だったよな」

「そう、合ってる。確かに、余命僅かだった友達は健康体にもなったし、あの三ツ木はテストの成績が今までより段違いで伸びたって話だ。俺だって……。願いを叶え、悩みを解決するってのは確かに本当なのかもな」

「俺の質問に、」

「でも、代償として化け物になる」

「え?」

「三ツ木も、俺も同じ化物なんだよ。俺は人間じゃない」

「はあ? お前何いってんだ。どう見てもお前は」

 街田の脳裏をある光景がよぎる。

 それは、隆一が触腕へ青い雷を放った時の光景。

「そうだ。俺とあいつは同じなんだ」

 埃に塗れた部屋に虚しい声が響く。



 滝山学園・二階廊下にて。

 既に放課後であったため、すし詰め状態とまではいかないものの、学園の廊下は同じ敷地内の旧学生寮で起きている謎の事象をこの目に焼き付けようとする学生、教員で埋め尽くされていた。その中には、クロエとその友人の三人組の姿もあった。

「ねえ、アレやばくない?」

「うん、やばい。ってか何アレ、イカ?」

「いやイカじゃないでしょ。新種的なアレでしょ」

手に持った携帯越しに、遠く離れた奇妙な現象を観察し、友人との会話を弾ませている。

「新種的なアレって……ってえクロ~アンタ驚かないわけぇ?」

「えー? めっちゃ驚いてるって! 驚いて声が出せなかっただけだよー」

 それにしても、隆一の意味深な発言……あの中にいるのかな――――繋がらない彼との電話に一抹の不安を抱えながらも、どこか、彼ならばこの状況を切り抜けるのではないかという予感もあった。……彼女は本来、彼の味方をするべき立場ではないのだが。

「はあ……」

 携帯を懐に仕舞いこむと、少女はため息を吐き、友人と共に外の騒乱の成り行きを見守り始めるのだった。



 APCO・装甲機動隊指揮車両内にて。

 揺れ動く車内で、装甲機動隊・第一班の班長を務める荒城が向かい合って座る部下たちと作戦会議を開いていた。部下たちはそれぞれタブレット端末を持ち、それに映る現場の写真や地図を見ながら話を聞いている。

「……以上が捜査班から送られてきた現場の状況だ。中にいるのは滝上隆一を含めた四名。うち一人が“ブルーアイ”を摂取している。名前は三ツ木博之、それが今回の対象だ。三ツ木は建物の二階に潜伏していることが判明しているものの、建物の半径七メートルは奴の肉体の一部によって封鎖され、近づくことすらままならないそうだ」

 画面が切り替わり、旧学生寮の内部地図になる。

「では、今から作戦内容に入る……」

「…………」

 待っててね、兄さん――――



 滝山学園・屋上にて。

 蒸し暑い風が唸り声を上げ、吹き荒ぶ。

 立っていることがやっとの環境の中、給水タンクの天辺に器用に立ちながら、細く煌びやかな装飾が施された黒い傘を、ステッキのようにタンクに立て、体重を軽くかける黒ずくめの男の姿があった。

 男はこの環境にいながら汗一つ掻かず、余裕の笑みすら浮かべている。

「んー! やっぱり来てよかったねえ。いやー友と友の組み合わせでこうも面白い結果になるとは! 博士にもこの風景を送ってやろうじゃあないか。今後の役に立つだろうしねえ……。それにしても、また隆一くんがいるんだ。つくづく、私と彼は縁があるらしい。是非一度、お茶でもしてみたいものだ」

 黒い携帯を用いてこの風景を写し取る、黒ずくめの男【幻相】。



 それぞれの思いや立場が絡み合い、悲鳴を上げながら肥大する欲望は更に加速していく。

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