episode5-9 欲望との邂逅/思い出の笑顔
滝山学園の二年A組にて。現在は昼休みの時間、生徒たちは思い思いに自分たちの学生生活を謳歌している。そんな中、教室の隅で仏頂面を浮かべながら、参考書片手に一人食事を取っている、三ツ木裕之。
そして、そんな彼の所へ足を運ぶ、峰山恵水の姿があった。
「三ツ木くん、ちょっと……いいですか」
「何? ……もう足りなくなった?」
三ツ木は、周囲をちらちらと確認する峰山の背後にいる男に目を目をつける。それにより、人相がお世辞にもいいとは言えない、青年が教室から自分をを見ていることに気付く。
緊張している様子の峰山を尻目に、三ツ木は参考書とサンドイッチが半分残った弁当を片付け、ため息を吐きながら立ち上がった。
彼の動きに、峰山は少しびくつき、身体が僅かに跳ねらせる。
「じゃあ、ちょっと屋上に行こうか。そこのヤツも、さ」
滝山学園、屋上にて。
頭上では、幾つもの白い雲が青空を悠々自適に流れ、頬を荒く生温い風が撫でつける。
この場にいる三人の男女を取り巻く空気は、仄暗く冷たい、お互いを敷居で隔てているようであった。それでいて、相手の考えを探るように、表情や些細な仕草でさえ見逃さない。
まず、口を開いたのは三ツ木だった。
顔は柔らかな笑みを浮かべているが、同時に、貼り付けたように不自然で不気味であり、底知れない何かを感じさせる。
隆一はこの顔に既視感を感じた。それは、今は亡き友人の浅見浩介、その内に眠っていた異形の姿である。彼が持つ、記憶の海の底に沈んでいた苦い記憶が無理やり呼び起こされ、彼の背中を怖気と冷たい汗が奔る。
「早速本題に入るんだけど。わざわざ、この子を使って僕を呼び出したってのはどういうことか、教えて貰えるかな?」
ここまでは想定内だ。問題ない、落ち着け自分――――隆一は東藤からのアドバイスを貰いつつ、試行錯誤を重ねた(……と言っても寝る前の数時間だが)成果で自身を勇気づける。
「実はさ、お前が例のヤツを売ってるって聞いてさ。それを俺にも売ってくれねえかなって思ったわ・け・よ」
なるべく、頭とガラが悪そうに。如何にも退屈を持て余している馬鹿なボンボンという姿を演じ、相手の警戒を緩めさせる。囮ならばこれが一番手っ取り早い、かつ、素人の隆一にでも出来るのではないか、という東藤の案である。
ちなみに、隆一の胸ポケットに入っているペンは、カメラを内蔵したAPCO特製の備品である。そして、その映像は滝山学園の駐車場スペースに停められている、APCO捜査班の偽装トラックに送られている。
「ああ、勿論金ならある。なんたって俺んちは金持ちだからなー。ちょっとお小遣い頂戴っていったらすぐにくれるんだ」
嘘である。滝上家のお小遣い事情は厳しい。
幸い、父親譲りの強面を保っているお陰か三ツ木や峰山が嘘に気づいた様子は特にない。
「へえ、そこまで解ってるんだ。でも、僕が売ってるのが何か、本当に知っているのかな? もしも知らなかったとしたら、君はビビッて漏らしてしまう。どころでは済まないかもしれないよ?」
三ツ木が隆一をからかう様に、薄ら笑いを浮かべる。
三ツ木は恐らく試しているのだ――――額から流れる汗が頬を伝う。
目の前の男からの敵意と挑発、そして蛇のように絡みつくような視線は、隆一の本能を刺激し、彼の警戒心を強めていく。
「……“ブルーアイ”、願いを叶える薬だろ? 俺はそれをお前から買いたいんだけど」
「へえ、どうして?」
「客の私生活に関わることだ」
「まだ君は客じゃない。それにこれは、そこら辺でやっているような普通の商売じゃない。君にアレを売るかどうかは僕の意志に委ねられている」
三ツ木の笑顔に好奇心と愉悦の色が混じる。
気味の悪い仮面はその不気味さを一層増していた。
蛇は心まで這いずり、締め付け、その舌で繊細な部分を味わう。
「ちょっと隣の麻黄高校のヤツと喧嘩しちまって」
「で、ぼろ負けしちゃって、その相手を見返したいっていうところかな」
「……ああそうだよ! だって負けたまんまだと悔しいだろ!」
「……へえ!」
隆一の言葉を聞いた瞬間、三ツ木は表情が何かに満たされたような笑みに変わる。彼の琴線に触れる何かがあったのだ。それと彼が持つ歪な感情が関係していることは、想像に難くない。
二人の目を憚らず、三ツ木は頬を紅潮させながら早口で捲し立てる。
「そっかあ、そうなんだあ。いやあ、君みたいな一見何も考えてなさそうな人種でも、悩むことはあるんだね。その鬱屈した感情、とてもいいね! うん、とてもいいよ! よし、じゃあ放課後に来てよ。場所は後で連絡するからさ。ああ、その時は是非峰山くんも来ること、わかったね。それじゃあ」
捲し立て終わると、満足したように屋上を後にする三ツ木。
その一部始終を二人の男女は息を呑みながら、耐え、見守る。そして、ドアが大きな音を立てて閉まった時、
「はあ……」
二つの大きなため息が屋上の風にかき消された。
男女の表情は暗く、仕舞いには女の方が男を恨めしさと不安が入り混じった瞳で見つめ始める。
「で、これからどうするんですか?」
「最悪だな。最後はもう三ツ木の手のひらで転がされちまったし。でも、従うしかなさそうだ。峰山には申し訳ないけど、一緒に来てもらう。こっちでも、峰山の安全を確保できるように最大限の配慮はしていく」
「お願いします」
「ああ」
隆一は峰山を屋上から退かせると、携帯で東藤と連絡を取り、今後の対応について昼休みが終わるまで話し込んだ。そして、
「……」
その様子をじっと見つめる一つの視線があった。
時は経ち、隆一の通う二年C組にて。
予想外の展開に漠然とした不安を抱えながら、彼は授業を受けていた。
「はい、では次の所を一六番の……滝上くん!」
「…………」
黒ぶちの眼鏡をかけた老年の教師の呼びかけに彼は応えず、いや、気付いた様子すらなく、窓の向こう側を見つめ、挙句の果てに長いため息を吐く始末。その姿に、普段は仏と呼ばれる老年の教師もこめかみに青筋が立つ。……仏と呼ばれる本当の所以は、性格ではなく、その容姿にあるのだが。
「んんっ! 滝上くん!」
「……隆一、呼ばれてるよ」
「え? ああ! はい!」
後ろの席に座る友人によって、密やかに現世へと引き戻された隆一は、声を裏返しながら立ち上がる。
「はあ……もういい、座りなさい。後でまた当てるから、次の所、黒渕さん」
「はい、」
頬を赤く染めながら、席に座る隆一。その後も、授業に集中できず、授業が終わるまでクラスには散発的な笑い声が響いた。
斜め後ろの席から、彼の一部始終を街田は真剣な表情でじっと見つめていた。
放課後、同教室にて。
日はまだ高く、青い空の下、校舎の内外から生徒たちの明るい声が聞こえてくる。
そんな中、二人の青年は机を囲いながら、鬱々とした雰囲気を放っていた。
「はあ、最悪な一日だ……」
「どうしたんだなー? 朝から変だぞー」
「いやいや、気のせいだよ。ふとやん」
大柄な友人、太山による心配をよそに、隆一は帰り支度をし始める。
その様子を太山は不思議に思いつつも、深く詮索せず、笑顔で隆一と別れた。
「よし、行くか」
しばらくして、一通り教室でやることを終わらせると、隆一は鞄を自席に引っ掛けて教室から去ろうとする。すると、
「隆一、帰らないの?」
彼の後ろから声が掛かる。
振り返ると、その声の主はクラスメイトの竜ヶ森クロエであった。クロエは机の天板に軽く腰を預け、友人と会話している最中だったらしい。
二人の取り巻きも半笑いを浮かべて隆一の方を見ている。
「ああ、ちょっと色々あってさ」
「ふーん、そっか、そっかそっか」
「あー、今日は早めに帰った方がいいと思う」
「え? なんで?」
「い、いや、あっ俺そろそろ行かないと! とにかく! さっさと帰れよ!」
携帯を見やると、それ以上の追及を振り切るため、足早に教室を後にした。
そして、青年が去ってからしばらく、三人の少女が他愛無い世間話に戻り始めた時、
「早めに、ね」
白髪の少女の意味深な呟きが、誰の耳にも届くことなく教室の壁に吸われていった。
夕暮れに包まれた、滝山学園・旧学生寮にて。
鬱蒼とした木々に囲まれた、既に役目を終えてから早二〇年余りが経とうとしている古びた木造の建造物は所々木の板が剥がれ、植物の蔓が巻き付き、ただならぬ雰囲気を放っている。その二階の教室で、二人の男たちが待ち構えているのだ。
「あっ、滝上くん。約束の時間にギリギリですけど、何かあったんですか?」
「おう、ちょっと色々と……万全を期すための必要な準備をな」
ここへ来るまでに、トイレで待機中のAPCOとメッセージによるやり取りを行ってきたのだ。それにより、学園の校舎から二〇〇メートルほど離れた目の前の建物を、一〇数名の武装したAPCO捜査班の突入部隊が秘密裏に取り囲んでいるのだ。
万が一のことを想定し、装甲鎧を載せた指揮車も学園に向かっている。
これ以上ないほどの手厚いバックアップ、隆一が持っていた漠然とした不安はどこかへ飛んでいた。
今回、彼がすべきことは二つ、相手が“ブルーアイ”を売ろうという場面を外で待機しているAPCOへ送ること、そして、
「? 早く行った方が良いんじゃないですか?」
傍らにいる、親友の思い人を守り抜くことだ。
「そうだな」
二人の男女は、“危険立ち入り禁止”と書かれた看板を提げた、黄色と黒の紐を潜り抜けて、所々ささくれが目立つうち開きの扉を開く。辺りに錆びた蝶番の不気味な悲鳴が響き渡った。
大きな額縁に描かれた初代学園長と玄関が視界を覆いつくす。隅は蜘蛛の糸が張られ、絡めとられた蜂が弱弱しく抵抗し、そこへ掌ほどの大きさの蜘蛛がにじり寄っている。床は砂埃や泥、葉、枝、何処からか入り込んだ木片などが散乱していた。
一歩一歩進むごとに、床板がしなり泣き声をあげ、薄暗い室内をさらに気味悪くする。
階段の段はすべて残っているものの、端などが一部腐食したり、欠けたりしている。階段も床と同様に軋み、呻き声をあげる。二人は踏み抜かないよう慎重に、ゆっくりと上っていく。
ふと何かの気配を感じ、隆一が振り返るが、それは何らかの小動物の気配のようだった。
足元を見やると、今までの足跡と靴底の溝に収まりきらなかった灰色の埃が見える。
「滝上くん? 先に行きましょうよ」
「おう、そうだな」
感じたささくれのような違和感に、後ろ髪を引かれながらも進んでいく。
元は明るい赤色をしていたであろう、くすんだ赤茶色のカーペットに従ってしばらく歩くと、段々人の気配が近づいてくる感覚がした。同時に、鋭い針の圧迫感が全身を包み込んでくる。
その圧迫感を強く感じる扉の前に立つと、
『やあ! 遅かったじゃない』
扉に遮られくぐもった声になっていたが、確かに三ツ木のものであることが分かる。
そして、言葉を発していないが三ツ木とは違う気配もあった。
「…………」
隆一は喉を鳴らし唾を嚥下する。間を入れず、ゆっくりと扉を引く。
そこには、
「よお、滝上。元気してたか」
隆一の中の思い出と寸分違わぬ、恩師の笑顔がそこにあった。
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