episode5-7 強敵との再会/謎のお茶会
「はあ……はあ……」
階段を物凄い勢いで駆け下りていく音が、階段は愚か廊下中に響いていている。
その音の源は隆一であった。隆一は額から大量の汗を垂れ流しながら、息を荒げていた。それは肉体的な疲労からくるモノというよりは、精神が由来のモノであった。友人との確執が出来てしまったこともあるが、何よりも、尊敬していた教師が人の道から外れてしまったということが、隆一の精神に多大な負荷を掛けていた。
教室の扉を勢いよく跳ね除け、自身の鞄を机からひったくり、下駄箱へ向かう。
「あれ? 隆一? まだ帰ってなかったの?」
明かりが灯った下駄箱で、グループに属していたクロエが隆一に気が付いて話しかけてきた。取り巻きの二人の女子は隆一とクロエを交互に見合わせながら、ひそひそと話し始める。
「あ、ああ……ちょっと色々あってさ」
何も知らないクロエにありのままを話すわけにはいかないと思い、隆一は靴を出しながら、作り笑いを浮かべた。背中がじっとりと汗で濡れる。先ほどまでの光景が頭をフラッシュバックして、今にも叫びだしそうだ。
「……そっか。じゃあ、一緒に帰らない?」
クロエがそう言った瞬間、女子二人が黄色い歓声を静かに上げ、クロエに耳打ちをすると二人して昇降口から勢いよく駆けだしていった。
残された隆一とクロエの間に、微妙な空気が流れる。
だが、自身にのしかかっていた重圧は抜けていったように隆一は感じた。
「ず……随分と元気だな……」
「そ、そうねー」
「……はい。“ブルーアイ”と受け渡しの動画は押さえました。けど、肝心の売人の方は……はい。分かりました。…………? ……はい、大丈夫です。それじゃあ」
すっかり暗くなった通学路の途中、隆一はAPCO捜査班・東藤との通話を終えた。
離れた所で待ってもらっていたクロエに隆一は勢いよく駆けていく。
「……誰と話してたの?」
「ん、ああ、いや、ちょっと親に」
「へー隆一のお母さんとお父さんかー。一体どんな人なんだろうなー。絶対隆一ってお父さんにだよね」
「な、なんのことかな……」
言えない。最近顔がどんどん似てきてることなんて――――
「ふふっ」
「な、なんだよ。人の顔見て笑って」
「いや、顔が随分優しくなったなって思ってさ。さっきはかなり怖かったからねー」
「……ああ、そっか……なんか、ありがとうな」
隆一はクロエと会ってから、随分と気持ちが楽になった気がした。不思議と彼女といると心が安らぐ、長い時間を共に過ごすようになってからは、特にそう感じていた。
隣であどけなさの残る妖艶な微笑を浮かべる少女に隆一は頬を赤く染める。
「ふふっどういたしまして」
「……」
同時に、心配して言葉を掛けてくれている彼女に対し、隠し事をしていることへの罪悪感が芽生えていることにも、隆一は気付いた。
しばらくの間、心地の良い沈黙が続いたが、駅前を通りがかった時にそれは破られた。
「ねえ……」
「ん?」
駅に構える多くの店から漏れ出た眩い光が、クロエの横顔がライトアップされる。
隆一は横目でその美しく輝く美貌を眺めつつ、クロエの言葉に耳を傾けた。駅前であるために、少々騒がしいが聞く分には問題のない範疇である。
「そこの、お店寄ってかない?」
そう言いながらクロエは五メートルほど先にある、“珈琲照井”と書かれた看板の店を指差した。こんな時間にコーヒーを出している店に出会うとは思ってもみなかった。取り敢えず、隆一は深く考えることをやめ、クロエの話に集中することにした。
「開店セール券がポストに入ってて、前から気になってたんだけど、私そういうの詳しくないし、一人で入りにくいし、隆一はコーヒー詳しいでしょ? おすすめ教えてよ……どう、かな?」
おかしい、クロエは仲間を作ることに長けている上、こういったことには物おじしない性格だったはずなのだが――――隆一は疑問を覚えた後、すぐに脳裏に電流が奔った。
こ、これは! もしやあれか!? 一緒にお茶がしたいという、アレなのでは!? 恥ずかしくて口に出せないけど、精一杯の勇気を振り絞ったという……伝説の……あの! ――――
「いいな! 行こうか!」
この返答までの時間、僅か一秒。
クロエが関わるとどうにも様子がおかしくなる隆一であった。頭の中の考えが透けて見えないというのはとても幸運なことなのだろう。
二人は笑顔でシックな木造建築の店内の前に立った。コーヒーの香りと新築らしい木の香りが二人の鼻孔をくすぐる。そして、隆一がいざ扉を引く。だが、扉に取り付けられた洒落たデザインのカウベルが鳴ることはなかった。
「あの……竜ヶ森? 扉を抑えられると、その、開けられないんだけど?」
隆一が力を籠めても、扉はピクリとも動かない。これ以上の力を加えれば、むしろ扉が壊れるのではないかと思うほどに力を入れているのだが、その力は拮抗している。心なしかミシミシと取っ手が悲鳴を上げているような気さえしてきた。
「ご、ごめん隆一。私ちょっと今日用事があるの忘れてたー。割引券はあげるから、楽しんできてね! じゃあね! ホントごめん!」
「え? あっちょっと!」
口早に言葉を隆一へぶつけたクロエは、扉の取っ手を素早く離し、隆一にに割引券を握らせると、苦笑いを浮かべながら眩い闇夜の雑踏に消えていった。まさに電光石火、一瞬の出来事だった。
隆一はばつが悪くなり、帰ろうかと思ったが、クロエから手渡されたクーポンを無駄にするのもいけないことだと考え、羽のように軽くなった扉を引いた。
店内の照明が一段と輝いて見え、新たな顧客の来店を甲高い鈴の音が祝福する。
店内を見渡すと、気難しそうな店主らしき気難しい顔を浮かべた男と目が合う。
先程の騒々しい会話を聞かれていたと思うと、隆一は何だか気恥ずかしくなり、首筋に片手を当てながら隅の四角いテーブル席へと歩いて行く。
意外と悪くない。落ち着いた雰囲気の良い店だ、と隆一は思った。
派手で騒ぐのが好きそうな恰好をしたカップルが静かにドリンクを飲んでいるし、年配の老人たちも話をせず一様にどこかを見ている。親子で来ているのだろうか、三歳ぐらいのはしゃぎ盛りの子どもが親に言われずとも奇麗に背筋をピンと伸ばしながら黙ってジュースを飲んでいる。……うん、静か過ぎて不気味なくらいだ――――隆一が引き返してどこかへ帰ろうかと思った、その時、
「おい」
窓側から隆一に向けて声が掛かる。
一体誰だ――――隆一はこんなおどろおどろしい声を持つ人物など知ら、
そこには筋骨隆々で黒いTシャツを着た、歴戦の戦士のような男が、胸囲よりも小さな、黒の下地に金色の蔓が端に描かれた洒落たメニュー表を片手に、物凄い威圧感を放ちながら隆一を見つめていた。身体からは物凄く黒いオーラを纏っているようにさえ見える。
知ってた――――
幻獣を束ねる【幻祖六柱】が一人。炎を操る猛将【轟焔】がいた。メニュー表を持って。
「お前、何やってんだよ。こんな所で」
「休暇だ」
あるんだ、休暇――――どうやら、悪の組織と言えど休暇はあるらしい。
とはいえ、敵は敵。隆一は【轟焔】が何をするのか様子を慎重に観察する。
【轟焔】が口を開き、隆一は身構えた。だが、予想していたものとは大きく違った。
「まあ、座れ」
「は? お前何言って」
隆一は思わず気の抜けた声が出てしまう。
「座れ」
「はい……」
圧巻の威圧力だった。隆一は【轟焔】の言う通りにして、対面する形で座る。このようなタイプの緊張を表すなら、そう、面接を受けている最中。これが一番近いのではないだろうか。
合点がいった。客が黙っているのはコイツの仕業だ――――
本当に奴がここに居るのは休暇だからなのか……? ――――隆一は【轟焔】の言葉が信用できず、自身の今日までの生活を振り返り、何故ここにいるのかを考えてみることにした。
「あっ! さてはお前、俺が何をやろうとしているのか知って、殺しに来たんだろう!【幻相】辺りの命令で! てか、今回の事件もあいつが絡んでるんだろ!」
「? 何の話だ? あと、店で騒ぐのはよせ。他の人に迷惑だろう」
「お前に言われたくねえよ! 見ろよこの周りを! お前の雰囲気やばすぎんだよ!」
毅然とした態度でコップを拭くマスター以外の客が何度も首を縦に振る。
隆一や客の反応を見た【轟焔】が地響きが聞こえてくるような雰囲気を醸し出しながら立ち上がった。そして、口を開く。
「皆さん、すまない。私は彼が遅刻してしまったせいで、少々気が立っていたようだ。決して皆さんに危害を加えるようなことはしないから、どうか安心して欲しい。さあどうぞ自分の時間を楽しむといい」
【轟焔】の尊大ながらも相手を配慮したような言葉に、隆一のみならず客たちでさえ驚いた。そして、客は普段の日常をぎこちないながらも演じ始めた。そんな、ある意味でカリスマ性のようなものを隆一は【轟焔】から感じ取る。
「で?」
【轟焔】が隆一に向けて何かを問いかけてくる。
「で? ってなんだよ」
「貴様、茶を飲みに来たのではないのか? 注文しろ」
「は? ああ、じゃあ……んー、……すいませーん! ブレンドコーヒーを」
「私は……ううむ。では、……同じものを頂こうか」
呼びつけた店員はびくびくと【轟焔】の方を確認しながらも、震える手でテキパキと注文を取り、そのままカウンターへと戻っていった。周囲からはぽつぽつと他愛のない会話が聞こえ始めてくる。
「お前、まだ何も頼んでなかったのか? まあ、だから注文表を見てたんだろうけど」
「ああ、何を頼めばいいのか迷っていたからな」
「へー、あんたみたいな奴でも迷うことってあるんだな。因みに……どれくらい悩んでた?」
隆一が質問すると、【轟焔】は大木のような腕を上げ、時計を指差した。【轟焔】が腕を動かすだけで風により隆一の髪が舞い上がる。
「あの短い針が今指している数字の三つほど前だな」
「長えなあおい!」
こいつ以外と天然じゃないか。父さんと同じタイプか? ――――
いや、そもそも、何で敵とこんな会話をしているんだ。そんなことよりも聞くべきことがあるんじゃないのか――――隆一は思考を切り替え、他の話をすることにした。敵の幹部と接触したんだ、この機会をみすみす逃す手はない、と。
「なあ」
「……どうした?」
二つのコーヒーが子気味の良い音を立てながら、二人の手元に置かれ、湯気と共に香ばしい独特な香りが鼻孔をくすぐる。
隆一はそれに口を付けながら【轟焔】にそれとなく話し掛けた。
が、【轟焔】の反応は鈍い。どうやら手元に置かれた、湯気の立った独特な香りがする黒い液体が気になっているようである。
だが、隆一からすれば、そんなことを気にしている暇はない。
こいつらの目的を聞くか……いや、先ずは気になることから行くか――――
「お前の所にさ……俺に……あの白い姿をした時の俺に似た。黒い奴いるよな?」
敢えて、現在滝山学園で起きていることは話題にしなかった。【轟焔】を通じて、恐らく今回も裏で手を引いているであろう【幻相】にこちらの情報が筒抜けになることは避けたかったからだ。
恐る恐ると言った様子で、白いカップを口元に寄せた【轟焔】は、ちびちびと黒い液体を口に入れ、目を開いた。心臓が弱い人間であれば心臓が止まるのではないかと思うほどにその姿は怖い。
しばらくして、【轟焔】が口を開いた。
「……美味いな」
隆一は思わず体勢を崩す。
おい、俺の話聞いてた? ――――
「ふう……。これも“王”の導きか。教えてやろう。……それは恐らく【疾風】のことだな」
「【疾風】……」
【疾風】、まさに風を操る幻獣として相応しい名前と言えるだろう。それにしても、コイツと同じ幹部クラスだったとは、厄介な相手が増えた――――隆一は今後の戦いはさらに苛烈さを増していくことだろうと考え、頭を抱える。
「貴様と同じ、“混ざりモノ”だ」
「“混ざりモノ”、シーカー……“ブルーアイ”とかのそっちでの呼び名だな」
「奴に関しては……私もよく知らん。姿が貴様と似ている理由もな。何しろ秘密主義者の【幻相】の奴が従えている奴だからな。普通ならば【幻祖六柱】には通過儀礼を行って初めてなれるものだが、【疾風】はそれを行っていない。ある日突然、【幻相】が連れてきて欠員に捻じ込んだ。通過儀礼、というのは伝統的な祭りのようなものでな。民の娯楽でもあり、我らにとっても重要で意味のあるものだ。当然、それを行っていない【疾風】は民からの信用は低い。……だが、それでも、実力は確かだ。そこは認めるしかない」
どうやら幻獣は成熟した文化を持っているらしい。あと、【轟焔】と【幻相】の相性はお世辞にもいいとは言えなさそうだ――――隆一は内心で、敵に対してそういった感想を持つ。柳沼を見ている以上、ある程度の教養があると考えてもおかしくないのだが、机を挟んだ目の前に強敵がいる状況では無茶な話である。
気分を落ち着けるため、隆一は生温くなったコーヒーを口に運ぶ。
【轟焔】はコーヒーが余程気に入ったのか、怯える店員を呼びつけてコーヒーを追加で注文していた。次に頼んだものはエスプレッソコーヒーのようだ。
「私が教えるのはここまでだ。今度はお前から話を聞こうか」
【轟焔】の鋭い視線が隆一の瞳を貫いた。
その眼力によって、隆一は椅子から跳ね上がるような動きをしてしまい、机に置かれたカップがかちゃりと音を立てる。背中をじっとりとした冷たい汗が濡らす。
どんな質問をしてくる気だ――――返答次第でここが戦場となる可能性さえある。隆一は神経を張り巡らせた。
「【聖賢】は、元気か?」
意外、という表現が一番適しているのだろう。
神妙な面持ちで自身に聞いてくる【轟焔】の様子に、隆一は呆気に取られた。
以前は冷酷な敵としか見ていなかった目の前の人物のもう一つの顔を目の当たりにし、【轟焔】という一個の存在への認識を改める。
「ああ、元気にしてるよ」
そうか。と短く発すると【轟焔】は運ばれてきたエスプレッソを口にする。
それにつられるように隆一もカップを口に運ぶ。カップ共々、中身の液体は大分温くなっていた。だが、決して不味いわけではない。エスプレッソを運んできた店員に、ブレンドコーヒーを追加注文する。
ほんの僅かな間を空けて、
「おい」
「な、なんだよ」
二人のコーヒーが新しくなった時、エスプレッソの苦味に顔をしかめる【轟焔】が、物憂げな顔でカップの縁を撫でる隆一に話し掛けた。
「貴様、何を悩んでいる」
「は? 俺は悩んでなんか」
「それは嘘だな」
【轟焔】が隆一の否定をぴしゃりと遮った。
「何で嘘だって思うんだよ」
「そういう目をしているからだ。……これも“王”の導きかもしれんな、話せることなら話してみろ。話せることならな」
全く、こいつには敵わない――――【轟焔】の何もかもを見透かすような視線に、隆一は観念して、話すことにした。それはあくまで、現在進めている案件に干渉しない範囲でである。
「とても尊敬していた恩人が……悪事を働いてた。俺は、あの人の事を何も理解できていなかった、何も、何も知らなかったんだ。それが原因で友達との関係にも亀裂が入った。今、言えるのは、これだけだ」
絞り出すような声だった。それほどまでに、隆一にとって豪山や街田の存在は大切なものなのだ。その事実を口にした途端、隆一の心に、再び行き場のない暗闇が重しとなってのしかかってくる。
【轟焔】はそれをただ黙って聞いていた。
「他者を理解していたと今まで思っていたのなら、それは貴様の驕りだ。他者の事を総て分かるモノなど、我々の世界でも存在しない。出来るのは、貴様たちが言う神なる存在のみだろう」
「俺の、驕り」
そうだ。と言って【轟焔】は平然とした顔を取りながら、苦く黒い液体を口に含んだ。
しばらくして、息を吐くとともに再び喋りはじめる。
「人とは、いや、我々ミラジオの民でさえ、決して万能な存在ではない。他者の全てを知り、それを理解することなど出来はしない。貴様がその恩人を理解していたと思えていたのは、きっと貴様が持つ若さ故だろう」
不思議と、隆一はそれを本心だと思えた。何故かは分からないが、この男は敵だが信用できる。そう言った感覚を【轟焔】に対して抱くほどに、心を許せた。
それから、心地の良い無言の時間が経ち、【轟焔】がエスプレッソを飲み干し、革財布を腰ポケットから取り出した。会計をするためだろう。しかし、すぐには立ち上がらなかった。依然として目の前の青年を見据えている。
隆一はただ純粋に目の前の先達の言葉を待つ。
しばらくして、腹の底に響くような低い声を発し始めた。それは、初めの頃よりもは穏やかさを感じさせられる。
「以前の戦い、貴様の引き際の手並みは、中々だった。引き際を見極めるのも戦士には必要な要素だ。誇っていい。だが、今後、我々と貴様たち人間の戦いは確実に激化していく。悩みを抱えたまま戦場へ出れば、確実に貴様は死ぬ」
「それ、妹にも言われたよ」
「まあ……色々と言ったが、どうするかは貴様の勝手だ。好きにしろ。次に私たちが会う場所は恐らく戦場、情になど流されるなよ」
「ああ、分かってる」
言い終えた【轟焔】はそのままレジへと向かって歩き始める。その背中は、父の背中のように逞しかった。
だが、あくまで自分と【轟焔】は敵。それを忘れてはならない。隆一は気を引き締める。
「あの、お、おおお客様、大変言いにくいのですが、代金が、足りません」
「むう?」
「ああもう!」
つくづく締まらない。
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