episode4-2 少女の行方/仮面の内側
午後一時一三分。滝山市・市街にて。
「ここら辺で竜海ちゃんとはぐれたんですね?」
椿姫は、叔母の滝上涼子とともに、従妹の竜海を探しに、彼女が消えた滝山市の市街に来ていた。
涼子と竜海は今日の午後から本家の滝上家、つまりは椿姫たちが住む家へと遊びに来る予定であったのだが、お土産を買うために、市街のとある菓子店で会計をしていた所ではぐれてしまったという。
今、二人ははその菓子店に向けて歩いている所である。
「そこの、お二人さんや」
しわがれた老婆の声が、横から二人を呼び止める。
椿姫は視線を右横に移す。そこには、黒いローブを身に纏い、フードで目元まで隠した人物が、怪しげな道具を並べた台の前に座っていた。
「何でしょうか?」
客引きだろうか? ――――椿姫はこんなことをしている場合じゃないと思いつつも老婆に対して、立ち止まり返事を返す。返事をしなかったものの、それは涼子も同じように立ち止まり、老婆の方を見ている。
「お二人さん、何かお探しかい?」
老婆は唯一露出した口元を不敵に歪ませながら、そう言った。
「お婆さん……一体何を?」
「探し物を、しているんだろう? いや物じゃない。多分、人だね」
老婆はこちらを見透かしたように、二人に向かって続ける。
二人はその自信のある物言いに焦りも忘れて押し黙った。
「貴女は一体……?」
「あたしゃ、ただのしがない占い師さ。でも、そんなことはいいのさ。どうやらあんた達急いでいるようだからねえ……」
そう言って怪しげな気を放つ老女は、占い台の上に置いた水晶玉に手をかざして、唸り始めた。
普段の正常な思考に従えば、こんなことに時間を喰っている場合ではないのだろう。だが、老婆の放つ独特な空気、そしてこちらを見透かしたような話し方。それらが二人から
常の判断力を鈍らせていた。
二人は息を呑みながら、老婆の話を待つ。
「あんた達の探し人は……男といるねえ、それも、逃げてるようだ。むむっ! 歩道橋と道路が見える……むむむ」
「歩道橋……道路? お婆さん! ありがとうございました!」
椿姫と涼子は老婆に頭を下げて礼を言うと、ここから一番近い場所にある歩道橋に向けて走り出した。その走りは凄まじく、
「あ、あのまだ話は終わっておら……あとお代……」
しわがれた老婆の声すらも振り切っていった。
同時刻。滝山市・滝上中央病院にて。
検査衣を身に纏った隆一は病院のCT検査室にいた。
何をすればいいのかわからず、取り敢えず入り口の前に立っていると、ガラスの向こうから、
『それでは、台の枕に頭を乗せて、リラックスしてください』
という女性の声でスピーカー越しに指示を出してくる。
その指示に従って、台に寝そべる隆一。心なしかその心拍はいつもより速い。
『では、検査を始めます』
その声とともに台が動き、存在感溢れる長方形の大きな機械、その中心に空いた穴を、隆一は頭から潜っていく。
今回、隆一が何故身体検査を受けているのか、それは数日前に遡る。
滝上重工・別棟・APCO研究施設にて。
APCOの生物研究班では、日夜人間が“ブルーアイ”を摂取し肉体が幻獣となった状態、ここでは俗称の“シーカー”と呼ぶが、その研究を行っている。そして、摂取した生物は変化後の姿こそ違うものの、ある一つの共通点が発見されたのである。
それは、
「見てください。この心臓部分を」
生物研究班の一班を取りまとめる主任の男性研究員が複数の写真を白いボードに貼る。それは心臓を写し取った写真で、見る者に生理的嫌悪感を与え、背筋に怖気を走らせるような醜悪さであった。
だが、これに関してはそれよりも特筆すべき点がある。
「これは、何だ?」
滝上隆源は複数の写真を見て首を傾げる。
その写真に写る、心臓のどれもに三センチほどのバツ印のような黒い歪な腫瘍が出来ていた。
「ええー今の所はただの腫瘍としか……柳沼特別顧問にもお聞きしてみたのですが、彼としましても初めて見るものだそうで……私どもの仮説としましては、これは“ブルーアイ”を摂取したことによってできる一種の器官のようなもので、これにより、接種者は人智を超えた感覚や能力を有するのではないか……と」
「そうか。で、私を呼び出した理由は何かね?」
隆源のあらゆる生命を射殺さんとする眼光が、白衣を着た男性研究員に向けられる。
向けられた本人はおろか、背後で成り行きを見守っている他の研究員たちですらも、その圧倒的な威圧感と恐怖によって卒倒しそうになる。
だが、主任は歯を食いしばり、足をしっかりと大地に立たせて眼前の鬼上司に対峙する。
「で、ですのでぇ、息子さんの……隆一君の心臓を見せていただければ……と」
その声は震えていた。だが、それも無理はない。
隆源は高校生の娘をAPCOの戦闘班の重要な役職に置いたり、状況的に仕方がなかったとはいえ、“ブルーアイ”を摂取した息子に対して何の処罰も対策も行わず、そのままAPCOで自身直属の部下にし、元の生活を送らせているというのだから、APCO内で隆源の陰の評価が『子どもに過保護なバカ親』とされるのも仕方がなかった。
そして、そんな相手に息子の心臓を見せろ。などと、宣おうものなら一体どのようなことをされるのか、良くて左遷。最悪の場合はどこかの海にコンクリート詰めにされるのではないか。というのが主任のまとめる班での考えであった。
気が元来強くない主任は、部下の言葉を鵜呑みにする、とまではいかないものの、その半分くらいは信じてしまっていた。
ああ、先に逝く私を許してくれ――――一人の気の弱い男は家族へ向けてそんなことを念じていた。
「息子の身体を切り開くというのか?」
「い、いえ! ご安心ください! 勿論そのようなことはしません! 病院の施設を用いて、胸部CT検査を受けていただこうと思っております! それにより生きている状態の接種者にも、あのバツ印が見られるのか……ということを確認したいと考えております」
取り乱したかのように慌てて補足を付け足す主任。
その言葉にほっと胸をなでおろした隆源は、見た者を凍り付かせるようなぎこちない微笑を浮かべ、
「そうか……分かった。病院の手配は私の方からしておこう。その方が簡単だろう。……それで? 話はそれだけかね?」
「は、はい! そ、それだけですぅ! わざわざご足労をかけてしまい、申し訳ありませんでした!」
「いや、気にすることはない。“シーカー”いや、幻獣について明らかになっていくことは私、いや、我が一族にとっても喜ばしいことだ。この争いに一刻も早くの終止符を打つためには、君たちの働きに掛かっている。……期待している」
隆源はそう言い残して、部屋を後にした。室内の重苦しい空気が抜け、平穏と静寂が戻る。
「ふう……何とか、なったぁ……」
「やったじゃないですか主任!」
足から崩れ落ちるようにして腰を床に下ろす主任。それに駆け寄る部下たち。それはまるで強敵を打ち砕いたかのようであり、爽快感、清涼感が漂っていた。
そうして、現在に至るのである。
『はい、これで検査は終わりになります。長時間お疲れさまでした。検査へのご協力感謝します』
淡泊な声で検査の終わりと、妙にへりくだった感謝の言葉がスピーカーから流れてくる。
隆一は台から降り、病的なまでに白で埋め尽くされた部屋から出て、新鮮な空気を肺いっぱいに入れる。といっても、その空気は消毒液に塗れた、人によっては気分が悪くなるようなものであったが。
「ふう……」
「隆一……苦労だった」
隆一が廊下の端によって体を伸ばしていると、検査室のガラスの向こう側の部屋から隆源が出てきて、労いの言葉を掛ける。
隆源が発する慣れない言葉に、背中が痒くなるような感覚を覚える隆一。
「お……おう……」
口をもごもごとさせながら隆一が歯切れの悪い言葉を絞り出したとき、そんな様子の隆一を見た、隆源がやや口角を上げる。
「な、なんだよ」
そっぽを向きながら、ぶっきらぼうな言葉を投げる隆一に、隆源の口角はますます不気味に吊り上がった。
「いや、気にするな。お前は……いや、お前は変わらないな、と思ってな」
「……ほんと、何なんだよ」
隆一が発すると同時に、先程隆源が出てきた部屋から一人の男が出てきて、
「理事、こちらへ」
如何にもといった科学者の風体をした白衣の男が隆源を小さな声で呼ぶ。
隆一に目配せをすると、再び隆源は元いた部屋へと戻っていた。
「で、結果は?」
隆源の瞳からは温かさが消え、底光りするような視線を白衣を着た人間たちへと向ける。
「これを見てください」
白衣を着た男、生物研究班の主任は、隆源を椅子へと座らせるとCTのフィルムをボードに張り付け、説明を始めた。
そのフィルムには、
「……何もないな?」
「そうです。様々な角度から、また、全身を隈なく探してみましたが……バツ印の腫瘍は、いえ、腫瘍の一片さえも見当たりませんでした」
主任は複数のフィルムを見せ、落胆したように言う。そして、
「隆一君の身体が特殊な事例なのか、あるいは生きている状態では印は付かないのか、それはまだ判断をつけることは出来ません。今後も、様々な検体のデータを得ないことには……何とも……」
申し訳なさそうに顔を伏せながら、主任が声を沈ませる。
「ですので、今後、多様な……け、検査を行っていきたいと、思うのですが……如何でしょう、か。“ブルーアイ”の持つ特性を調べるためも、ひ、必要なことだと思うのですが……」
喋るごとに段々と声がか細くなっていく主任。だが、言葉を紡ぐことをやめはしない。自身に与えられた職務を遂行するには必要なことだと、そう信じているからである。
しかし、隆源の表情は芳しくない。目をつぶり、何事かを考えているようだが、それを主任や他の研究員が読み取ることは出来なかった。
それは遥か昔の記憶。
ある夏の昼下がり、滝上家の道場での出来事。
「お父さぁん……手が痛いよぅ」
魔狩師としての修行をしている最中。
隆一が持っていた竹刀を投げ出し、手が痛いと言って泣き出した。その手はマメが出来て、血が滲んでいた。
隆源は一度修行を中断し、道場の隅で隆一とともに休憩を取る。そして、隆一の手のひらに包帯を巻きながら、話し始めた。
「泣くな隆一。お前はこの家に生まれた以上、私の後を継いで人類を守る人間に、来たるべき時、人と幻獣を繋ぐための橋渡し役にならねばならない。それにお前は椿姫の兄だろう? お前が守ってやらなくては誰が守る」
「うぅぅ。でもぉ、でもぉ……」
「安心しなさい。隆一、お前ならきっと出来る。きっとお前なら私に出来なかったことを為せる。何故なら、お前は強くて、優しい子だからだ」
べそをかきながら鼻を啜る隆一の頭を撫でつつ、優し気だが、芯の通った力強さを感じさせる声で隆源はそう言った。
結局、その日の修行は終わってしまったが、次の日から隆一は泣き言を我慢して修行に打ち込んでいき、めきめきとその才覚を表していった。
だが、そんな日々も無残に崩れ去ってしまう。
五年と数か月前のことである。
その日は、X県のとある岬で秘密裏に行われた、APCOと幻獣での和平を結ぶための交渉が行われる日であり、それは、記念すべき日となるはずだった。しかし、予定していた時刻を過ぎても幻獣側の使節団がくる気配はなく、APCO側には重苦しい空気が流れていた。
隆源は将来の勉強として連れてきていた隆一と椿姫を、陰鬱と澱んだ空気が流れる空間から逃がすべく、外へ遊びに行ってこいと言ったのだ。だが、それが間違いであったと思ったのは、それから数十分後の事である。
大声を上げながら泣きじゃくる椿姫の断片的な発言から、隆源は隆一が岬から落ちたということがすぐに解った。
そして、隆源は会場から一目散に駆けだし、崖の下へと降りた。
「隆一ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! どこだぁぁぁぁぁ! 隆一ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
必死の形相で息子の名を呼ぶ悲痛な叫びが周囲に木霊した。しかし、その日の波はやけに荒ぶっており、その波の音は男の叫びをすぐに掻き消してしまう。そんな状態では返事が返ってくるはずもなく、時間だけが過ぎていった。
「隆一ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
波の荒ぶりが収まった頃、捜索隊の乗ったボートが岸に到着し、隆一は落下から約五時間後に発見され、医師たちの懸命な手術の末、奇跡的に一命を取り留めたのである。
その間、隆源はただ息子の無事を祈ることしか出来なかった。
騒動から数日が経ち、意識が回復した隆一と家族の面会が許可された。事故のショックのせいで、記憶障害が起きており、なるべく当人を混乱させないようにと医師から伝えられたため、始めの面会は隆源のみで、他二人の家族は家で留守番するという運びになった。
隆源は二人には悪いと思ったが、久しぶりに息子と対面することを楽しみにしていた。
待っていろよ、今すぐにお前の所に行くからな――――
そしていざ、隆一の入院している病院を訪れた時、出迎えた隆一の担当医の表情は思わしくなかった。
「どうしたんです?」
何だ? 何があった? ――――
隆源は心の底から溢れ出てくる不安と焦燥を、愛想笑いという仮面で隠しながら医師に問う。
「今日は、面会をお止めになった方がよろしいかと……」
「何故です……?」
やめろ、やめてくれ、聞きたくない――――
続きの言葉を聞きたくないと思いながらも、隆源の口は勝手にそれを紡いだ。
隆源と似たような表情をした人間を何人も見てきた医師は、相手を傷つけると知りながらも、あくまで職務に徹した。
「残念ながら……息子さんは、記憶を失っているということが判明しました。……一度心の整理をなさってからの方がよろしいと思います」
嘘だ、嘘だと言ってくれ――――
「あっ! 待ってください! 滝上さん!」
隆源の身体は自然と隆一のいる病室へと向かっていた。医師の制止すら振り切り、人の間を掻い潜り、エレベーターを待つ時間すら惜しく、一階から八階までの長さを階段で登る。
そして、息を整えて隆一のいる病室の扉を開いた時、
「……?」
そこには確かに意識のある息子の姿があった。
ああ、ああ……――――
頭の他、小さな体躯の至る所に包帯を巻いた隆一は、隆源を見ながら、ただただ首を傾げるばかりであった。
隆源は頬を流れる冷たい雫を感じながらも、それを拭うことすら忘れ、どこかピントの外れた視線を向ける息子へ足早に近づき、抱きしめた。
「すまない、すまない……こんなことになってしまって……総て私の責任だ。こんな、こんな……本当にすまない……!」
胸の奥底から湧いて出てくるあらゆる感情を、ただそのまま口から出していく。それは息子に懺悔するようでもあり、息子が命の危険に晒された時の何も出来なかった自身を嘆いているようでもあった。
「あの……理事? どうか、されましたか?」
隆源の思考が現実へと引き戻される。
その顔は鬼をも射殺さんとする眼光と、何者にも感情を読み取らせない鉄の仮面を纏っていた。
「いや、何でもない。確かに気になることは多い。検査の内容しだいだが、その話、覚えておこう」
部屋から足早に去っていく隆源に、研究班の人間たちは首を傾げつつも、撤収作業を行っていった。
廊下に出た隆源の視界に入ったのは、どこか所在なさげに廊下の床を軽く蹴っている元気な隆一の姿であった。
「隆一、帰るぞ」
「でも……」
「どうした?」
妙に歯切れの悪い隆一に、立ち止まって声を掛ける隆源。
その顔はどこか重苦しさを帯びているように隆一は感じた。
「いや、あの……竜海のことだよ。竜海と涼子さん、今日家に来る予定だったらしいんだけど、竜海がいなくなったんだと。警察にも連絡したらしいんだけど……」
「……そうか。お前は心配なんだな」
隆一の目をまっすぐに見つめて、試すように、確かめるように言う。
「お、おう……そりゃあ、心配だよ。妹みたいなもんだし」
照れ臭くなり、途中からは視線を逸らし、口を曲げながらそう言った隆一を見て、隆源がくすりと笑った。そして、
「……ふふ、そうか。心配か。よし、なら行ってこい。私は家ですることがあるから手伝うことは出来ないが、何かあれば連絡しなさい。じゃあな」
息子の右腕を軽く二度叩き、再びまっすぐ視線を合わせて送り出した。
「……? おう! じゃあ、行ってきます」
隆一は一瞬惚けたようだったが、すぐに思考が明瞭になり、走り出した。
「隆一!」
自身を呼ぶ隆源にずっこけそうになりながらも、立ち止まって振り返り、少し不貞腐れたような顔をする隆一。
「な、なんだよ」
そんな息子の姿に、父はにっこりと笑う。
「危ないから、歩きなさい」
「お、おう」
再度、青年は外へと向かった。今度はゆっくりと、それでいてどこか急ぐように。
段々と小さくなっていく息子の背中を見つめ、
本当に、強く、優しい子に育った――――
目を細め、息子の成長を喜びながら、隆源も自身の向かうべき所へと歩き始める。
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