Episode4 巻き込まれた男の話/不幸者の追憶

episode4 波乱の幕開け

 午後四時二七分。滝山市・一般道路にて。

 全く、どうしてこうなったんだ!

 俺こと江崎孝道は、地元の郵便局に勤める、ごくごく普通の三四歳の男だ。

 俺は今、地元であるⅩ県の滝山市の一般道路を爆走中。……盗んだバイクで。

 しかも、

「貴様あああああああああああああああ! 私の娘をどうするつもりだあああああ! 事と次第によっては生かして返さんぞおおおおおおおおおおお!」

「あっ! お父さんだ! おーーーーい!」

 十歳にも満たない元気な少女を後ろに乗せて、隣を走る黒いバンに乗った男に、拡声器越しに怒りと殺意の念に満ちた大声をぶつけられている。

 少女は元気に父と呼ぶTシャツ姿の男に手を振っている。

「うるせええええ! 俺だって好きでこんなことしてるわけじゃないわ!」

 はあ、全く。本当に一体どうしてこうなった……。

 あれは、今日仕事休みで街をぶらついていた時の事だった。



 午前九時四五分。滝上家・敷地内道場にて。

「やああああああああ!」

「振りが甘い! 隙も多い! 隆一! もっと真剣に打ち込んで来い!」

 道場には、男たちの鬼気迫るような雄叫びが響き渡っていた。

 磨き抜かれた杉の床板には、剣道の道着を着た若い男が、背筋の伸びた白髪混じりの中年に向けて、竹刀を振り下ろそうとする様子が映し出されている。

 しかし、中年の男は振り下ろされる竹刀に対して微動だにせず、若い男の左わき腹に鋭い一撃を当てる。

 若い男はその衝撃によって軌道を逸らされ、そのまま中年の横を通りすぎて床に倒れこんだ。

「いててて……」

「隆一! 休むな! 実戦においては休む隙など与えてもらえん! 隙を見せず、敵の様子をよく観察し、すかさず打ち込め!」

 うずくまる青年に対して、中年は気迫のこもった怒声を浴びせる。

 その言葉に返事を返すかのように、青年は立ち上がり、竹刀を構える。そして、中年に向けて走りだした。

「あああああああああああああああ!」

「脇が甘い! もっと脇を締めんか!」

 今度は先程打った方とは反対の脇に一閃を入れる中年。

 だが、青年は自身に振るわれた竹刀を右手で掴むと、左手で持った竹刀を中年の首筋に当てる。

 その行動に中年、もとい、滝上隆源は息子である隆一の取った行動に面食らったが、すぐさま笑顔を作り、

「稽古として見れば落第だが、その機転の利かせ方、なかなか良かったぞ」

 父が珍しく褒めてきたことに対し、隆一は思わず顔が綻んだが、同時に申し訳なくもあった。何故なら、機転を利かせたのではなく、人智を超えた反応と身体によって無理やり成し遂げた所業であったからだ。

 自身の持つ、人間としての力量を上げたいと思い、父に稽古をつけてくれと頼んだ隆一にとって、この称賛は素直に喜べないものであった。

 そもそも、何故隆一は妹に使うはずの時間を割いてもらってまで父に修行を頼んだのか。

 それは、【轟焔】との戦闘で逃げざるを得なかったことに対し、自身の力量不足を感じたことによるものであった。

「……隆一」

「ん? 何、父さん」

 隆一が稽古場を片付けていると、背後から隆源が声を掛けてくる。

 隆一は一度手を止めて振り返るが、隆源がそのまま続けるようにと目で言ってきたため、背を向けたまま耳を傾ける。

「先ほどの一撃、幻獣の力を使ったのだろう?」

 やっぱりばれてたか――――隆一は内心で怒られるのではないかとびくびくしていた。しかし、隆源から出てきた言葉は、隆一の予想するモノとは違った。

「いや、怒っているわけではない」

 あれ、それもばれてた? ――――隆一は自身が考えていることは、そんなに分かりやすいことなのかと、少し落ち込んだが、それよりも今は隆源の言葉の続きが気になった。

 隆一は先ほどまでよりも聞くことに意識を向ける。

「幻獣の力は忌むべきモノということは確かだ。だが、今となってはお前の力であるということを忘れるな。そもそも、滝上家は……いや、この話はやめておこう。んん! とにかく、お前が自身を強くしたいというのであれば、お前の持てる総てを活かした修行をすることだな」

「……そっか、ありがとう」

「いや、どういたしまして」

「あっ! あと、父さん!」

「どうした?」

 隆一は思い出したように父を呼ぶ。

 道場の入り口の戸に手を置きながら、隆源は息子に振り返る。

「あっ……ごめん。やっぱり何でもないよ!」

 青年は言葉に詰まり、誤魔化すように手を振りながら父に謝る。

 息子が進路や学校行事以外で自身に話し掛けてきたことに、少々嬉しいと思った隆源であったが、誤魔化す隆一の態度を残念そうに思った。

 しかし、そんな感情の揺らめきを隆源は表情に全く現さず、

「そうか。……昼過ぎには病院へ行くから、準備していなさい」

「うん、分かった」

 そのまま道場を後にしていった。 



 午前一〇時一三分。滝上家・浴室にて。

 しばらくして、道場の片付けを終えた隆一は、風呂椅子に腰を下ろしながら、冷水を出すシャワーヘッドを体中に巡らせていた。

「ふう……」

 冷たい水が、身体から生まれるじっとりとした絡みつくような熱を、汗とともに洗い流していく。

 隆一はある疑問を抱いていた。

 それは、先程隆源が言っていた滝上家について言いよどんでいた部分である。

 何故、あの話題から滝上家の話をしようと思ったのか。隆一はそのことが気がかりでなかった。

「まあ、聞いても答えてはくれないよなあ……はああ……」

 今まで暮らしてきた中で、隆源が口が堅い方であるということを嫌というほど理解している隆一は、ため息を吐いた。

 そして、自分が父に聞こうと思っていた用件を聞かなかったことに対しても。

 その用件というのは、以前、柳沼が言っていた【ヴァルジール】が人間に殺されたという話である。APCO、いや、以前から幻獣と戦ってきた隆源ならば何か知っているのではないかということに思い至ったのであるが、

「…………」

 父の表情が怖かった……などと言うのは幼い子どものようだと隆一は恥じたが、隆源の顔が鬼をも取って食おうとするような顔であったため、これは仕方のないことなのだと、自分に言い聞かせてもいた。

「俺らしくもないな……よしっ!」

 自分の両頬を両手で軽く叩き、気持ちを切り替える。

 ここ最近、心身ともに負荷が掛かる事象に遭遇し、深く考えこみすぎているのではないか、と思ったためであった。

 鏡に映る隆一の表情は晴れ晴れとしていた。


 

 午前一〇時三五分。

 隆一はタオルで髪の無駄な水分を雑にふき取りながら、居間の戸を引く。

 隆一の妹である椿姫が、キッチンで何かを作っている様子が視界に入る。手慣れを感じさせるフライパンと箸捌きに、隆一は感心した。

 扉に向かい合うように設置されたキッチンであったため、椿姫はすぐに兄の存在に気づき、挨拶をしてきた。

「あっ、兄さん。おはようございます」

「おう……おはよう」

 少々ぎこちない挨拶であったが以前に比べて、二人を、いや、隆一と家族を隔てていた壁は薄くなっていた。

 二人は挨拶を返すと無言になり、フライパンの上で何かが焼かれる音が、今を占拠する。

 タオルを首にかけた隆一が、椿姫の横を通り過ぎ、冷蔵庫を開こうとしたその時、椿姫が背中越しに話し掛けてきた。

「あの、兄さん。良かったらこれ、一緒に食べませんか?」

 振り返って見ると、そこには、しっとりと焼きあがったチャーハンがあった。ハム、青ネギ、卵、そして日本米で構成された家庭的なソレは隆一の喉を鳴らすには十分すぎる出来であった。

 しばらくして、隆一の目の前に程よく半球に盛り付けられたチャーハンが置かれる。出来立てであるためか、湯気が立ち上り、それとともに芳しい香りが隆一の鼻孔をくすぐる。

「……いただきます」

 隆一は手を合わせるとスプーンで山の一部を掬い取って口に運ぶ。

 その様子を対面に座った椿姫はじっと見つめていた。

「……」

 口の中に入れた米、ハム、青ネギ、卵を咀嚼する。中華系のダシと塩コショウで簡素な味付けだが、程よいバランスで、塩とコショウ、そしてダシがお互いの味を引き立てていた。具材は程よく火が通っており、その中でも青ネギはシャキシャキとしていて、食べ応えがある。

 長々と考え込む隆一であったが、感想はこうだ。

 美味い――――

「美味いなあこれ……」

 ため息のように椿姫に言う。

 それを聞いた椿姫は嬉しそうにして、自身もチャーハンを頬張った。

 この時の二人はどこにでもいる普通の家族のようであったと言えるだろう。ありふれた幸福な家族の光景。

「なあ、椿姫」

「何でしょう? 兄さん」

 半球が半分に差し掛かったころ、それまで明るい雰囲気ながらも静寂に包まれていた所を、隆一が壊す。

 椿姫はきょとんとした様子で兄の顔を見る。

「お前は、何ていうかその……何のために戦っているんだ?」

「何のために……ですか」

 兄の真剣な眼差しを感じ取ったのか、椿姫も真面目な表情になり、コップの水を飲みほした。

「私は兄さんの代わりにこの家を継ぐことになったから……というのもありますが、やはり、誰かが犠牲になるのを見ていられなかった、というのが一番大きな理由なのかもしれません」

 少女の眼には確かな芯のある意思が通っていた。純粋で、清らか。何者にも負けない強さと優しさがそこにはあった。

「……そっか、強いな。椿姫は」

 隆一の遥か昔、今持っている中で一番古い記憶が呼び起こされた。

 幼い頃の自分が寝ているベッドの白い布団を涙と鼻水で濡らす少女の姿、そして自分が起きたことに気が付くと、花のような笑顔を向けたときのことを。

 二人は再びチャーハンに手を付け始める。

 先ほどよりは、雰囲気が暗くなってしまったが、その心の距離はより近くなっていた。

取り留めのない会話をして、和気あいあいと、より幸せそうに。

 しばらくして、二人が食器を片付け、テレビを見ていたところで、家のチャイムが鳴った。

「椿姫ー鳴ってんぞー」

「兄さん、私は今非常に手が離せない状況にあります」

「録画もしてるんだろ? なら……」

「兄さん」

 その間にも、焦りを感じさせるように何度も鳴り続けるチャイム。

 隆一は内心で苛立ちを露にしながら、床板を踏み鳴らしながら玄関の方へと歩いていく。

「全く、マチさんも母さんもいない時に、何だってんだよ……」

 玄関へと近づいていくごとに、けたたましいベルの音が大きくなっていき、隆一はしかめっ面をしながら、その玄関の扉を開けた。

「はーい。どちら様?」

「隆一君!」

「叔母さん? どうしたんですか?」

 叔母の滝上涼子であった。涼子は、隆源の弟である隆次郎の結婚相手であり、落ち着いた物腰で、豊かな教養に裏打ちされた知的な言動をする女性ながら、気安さも兼ね備えた女性で、よく娘の竜海と遊びに本家へと来るため、隆一や椿姫も見知った人物である。

 しかし、今の涼子は落ち着かない様子で、息を切らしながら立っていた。おまけに娘の竜海もいない。先程のチャイムを何度も鳴らし続ける行為も、普段の涼子からは考えられない行動である。

 隆一はおずおずと質問した。

「あの、叔母さん。竜海ちゃんは?」

 涼子は息を整えながら、話し始める。

「竜海が、竜海がいなくなっちゃったの!」


 午後〇時一四分。波乱の幕開けである。

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