episode2-last 幸福への旅立ち/少年の願い

 暗がりのある一室で四つの光と一つの影が会話をしている。

『で、どうであった【幻相】そなたの言う“王の祝福”の可能性というのは』

 闇に包まれた空間で、青白く透けた体を持つ四体の内、龍の鱗を彷彿とさせる独特な装束を身にまとった女が、黒ずくめの男、【幻相】に向かって不遜な態度で訊ねる。

「ああ、とても有意義な時間だったよ。“友人”の言葉を信じれば今後の販売は少々骨が折れそうだが、それを補って余りある可能性に満ち溢れている……私はそう確信したねえ。新たな王の誕生もそう遠い未来の事でもないだろう。それに、」

 そう言いかけて、【幻相】は含み笑いをして続きを止めた。

『何じゃ? その気持ちの悪い笑みは……手討ちにするぞ』

 苛立ちを隠しもせず、ただ無表情のまま言い放つ女。その目には確かな殺意と実行の意思が感じられる。

『【幻相】、貴様はそうやって、また隠し事をするのか? これだから貴様は信用ならんのだ』

 深紅の鎧を身にまとった筋骨隆々で、見るからに屈強そうな男が【幻相】を睨みつけて言う。

 残る二つの影もへらへらと嗤う黒ずくめの男に嫌悪の視線を向けていた。

「はは、【轟焔】といい皆して怖いなあ。いや何、新たな“友”との出会いを君たちに報告する必要はないと思った、それだけさ……それに私たちは同じ【幻祖六柱】の仲間じゃないか」

 その言葉による四人の反応は様々であった。四人のうち二人は我関せずとし、ある者はじっと男の目を見つめ、またある者は怒りを募らせた。

『わらわは認めないぞ。……あの泥棒猫の血を半分受け継いだ娘が仲間など。その上他の二人は“混ざりもの”に人間界に逃げた裏切り者、このような状態で歴史ある【幻祖六柱】とよく名乗れるものよの』

「【水龍】、【聖賢】の裏切りはともかくとして、【疾風】は“混ざりもの”とは言えよくやってくれているじゃないか。それに、いくら君とはいえ、中々、女の嫉妬というものも見苦しいものだよ。そう思うだろう【雷姫】?」

『どうやら命が惜しくものと見える』

 【水龍】の凍てつく殺意の念を華麗に躱し、我関せずとしていた二人の内の一人に話を振る。

『私に話を振らないで』

 白髪の少女は面倒事に巻き込まれるのは勘弁だと思ったのか、ぴしゃりと会話の窓口を閉じる。そんな様子を【幻相】は不快な笑みを浮かべて観察していた。

「全く、これじゃあ会話にもならない……はあ、ヴァルがこの場に居たら何ていうかな」

 へらへらとした【幻相】のその言葉に、先ほどから発言していない一人を除いて、三人の視線が一気に集中する。“ヴァル”その言葉は【水龍】、【轟焔】、【雷姫】の前では禁句であった。

『【幻相】……貴様本当に手討ちにされたいようだな』

『貴様のそういう所も治した方がいい』

『…………』

 先ほどまでバラバラであった三人が三様に【幻相】へ釘を刺す。

「はあ……全く、こういう時は仲が良いんだから。すまなかったよ……これでいいだろう?では、私はここで失礼させてもらうよ。何せ、私は忙しいからね! ああ、あと【聖賢】の処理に関しては【轟焔】、君に一任するよ。では、今度こそ、ごきげんよう』

 四つの光が消えて、薄闇に男の不敵な笑みだけが残った。


明かりのない部屋で、壁に立てつけられた四二インチのテレビに携帯の動画が映される。

 廃墟に映る青年と少年の二人。どちらも服や体は傷だらけで、血がべったりと付着している中、どちらも笑顔を作っていた。一人は涙ぐみながら、もう一人は柔らかで和やかな心の底からくる安寧の笑みを。

『どう、かな? ……そう、良かった。ん……兄さん、日奈さん。まずは、ごめんなさい。僕があんなものに、手を、出してしまったせいで、とても、迷惑を掛けてしまったよね……お陰で、こんな状態でも……話ができるんだけど。でも、これで……最後だから』

 それは少年の最後の別れの言葉。

 今わの際の祝福。

『……兄さん、日奈さん……僕はとても幸せでした……生まれてから長い間ベッドの周りが僕の世界のすべてだった。でも、父さんや母さん、兄さんや日奈さん……色んな人が僕に愛情を注いでくれた……僕はそれがとても嬉しかった……幸せだった……』

 少年の顔は心底安らいでいた。

 朝の微睡みを享受する赤ん坊のように。

『……そんな僕にも、友だちが出来たんだ……これ以上の幸せがあるかなあ? たった三日間の間、いや、それ以上に短かったけど、僕は、とても、幸せだった……兄さんと……日奈さんも、幸せになってね……兄さんなら、きっと出来るよ……兄さんなら』

 少年の瞳は慈愛に満ちていた。同時に相手を憂う気持ちも。

『兄さん……不安になると、両手をすりすりして、それをじっと見つめるんだ……兄さんは隠しているつもり……だろうけど、本当は、とても分かりやすい人なんだ。隠しごととか、すごく下手な人なんだ……周りの人はいつも、その事に気づかない、ふりしてるだけなんだよ……だって、皆、兄さんが頑張ってる、こと、知ってるから……だから、兄さんは一人じゃないんだ……兄さんが、総てを、背負う必要はないんだ……』

 すべてを写し出す水晶のような瞳で少年はカメラの向こうにいる兄と思い人を見つめる。

『僕とは、これで、お別れだけど、二人には幸せに、なって……ほしいんだ……隆一、ありがとう……ぼくは、きみと……であえて、ともだちに、なれて、とても、しあわせだった……とても…………』

 淡い恋心を胸に秘めたまま、少年は瞼をそっと閉じ、眠るように安らかな永遠の幸福の時へと旅立った。

「聡ちゃん……」

「…………」

 二人の男女は肩を寄せ合い、涙を流す。だが、それは決して悲しみばかりではない。二人もまた、少年の願ったように、少年がそうであったように、幸福の時へと進んでいくのだ。それが少年の幸せだと信じて。



 青空が夕焼けに染まるころ。隆一の通う学園は放課後の鈴の音を辺りに響かせていた。

 隆一が鞄に荷物を詰めていると、

「隆一、この後どうするの? 良かったら、この後一緒に帰らない?」

 クラスメイトの竜ヶ森クロエは太陽な微笑みを浮かべながら、隆一を帰りに誘ってくる。

「……うん! 帰ろう! あとさ、どこか寄っていかないか?」

「いいね! どこ行く?」

 青年もまた、普段の日常へと帰っていく。

 こうするべきだと思った。

 きっとそれこそが、少年が願い、求めてやまなかった幸せだから。自分はそれを彼の分まで享受しなければならない。

これが幸せ。そう……幸せ————そんなことを考えていると、クロエとの下校はあっという間に終わってしまった。何を話したか、全く頭に入って来なかった。一緒に食べたソフトクリームの味も、匂いも分からなかった。終いにはクロエに気を使わせてしまう始末である。

今は消沈しながら自宅への帰路につき、あてもなく携帯の液晶を眺めている。しばらく、電子の海に視線を泳がせていると、画面に番号が表示される。

東藤であった。

「……滝上です」

「お前、今暇か?」

ぶっきらぼうな口調であった。背後からは無数の人間の多様な会話が音の洪水となって電話越しに押し寄せてきている。そのことから推察するに、今いるのはAPCOや滝上重工のビルではないことが分かった。

事件だろうか————まあいい。どうせ、まともな気分ではいられない。戦闘でも、殺し合いでも、なんでもいい。気分を紛らわせてくれ。俺に何も考えさせないで。俺を、俺を。

「……はい、大丈夫ですけど」

「そうか、じゃあ場所は——」



ここか————駅から一〇分ほどの位置に佇む焼き鳥屋。

中の喧騒から察するに、何か事件があったわけではなさそうだった。では、何故呼ばれたのだろうか。

今の隆一の気力ではそれを考えることすら面倒であった。

取り敢えず、暖簾をくぐり中に入ることにする。

「……来たか」

「やぁあ、隆一くぅん〜お疲れ様〜」

素面の東藤と既に出来上がっている高水が、テーブルに座って、焼いた鶏肉と酒の匂いとともに隆一を出迎える。

「あの、僕は何故……ここに呼ばれたんですか?」

隆一は困惑の色を隠せずに理由を訊ねる。

「まあ、色々あったからな」

答えになっていない。

隆一は困惑しながらも二人と同じテーブルに座る。

「いやぁ〜東藤さん、口下手だなぁ〜心配なら心配だってはぁっきり言っちゃえばいいのにね〜?」

普段の爽やかさは一体どこへいったのか、高水はタチの悪い酔っ払いよろしく、隆一に絡む。

「まあ、あれだ。あんなことがあった後だ。だいぶ参っていると思ったからその……愚痴でも聞いてやろうかと思ってな」

これまでの無愛想な印象と、今の彼の様子はかなり違って見えた。それは彼の不器用な優しさが内面から現れてきているためだろう。これが彼のもう一つの顔なのだろう。

「……ッ」

「どうした?」

自然と涙が溢れて来た。

友を失った喪失感が波のように押し寄せて来る。

「俺……おれ……」

同時に、とめどなく色々な感情が溢れ出てきた。

自身の不甲斐なさへの怒り。

友人を失った悲しみ。

戦いが終わったことによる安堵。

その他諸々の湧き上がってくる感情を次々と口にする。

二時間ほどだろうか、そんな隆一の取り留めのない話を東藤と高水は頷きながら黙って聞いていた。


人間は、様々な顔を持っている。だが、それは悪いモノばかりではない。人を勇気付け、生きる活力を与えることも出来る。

青年は誓う。

人の命を、尊厳を、幸せを守るために己の力を使うことを。それが少年と結んだ固いきずなの約束。

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