episode2-4 無常の世

午前一一時七分。阿久野不動産・本社にて。

 二階建てのビルでは今日もせわしなく仕事を行われていた。爆発事件に遭っているというのに、全くそんなことはなかったかのように何もかもがいつも通りだった。

 そこへ割り込んでくるスーツの中年男と若い男、そして普段着に紺色のスタッフジャンパーを羽織った男がいた。隆一たちである。

 店内は棚を兼ねた仕切りで窓口とロビーを分け隔てており、三人はまっすぐに受付へと向かっていく。

 近づいて見ると、受付嬢の顔は上手く化粧で隠しているが疲れ切っており、気を抜けば今すぐにでも意識を手放してしまいそうであった。その目は何かに怯えきっており、何日も眠れていないといった様子である。

「おはようございます。本日アポを取っていた東藤というものですが、社長さんはいらっしゃいますか?」

 受付は慣れた手つきで内線をかける。連日警察や記者が訪れてきていたため、その顔はうんざりといった色が見て取れた。

 しばらくすると二階の社長室へと案内され、中では深い皺に、白髪、左眉から顎までに深い切り傷の跡を持った、厳つい顔の高年男性が椅子に深く尊大に座り、三人を待ち構えていた。纏う空気は警戒と殺気をはらんでいる。だが、こちらへ向けたものではないようで、三人に対しては作ったものではあるが笑顔を向けている。

「いやあ、どうも。私が阿久野不動産の社長、阿久野源三郎です。」

「APCO……まあ化物退治の専門の組織で、その捜査チームの東藤です。」

 東藤に続くように、高水、隆一も名乗る。

 阿久野は場違いなほどに若い隆一を一瞬じろりと見たが、すぐに視線から外した。

「さっどうぞお座りになって。」

 阿久野は三人を一目で高級と分かるソファーへ座るように促し、それに従って順々に座っていく。

「本日はどのような用件で?」

 阿久野は自身でも分かり切った質問を投げかけてくる。

「御社の爆破事件についてです。」

「でしょうなあ……。」

 そう言って窓の景色を眺める阿久野。その視線に映るものは外の風景ではない。

「……いいですかね?」

 そう言って葉巻をこちらに見せる阿久野。三人は無言で頷いた。阿久野は笑顔を作ると葉巻に火をつけ、うっとりとした面持ちで白い煙を腹いっぱいに吸い込む。

「ふう……あの事件ですか、どこの誰がやったかは知りませんが、全くひどいものですよ。」

 白い息を吐きながら、力のない声を絞り出す。だいぶ参っているようだった。

 阿久野源三郎は最初の事件現場で支店長を勤めていた一人息子の源四郎を亡くしているのだ。

 その顔に先ほどまでの覇気はなく、ただ息子を亡くした悲しい老人のものだった。その目は犯人への怒りではなく、無気力な空虚に染まりきっている。

 東藤は高水に目配せをし、質問するように促した。部下に経験を積ませることを目的として。

「最近何か変わったことはありませんでしたか、普段は来ない人間が来たとか、辺りを見慣れない人間がうろついていたとか。」

 高水は自分にできる限りの配慮をして質問を行ったが、持っている情報以上のものは得られなかった。

 時刻が一二時に迫り、そろそろ切り上げようとしたその時、下の階からガラスの割れる音とともに多くの悲鳴、そしてそれらをかき消すほどの大きな雄叫びが聞こえてきた。

「な、何だね!」

 阿久野は驚きの声を上げて、モニターに映る防犯カメラ映像を見る。そこには不鮮明ながら、ばらばらになったガラスや壊れ切った灰色の体表に背中から生える六つの棒を持った異形が映っていた。

「俺たちは社長と従業員の避難を誘導する。あとは任せたぞ、車でも言った通り、電気は使うな、水を使え。」

 社長には聞こえないような大きさで隆一に指示をする東藤。高水はすでに社長の傍へ駆け寄り、部屋からの退去を促している。その指示に阿久野は言われるがままに従った。



 隆一は部屋から出ると二階にあるトイレに入った。内装は白を基調として掃除も行き届いたもので、隆一は大変申し訳なく思ったが、懐から注射器を取り出した。青い目の猫のイラストは描かれておらず、灰色の無地。中身も『ブルーアイ』ではなく、アドレナリンである。

「っ!」

 息を深く吸い、注射器を己の左腕に刺す。超極細の針を通して隆一の身体に液体が注入される。すぐさま身体が熱を帯びていく。肉体が沸騰するような感覚が広がっていき、自分の身体が純粋な人間ではなくなっていることを嫌でも自覚する。

 隆一を黒い雲が覆いつくし、表面を青い雷が奔る。この前の夜のように暴風は起きない。が、トイレ内はゲリラ豪雨に見舞われたかのように水浸しになった。

 暗雲が消える。鏡には白亜の鎧を身に纏った己の、魔人の姿があった。いや、纏ったというよりも体が変化したという方が正しいだろう。

 だが、こうしてはいられない。早く下の階に向かわなければ。――隆一はトイレの窓を開き、下の駐車場へ飛び降りた。アスファルトとの衝突によって生じた衝撃をものともせず、窓からビル内に入る。

「――――――――――――――!!」

 中には雄叫びを上げ、店内の器物を破壊する化物がいた。

 岩石のような凹凸のある灰色の表皮。四〇センチ程の長さの鋭い鉤爪を持ち、背中から縦二列で一列に三本ずつ排気筒のような特徴的な棒が生え、そこから断続的に白い煙が噴出されている。煙はだんだんと部屋の中を侵食しているようだった。魔人に気づいた異形は暴れるのを止め、じっと動きを観察を始める。

 店内は血の匂いやアンモニア臭、そして獣の匂いが充満していた。だが、魔人はそんなことは気にも留めず、自身を睨む怪物をまっすぐ見据える。

 東藤たちは残った人間の避難誘導を続けていた。しかし、鉄工所にいなかった高水や取り残されている従業員たちは新たな異形の存在に釘付けになる。

「何やってる高水! さっさと避難を完了させるぞ!」

 東藤は目の前を浮遊する白い粉末をはたきながら高水を叱咤する。その言葉で我に返った高水は再び己の職務を果たす。

「逃げてください!」

 高水の言葉で止まっていた従業員たちの時間が再び戻ってくる。従業員たちは夢中で玄関の外へ駆け、東藤たちも脱出した。

 背後のビルからは壁を、窓を、大地を、空を震わせる悪魔の叫びがこだましていた。


 

「――――――――!!」

 しばらく膠着状態にあった店内は、灰色の異形の雄叫びとともに再度動き出す。

 異形は魔人に向けて噴煙をまき散らしながら突進を仕掛ける。その力は強大で、床のタイルに罅を入れ、床に散らばったかつて人の一部だったどこかを踏み砕き、コースに入った机や椅子を容易く弾き飛ばした。

「…………!」

 魔人は右へ身体をずらし、最小の動きで突進をよけ、すれ違いざまに裏拳を異形の背中に叩き込んだ。

 凄まじい勢いで壁に衝突した異形は壁内の鉄筋にめり込む。

「――!」

 異形の口から苦悶の呻き声が出ると同時に、背中の筒から白い粉末が噴き出た。

異形は振り向きざまに己の鉤爪を背後にいる魔人を切り裂こうとする。凶爪は床や壁を抉りながら外敵の命を確実に刈り取りに行く。

「……。」

 魔人は冷静に後方へ下がり、鉤爪は魔人の喉元寸前の空間を裂いた。

 灰色の異形は再度鉤爪を用いて肉薄してくる。だが、そのどれも避けられ、凶爪は空しく風を切るのみ。異形に苛立ちが募っていく。

「……。」

 今度は魔人が攻める番だった。

 白亜の魔人は勢いよく爪を立ててくる異形の攻撃を右に動いて避ける。異形はそのまま目の前にあるデスクに突っ込み、上に乗っていた書類やパソコンなどを薙ぎ倒した。

 右背後から灰色の異形の頭を掴み、何度も頭をデスクの天板に叩きつける。辺りには鈍い音と獣のねちゃりと唾液の粘つく音、そして呻き声が響く。

デスクはその衝撃に耐えられず、徐々にその姿をひしゃげさせていき、ついに脚が耐えかねて、バラバラに壊れてしまった。

「――アァ!」

灰色の獣は床に倒れたことによって魔人の掴みから解放され、その僅かな隙に体勢を立て直して、爪による攻撃に移る。

「……!」

 魔人は異形の鉤爪による反撃を後方へ跳ぶことによって回避した。

 異形の悪魔は魔人をじっと見据え、歯と歯をガチリと音を立てながら噛み合わせ始める。同時に背中の六本の筒が魔人の方へぐにゃりと曲がる。周囲にごぼごぼという水が沸騰するような音が漏れ、何かを仕掛けようとしているのは明白だった。

「――ッ――ッ――ッ!」

 独特なリズムの雄叫びを上げ、魔人に向けて筒から粉末を噴出する。

 白亜の鎧はさらに後方へ飛び、躱そうとするが、勢いよく飛んできた粉末は魔人を正確に捉え、意思を持つかのように目標を追撃した。異形は噴煙が魔人に到達したのを確認すると歯を力強く噛み合わせ火花を出した。粉末は導火線のように魔人へと襲い掛かり、辺りの天井や机、椅子を燃やしながら白き肉体を爆炎に包む。

「……ッ!」

 魔人は咄嗟に全身から水と渦雲を発生させ、身を守る。が、爆発の衝撃を完全に逸らすことは出来なかった。その場にうずくまっているとすかさず怪物は噴煙を上げて突進を掛ける。魔人は腹に強い衝撃をまともに食らう。それだけに留まらず、異形は魔人を引き摺りながらそのまま壁に向かっていく。

「……ッ……。」

 壁は異形の時と同じように鉄筋の部分であったため壁を突き抜けず、さらなる衝撃が魔人の身体に与えられる。一瞬身体を意識ごと弾けそうな感覚が奔ったが、何とか己を保った。尚も怪物は噴煙を上げながら魔人を鉄筋に叩きつけ続ける。

「……ッァ!」

 魔人は赤い左目を煌々と輝かせ、僅かな隙を見て、右脚に渾身の雷を込め、蹴りを異形の左わき腹に放つ。凄まじい轟音とともに怪物は玄関と反対側の壁に吹き飛ばされて、壁すらも突き抜けて行く。

「……――。」

 怪物は左脇を押さえるように街の中へ駆けていく。

 魔人は混乱を避けるために死角で滝上隆一の姿に戻り、後を追いかけた。“ブルーアイ”を使用しているためか、普通の人間よりは多少速く動けた。が、先ほどの戦闘で思った以上にダメージを負ったのか、思うようには走れなかった。

「痛い!」「う、腕が!」「落ち着いてください。まずは息を」「何があったんです!」「事件の状況を!」「危ないので下がってください!」「ば、化け物が!」「阿久野不動産の事件はこれで四件目、警察は」

 反対の玄関側からは救急車のサイレンの音や痛みに大声を上げる負傷者、野次馬、アナウンサー、カメラのシャッター音など様々な音が聞こえてくる。それらは隆一に阿鼻叫喚の地獄といった光景を容易く想像させた。

 異形はビルの隙間を掻い潜り、ゴミ箱や看板などを倒して追跡を撒こうとする。

「くっ!」

 隆一は障害物を跳ね除けながら追いかけるが、人間の姿では限界があり、その距離は徐々に開いていく。

 斯くなる上はもう一度あの姿に。――隆一がもう一度魔人態になろうと懐から注射器を

取り出す。だが、次の瞬間、

「――!」

 異形は雄叫びとともに、背中からビル内の時とは比べ物にならない噴煙を放出した。

 視界が白闇に染まる。

「ちっ、待て!」

 空中を舞う粉末を手で払い除けるが、量が量だけに全く効果は見られず、異形の行方は完全に白闇の中へ隠された。

 隆一はビルの壁にぶつかり、足をゴミ箱に取られながらも、音を頼りに歩道に向かって歩く。徐々に車の走行音が、人の声が、そして視界に光が戻ってくる。

「滝上君!? あっどうしたんだい病院は!? それに! その服は……?」

 浅見聡一郎だった。

 聡一郎は慌てふためきながら、隆一が何故ここに居るのか訊ねてくる。だが、それは何かを隠すために話を誘導しているように見えた。

「あっ浅見さん!? あ、いや、えっとですね。これは……。」

 対する隆一もしどろもどろになり、上手い言い訳を考ようとするが、一向に解決の言は見つからない。

 いたずらに時間だけが過ぎていく。

「滝上! ホシは!」

 東藤と高水が阿久野不動産の方向から走ってくる。全速力で走ってきたようで大量の汗をかいていたが、息は上がっていない。体力は捜査でついているらしい。

「あ、東藤さん。すいません逃げられました……。」

「いい、気にするな。それより……。」

 東藤は肩を下げて落ち込む隆一を軽くフォローし、すぐさま傍にいた聡一郎に視線を移す。

「あっ! この前のスーツの!」

 高水は聡一郎を見て、驚きの声を上げながら指を指す。

「そうか! 写真のスーツの男、どこかで見たことあると思ったら、浅見さんだ!」

 はっとした表情で手を軽く叩く隆一。

「浅見さん……でしたか、その手に持っている物を、見せてもらえますか?」

 聡一郎が後ろ手に持っている何かに気づいた東藤は、それを見せるように促す。

「えっ、別に何も、持ってなんかいないですよ。」

 先ほどまでよりも明らかに動揺の色を濃くする聡一郎。

 東藤は目の前のスーツ姿の男への疑念をさらに深めた。

「いいじゃないですか、ちょっとくらい。ねえ?」

 とうとう観念した聡一郎は背中に隠していたものを目の前に指し出した。

「おいおい、これは……。」

「取り敢えず、本部まで来て頂けますか?」


 そこにあったのは、青い目を持った猫のイラストが描かれた注射器。

 “ブルーアイ”だった。


 予想だにしない容疑者の告白に一同は驚愕の色を隠せなかった。

「浅見さんが、シーカー……?」

 隆一のつぶやきが、虚しく風にかき消されていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る