episode1-last 魔人の目覚め/宴の終わり

「はぁ……。」


 午後十時三二分、淡く輝きを放つ三日月と春特有の少し冷たい寒空の下。


 滝上椿姫はトレーラー内のベンチに全身を預け、深いため息をついていた。理由は三つ。


 一つ。

 先ほどの戦いで、自身の駆るパワードスーツが中破、改修を兼ねた大規模修理送りになってしまったこと。


 二つ。

「お、お前ら動くんじゃねえ!」


 ブルーアイ売人グループの最後の一人、中見正雄(所持していた免許証によって判明)が隙をみて実働隊員の携行していた拳銃を奪い、人質を取って工場の敷地内にあるプレハブ内に立てこもったこと。


 そして三つ。

「ひ、ひい助けてください!」


 ……その人質が実の兄であること。


「私は荒城! この部隊の指揮を任されている者だ! 要求はできる限り叶えよう!」


 拡声器を手に持った頭部が寂しくなった中年男、荒城が簡素な一階建てのプレハブの前に立つ。


それから一〇メートル取り囲むようにして、紺色の制服に身を包んだ者たち車を盾にしつつ、同様に売人と人質へ視線を送っている。


「お、お前らが押収したブルーアイをすぐに……十分以内に持ってこい! あ、あと車を用意しろ! さもないと人質をこ、ここ殺す!」


「ひっ!」


 中見は窓の外にいる制服を着た人間たちに叫ぶ。


 こめかみの横で砲身が震える。今にも暴発しそうだ。背後から伝わる息はどこか荒く、まるで獣のようだった。体温も心なしか高い。


「ま、待ちたまえ! 分かった叶えよう。車を十分以内に届けることは不可能だが、ブルーアイはすぐにでも持ってこよう。」


「荒城さん!?」


 その場にいた制服隊員たちが驚きの視線を向け、うちの一人が指揮官の名前を呼び、その判断を疑う。


「人命が最優先だ。それに、かなり侵食が進んでいる。中見がどんな能力を保持しているか解らない以上、下手に嘘をつくことは危険だ。」


 渋々ながらも納得といった顔になる隊員たち。相手は最早人の形をした未知の獣なのだ。


「大至急、ブルーアイを持っていくぞ。」

「隊長、私に行かせて下さい。」


 そう名乗り出たのは椿姫だった。脚や腕の至る所に包帯が巻かれている。

 その状態に対し躊躇う荒城だったが、椿姫の表情を見て本気だと思ったのか、最後には首を縦に振った。


 それから三分と経たず、椿姫にブルーアイの入った銀色のアタッシュケースが渡され、すぐさまプレハブの入り口前に立った。


その上半身には安全のため防弾ジャケットを着用し、幻獣相手では気休めでしかないが小口径の拳銃を携帯している。


 椿姫の髪を風が弄ぶ。顔にひっつく前髪を椿姫は鬱陶しげに払う。その顔には緊張の色も混じっている。


「今から君のところにブルーアイを届ける! 人質と交換だ!」


 椿姫の背後から荒城の声が拡声器越しに通り過ぎる。


 ドアの前にいた時間は一分に満たなかったが、椿姫には三〇分にも、一時間にも感じられた。


「今から扉を開ける! 人質と同時に引き渡そう!」

「うるせえ! 人質のことはこっちで決める! さっさと持ってきやがれ!」


 中見は極度に興奮しているようだ。中見に荒城の声は届いているが、ある意味で届いていないとも言える状態であった。


まるで何かに気を取られているように。


 合図とともに、椿姫は中見を刺激しないようゆっくりと扉を開ける。


 内部は電気が付いておらず、埃の被った机や椅子、棚などが放置されたままだった。中見と隆一は奥の個人デスクにいる。


 隆一は開かれた扉から差し込む強い光によって目を細める。段々目が光に慣れてくるとそこには隆一にとって予想だにしない人物だった。


「椿姫!?」


 自身の妹である椿姫が、滝上家の後継者である彼女が、何故こんな場所にいるのだろうか。真面目な彼女がこんな所にいる理由が全く分からない。まさか、自身の知らない我が家の家業の事が関係しているのだろうか。


「持って来やがったか。早くこっちに投げやがれ!」


 中見の意識は完全に目の前のアタッシュケースへ向けられている。


「人質と交換よ。さあ。」

「そっちが先だ! 早くしろ!」


 こめかみに当てられている引き金に力が込められた。

 加えて中見は、放置されている作業用デスクの脚を蹴り、さらに威嚇する。


 隆一はこめかみに当たる硬い感触、いつ撃たれるとも知れない状況に恐怖し、ただ生きたいという生存本能に囚われる。


「いいわ。今からこれをそっちに渡す。」


 椿姫は床にアタッシュケースを置く。それを軽く蹴り、中見と隆一のところへと滑らせる。


 中見は隆一を椿姫に向かって突き飛ばす。そして一目散にアタッシュケースを開き、中身のブルーアイを自身の左腕に当てる。


「きゃ! に、兄さん。どいて。」

「悪い!」


 椿姫は自身を覆う兄を除け、中見に銃を向ける。

 しかし、銃口の先には椿姫の予想しえない光景が広がっていた。


「う……うわあっ!」


 中見は自身の取った行動に驚くように、手に持った注射器を落とし、アタッシュケースも椿姫たちの方へ放り出す。


 自分で持ってくるように言っていたのに何故? ――椿姫は疑問に思い、その動きが僅かに鈍った。その一瞬の判断の遅さが命取りになった。


 中見は、いや、その右腕は持ち主の意志に反して、足元に落ちた注射器を手にとり、服の上から脚へ内容物を流し込む。


「はあ……! はあ……!」


 中見の身体から大量の汗が流れ、服の内側からは微量ながら白い蒸気が漏れ出ている。


 椿姫は先の戦闘から、脳裏を嫌な予感がよぎる。


「隊長、中見のブルーアイ投与を確認。」

『了解。直ちに現場を離れろ。』


 椿姫は自身らを照らす光の中に、鈍く光を反射する多数の銃口が見えた。


「兄さん、詳しいことは後で話しますから、今はついてきて下さい。」


 隆一は何も言わず、妹の手に引かれるまま光の奥へ走っていく。その背後から聞こえる不気味な呻き声と骨のへしゃげる音が隆一の耳を引いた。





「戦闘用意!」


 紺色の制服を羽織った十数名の隊員たちが一斉に銃口を向ける。何人かには包帯が巻かれている。全員の顔色は芳しくない。

 頼みの綱の強化鎧は現在中破状態、とても激しい戦闘が行えるものではない。


「始め!」


 その言葉とともに、プレハブへ手榴弾が投げ込まれる。爆発とともに、黒い煙が中にあるものごと吹き出てくる。


 隊員たちは一斉にゴーグルを身に着け、プレハブ内の様子を確認する。


「な、何なんだよあれ!」


 一人の隊員が思わず声を漏らす。自身の常識では推し量ることのできない生物。その存在への恐怖。そんな感情が多分に含まれていた。


 荒城もゴーグルを身に着け中を確認する。


「どうなっているんだ。これは。」


 室内は一点の白を中心に赤に染まっていた。その熱でプレハブやプレハブの周りも橙色に変わっている。


「――――――――――――!!」


 それは獣の叫びにも、人間の悲鳴にも聞こえる。

 机や椅子がへしゃげる音が聞こえ、重い足音はだんだんとこちらへ向かってきているようだった。


「怯むな!」


 掛け声とともに隊員たちが再び銃を構える。

 そうしている間にも地獄の地響きは確実に隊員たちへ近づいていた。


「何だこれ?」


 隆一は力の抜けた声で疑問を口にする。


 服の下から汗が染み出てくる。それは緊張によるものだけではなかった。


暑い。いや、熱いと言った方が近い。まるで、溶けた鉄の側にいるようだった。目が乾くようで、開けることもままならなくなってくる。


「……――。」


 地獄の亡者のような呻き声とともに、ぐつぐつと音を立て、全身から大量の蒸気を放つナニカが壁や地面を湿らせながら出てきた。


あまりの熱さに荒城を含めた隊員たちはナニカと距離を取る。


 蒸気が風に流され、投光器によってその姿が露になる。


 それは蜥蜴のようであり、人のようでもあった。硬い岩石のような肌のあちこちにある隙間、あるいは罅、と形容されるものからはマグマのようなものが噴きこぼれ、垂れ流されていた。背中では鬣のように炎が風に揺られ、口の端からは火の粉が漏れている。


 その場にいる者たちは暗澹とした空気に包まれた。


 先の二体の化け物も大概だが、ここまでこの世の理を超越したものではなかった。


 ある者は人知を超えた炎の異形にその場で釘付けになり。


 またある者は恐怖に呑まれライフルを乱射する。


 放たれた弾丸は堅牢な岩石の身体によって阻まれ、内部まで貫通することなく、あらぬ方向へと弾き飛ばされる。


「――――――――!」


 異形が上げる炎を帯びた咆哮は、周囲を焦がしながら夜空に響き、震わせる。


 炎の異形は全身の割れ目から赤い液体をまき散らし、大地を焦がし、草木を燃やし、ゆっくりと隊員たちへ向かっていく。


「はあ、はぁ……うっ。」


 隊員の一人が異形の熱気によって気を失い、その場で倒れる。しかし、それは一人だけに留まらなかった。一人また一人と倒れていく。


「総員、一時退却。B班、大山、北見、西は気を失った者たちの回収。残った者たちで援護せよ。」


 三人の隊員は迅速に倒れた者たちをトレーラーに運び込む。


 椿姫も命令に従い後方から銃によって援護する。辺りに無数の破裂音が重なり、響き渡る。

 だが、同時にそれを弾く音も響いていた。弾かれた弾丸は跳弾し地面を、プレハブを傷つける。


 しかし、椿姫の放った一発の弾が、怪物の目と思われる器官に直撃した。


 異形の右目からはドロドロとしたオレンジ色の液体が流れ出る。それはやがて黒く固まり、涙の跡のようになった。


 怪物は自らを傷つけた女を見る。怪物の表情は変わらないが、明らかに殺意の念が込められている。

 椿姫はその目によって恐怖に囚われ、場に釘付けとなった。


「――――――――!!」


 炎を纏い、異形は椿姫目掛けて炎を吐く。

 その衝撃波で砂利が吹き飛び、炎の通った跡は黒く変色した。

 射線にいた者は既の所で避けたが、椿姫は身が竦んで動けない。

 炎を浴びれば命はない。


「椿姫っ!」


 隆一は椿姫に飛び込み、無理やり射線から押し出した。

 地獄の業火がすぐ後ろを通り過ぎる。

 隆一は靴の爪先部分に強い熱を感じた。視線をやると、そこは黒く焦げている。


「兄さん……逃げて。」


 椿姫は絞りだすように願いを口にする。

 異形はこちらを狙い、体内の妖しい輝きを一層強めていた。


「椿姫、立てるか?」

「いっつ……。」


 妹に手を差し伸べ、体調を聞く。

 椿姫はおずおずと手を取り、立ったが足首がひどく痛み、ぎこちない動きになった。


「トレーラーまで歩いてくれ。俺が時間を稼ぐ。」

「兄さんも一緒に……。」


 炎の獣はこちらへ大きく赤熱した口を開き、その内部では美しくも面妖な赤い輝きを放っていた。


「早く! お前は家の跡継ぎだろ!」

「でも……。」

「安心しろ。俺も簡単に死ぬ気はない。」


 異形の内なる火炎は勢いを増し、口の端から火の粉が漏れ出させながら尚もその力を高めていく。


 兄に意識を引かれつつも、自身に課せられた使命を思い出し、痛む脚を引きずりながら車へと進み始める。


 隆一はそんな妹に背中越しに声を掛けた。


「俺さ、未だに全っ然! 昔の事思い出せないけど、母さんが言ってたんだ。病院で。お前、俺を自分のヒーローって言ってくれたらしいじゃん。」


「え。」


 間の抜けた声が出た。母があれを教えていたとは思いもしなかった。また、兄がそれを覚えていたことを。


「あれ、結構あの頃の俺の支えになってたんだぜ。まあ、俺にはこんなことくらいしか出来ないけど、許してくれよな。」


 最後の部分は小さく、椿姫に届くことはなかった。


 隆一は震える手で足元に落ちたペン型の注射器を拾い上げた。そして自身の左腕に当てる。


「じゃあな、椿姫。」


これを打てば自分の身体もあの化物と同じになるのだろう。最悪自分も彼らに害をなすかもしれない。


だが、今はこれ以上の打開方法は思いつかない。辛いモノを背負わせる兄を許してくれ――――青年は親指に渾身の力を込め、液体を自らに流し込む。


おかえりなさい——


 炎の異形は、狙いを隆一に変える。

 本能が自身に害を為す存在が生まれることを察知したのだ。

 己を打ち続ける鉛の雨などものともせず、ただ一人をまっすぐに見据える。


 ガチリという音とともに、口と全身にある罅が閉じる。

 獣の腹の底から何かが込み上げてくる音が聞こえ、内なる地獄の蓋が開かれた。


 高圧で放射された赤く輝く液体は地面を抉り、灰に変え、隆一に襲い掛かる。


「兄さん!」


 巨大な火柱をあげ、隆一の周囲を黒い煙と静寂が包む。

 獣は嗤う。それは障害となる者を排除したことによる高揚か、それとも己の力によるものか。いずれにせよ、そこに人間だった頃の面影は欠片も残っていない。


 異形は再び椿姫に視線を移す。それは獲物を仕留めようとする狩人の目。一方的に、衝動的に命を奪おうとする暴君の瞳であった。


 兄の死に、椿姫は呆然とトレーラー前で崩れ落ちる。


 隊員たちも異形の圧倒的な力に慄然とした表情を隠せないものの、崩れた同僚の身体を力強くトレーラーに引っ張り上げる。


「……総員、退却。」

「っ隊長! 待ってください。あれを!」


 荒城は水崎の指したモニターを見る。


 そこには風に流されることなく、渦を巻き帯電する黒煙。いや、稲妻奔る渦雲があった。


「何なんだ、あれは……まさか!」


 あの青年は自らを化生の者へと堕とす薬を使ったのか。妹の命を救うために。


荒城の中には青年の心の高潔さに対する賞賛よりも彼の肉体への強い疑問が湧いた。


 それにしても、初めてブルーアイを使用した者にしては変化が急速に進みすぎている。以前から使用していた可能性も捨てきれないが。


 渦の勢いが頂点にまで達し、炎やコンクリート片の一切合切を吹き飛ばすと、次第に雲は勢いを弱めていき、風が雲を流していく。

 そして中心にいるモノの姿が露になる。


「…………。」


 白き魔人は泰然とそこにいた。


 全身は月の光を鈍く反射する白の甲殻で覆われ、西洋の甲冑を彷彿とさせる。


だが、その白亜の鎧は中身を外傷から守ると同時に、内側へと捻じるようにして食い込み、縛り付け、痛めつけているようにも見えた。


 黒き獣と白き人型。

炎の異形が動ならば、白の魔人は静。

限りなく化け物に近づいたヒトと、限りなくヒトに近づいた化け物。


両者は図らずも対極的な姿をしていた。


「……何なんだアレは。」


 荒城はこの仕事に就いて初めて目にした人型の幻獣に絶句する。それは荒城に限った事ではなく、椿姫を含めたその場にいる全員も同じであった。


古来から幻獣と戦ってきた魔狩師の後継である椿姫ですら、人型の幻獣など文献以外では確認したことがない。


「―――――――!」


 背中の炎を逆立てるように激しく燃え盛らせ、威嚇する獣。それは獲物ではなく対等なあるいは格上の敵へと向けられるもの。


 魔人は動かない。荘厳な空気を身体に纏わせながら、ただ目の前の異形を見据えるのみだった。


顔は左眼を残して殆どが白亜の甲殻に遮られ、その思惑を読み取ることは出来ない。


「―――――――――――――!!」


 雄叫びとともに火炎を魔人へ向けて放つ。

 だが、それは魔人が生み出した水の膜壁によって防がれた。


 異形はその後も爆炎を放ち続けたが結果は変わらず、水壁に掻き消されるだけであった。


「……。」


 静寂と荘厳さを纏う白き戦人は目の前にある障害へゆっくりと歩み始める。だが、その鈍重な歩みには相手を逃がさない隙の無さがあった。


「――――!」


 炎獣は彼我の圧倒的な差を感じ、自棄になったと言わんばかりに魔人に向け突進する。


だが、直線的で勢い任せの体当たりは軽くいなされ、工場の壁に激突した。壁は砂のように崩れ、破片が飛び散る。


 壁による外傷はなく、すぐさま魔人に向き直り、背中から炎を勢いよく噴出させ爆音とともに先ほどよりも圧倒的に速い速度で魔人に急接近する。


今度は体当たりではなく、内部の溶解物を固めた長さ七〇センチほどの鋭利な突起物を腕から生やし、魔人を串刺しにしようと迫る。


 己に迫る攻撃に魔人は欠片も動揺することなく、連続して繰り出される突き全てを身体を逸らすように最少の動きで躱し、隙を見せた瞬間にすかさず獣の胴体へ掌底を浴びせる。


腹に直撃を受けた獣はその衝撃で後方にのけ反らされ、攻撃の手が止まる。


その隙に魔人は二発、三発と次々にこぶしや蹴りを異形に叩き込む。


「――!」


 短い苦悶の呻きと同時に異形の全身にある罅から体内の溶解物が大量に漏れ出る。


身体から離れ、地面落ちた体液は段々と輝きを失い、黒くくすむ。


「圧倒的じゃないか……。」

「兄さん……。」


 姿が変貌した隆一の驚異の力量に呆然と傍観した。


「――――!!」


 勝てないと判断した獣は魔人に向けて炎を広げて吐き、視界を遮ると、その場から素早く離脱しようとする。


「……。」


 だが、それは叶わない。


 魔人の右腿に巻き付いた一本の黒い触手のようなナニカが魔人の身体から離れ、獣へと伸びていき、その体の自由を奪う。


「……――。」


 白亜の鎧が力を籠めると自身の触手の付け根の腰辺りから電光が奔った。青白い閃光は獣の表面を焦がすが、効いてはいないようだった。


 獣は身体に巻き付いたモノを内なる灼熱によって焼き、振り払おうとするが、傷一つ付かず、拘束する力も弱まることはなかった。


触手によって獣の身体は魔人に引き寄せられていく。背中から炎を勢いよく噴出し抵抗するが、魔人に対しては無意味だった。


「……。」


 引き寄せる勢いを強める。魔人の首筋から左腕に夥しい電光が奔り、左腕にはやがて眩い光を放つ雷の刃が生成される。

 それは自身に歯向かうモノを裁くギロチン。


 魔人は唯一露出した赤い左眼を煌々と輝かせ、物凄い勢いで引き寄せられる獣を、雷の刃をそっと構え、待つ。


 獣の頑強な肉体は、神々しさと禍々しさを内包した輝く刃に容易く裁断されていく。


その体は真っ二つになり、体内の溶解物は身体とともにどろりと地面に崩れ落ち、赤々とした輝きは黒くくすみ、やがて固まった。


「……。」


 姿が現れた時と同様に泰然と立つ魔人。やがてその体は再び渦雲に呑まれ、一〇秒と経たない内に雲が晴れる。そこには以前と変わらぬ姿の隆一が倒れていた。


「兄さん!」

「あっおい!」


 隊員の制止を振り切り、隆一に向かって走る。そこには化け物に変貌した兄への抵抗感などなく、ただ兄を心配する妹の姿があった。


 椿姫は妹を抱き上げ、兄を揺する。


「兄さん! 兄さん!!」

「……椿姫か、大丈夫だったか……? 俺、ちゃんと、お前を助けられたか? ……ヒーロー出来てたか?」


 朦朧とする意識の中、重い瞼を上げ、隆一は妹に問う。


「はい、出来てました。出来てましたよ……!」


 兄に伝わるよう繰り返して言う。


「そっか……良かった……。」


 妹の言葉に安堵の表情を浮かべ、意識を手放す隆一。その顔は幸福に満ち溢れていた。


 荒城が薄い髪を振り乱しながら駆け寄ってくる。


「滝上、お兄さんを滝城病院に連れて行くぞ。」

「はい。」


 荒城と椿姫の下へ担架を持った救急隊員たちが向かってくる。慣れた手つきで隆一を担架に乗せ、救急車へ乗り込む。

 椿姫も救急車に同乗し、ともに病院へと向かうのだった。





 翌朝。滝上重工本社ビル・捜査第一班デスクルームにて。


 その後も現場は喧々たる有様であったが、重軽傷者六名。奇跡的に死者は〇名。

 幸いにも被害は最小限に収まったと言えるだろう。


「ふう……。」

「東藤さん昨日のことがあったんですから、怪我をしてなくても休んだらどうです?」


 ベランダで愛用の電子タバコを吸っていると、後ろから部下の高水が気遣うような顔で言ってくる。なかなか殊勝な奴じゃないか。


「しかも、取り調べを二班に代わってやるだなんて何を考えてるんです。こんなに朝早くから呼び出して。」


 前言撤回。朝早くから呼び出したことについてが本命だったらしい。


「まあ、お前は別件に回したから分からんだろうが、昨日の夜は本当に色々あったんだ。その人物に会ってみたいってのが本音だな。」


 その言葉にも未だ納得はいっていないようだったが、渋々了解するという表情に変わった。


「よし、じゃあ行くぞ。」


 ひとしきり吸い終わると、タバコの入ったケースを懐に入れ、デスクルームを後にした。

 高水も後を追うように駆けて行く。


 事態は終息したが、未だ根本的な解決には未だ至っていない。街には化物が影を潜め、時には表に出てきて人々を危険に晒すだろう。


 事件の真相究明に思いをはせ、東藤は車のエンジンに火をつけた。




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