episode1-3 宴の始まり/鎧の少女
「これで本日のホームルームを終わります。」
「起立、礼。」
午後四時三四分、日直の言葉とともに、生徒が一様に頭を下げる。
担任が教室を出るとともに一斉にクラスが喧騒に包まれた。
「なあ、お前この後どうする。」
そう声を掛けてきたのは木島だった。苦笑交じりなのはこちらを気にしての事だろうと隆一は考えた。
「一回家に帰って着替えて、自転車乗って川本駅にって考えてるけど。」
「……そっか。」
隆一の答えに木島は暗鬱とした声で返す。
「お前まだ気にしてんのかよ。気にすんなって。」
「悪い。」
「まあ、なるようになるだろ。……多分。それに俺、木島がそんなんじゃ、俺さ……まあ気にすんなって!」
照れ臭く言葉を濁したが、その意味を木島は十全に受け取ることができたようだった。
「そっか! じゃあよろしくな!」
「おう!」
そう言ってこぶし同士を軽くぶつけ、教室を後にした。
昇降口に向かうと見慣れた白髪が見えた。どうやら靴を履き替えているようだ。先ほどまで隣にいた木島の姿はない。隆一は気を利かせたのだと思った。
一歩、また一歩と着々と近づいていく。そして、いざ話しかけようとしたその瞬間。
「あっ! 隆一。」
声を掛ける前に先に気づかれてしまったことと、目の前にある美しく朗らかな笑顔で、隆一の心は嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになった。
「おっ、おう、今帰り?」
「うん、そうだよ。」
クロエの顔が近づく、その時、ふと今朝見た夢の自身を呼ぶ親子の姿が重なる。
「ん? どうしたの。」
「あ、い、いや何でもないよ。」
「変な隆一だね。ふふっ今度の日曜日、楽しみにしてるからね! じゃあね! 危ないことしちゃだめだよ!」
歳に似つかわしくない妖艶な雰囲気を纏わせながら、溌溂とした微笑みを浮かべ、走り去るクロエに隆一は頬を染め、ぽつんと立ち尽くしていた。
「ってやばい、やばい。早く帰らないと。」
制服姿でこのまま川本駅まで行けば時間に余裕があったが、家に帰って着替えるのならば急がねばならなかった。
靴を履き替え、昇降口から勢いよく走りだす。
少年は自身の運命も知らず、只々青春を生きる。
午後八時、Ⅹ県・滝上市・滝中町にて。
壁や柱は赤く錆びつき、屋根と壁には所々穴が開き、春の冷たい風が吹き込まれている。そんな長い間使われていない寂れた工場に、僅かな明かりが灯っている。
そこより少し離れたところから、工場を取り囲むようにして見張る、複数の人影がいた。
〈A班各員、定位置にて待機。〉
〈B班各員、同じく定位置にて待機。〉
〈追跡用ドローンの起動準備完了しました。〉
〈強化装甲、起動完了。いつでもいけます。〉
「了解、命令があるまで、その場で待機を維持せよ。」
〈了解。〉
APCO・実働部の人間である。
彼らは濃紺の戦闘用制服に身を包んだ重装備のA班と、追跡と逮捕を目的としたA班に比べ若干軽装のB班に分かれて、工場内部にいる『ブルーアイ』の売人グループを見張っていた。
指揮官である荒城と強化装甲のオペレーターである水崎は、黒い大型トレーラー内部のコンソール前でモニターと睨み合いながら指示を出しつつ目標の動きを見張っている。
モニターは八分割され、工場の出入り口やその周辺を様々な角度から映し出していた。
椿姫はトレーラーに格納されている強化装甲を身に着け指示を待っている。
自身の仕事が来ないことを祈りながら。サボタージュしたいわけではない。強化装甲は対幻獣を想定して開発されている。
幻獣は人間の身体能力を大きく超えており、それに対応するためにその性能を限りなく高めている。
しかし、人間相手には強すぎて、逆に使用できないのである。
そもそもの作戦内容が売人の逮捕と、『ブルーアイ』流通ルートを特定するということもあり、椿姫は待機を命じられているのであった。
〈カメラと壁透過センサーによれば内部にいるのは男が三人。動かないことを考えると誰かを待っていると見られます。〉
「了解そのまま待機せよ。」
〈了解。〉
隊員たちに緊張の糸が走る。汗が額から垂れ落ち、地面を淡くする。
三日月が映える雲一つない美しい夜空の下、これから起こる惨状など微塵も予感させない静寂が辺りを包む。
そんな静寂を破るかのように、物凄い速さで自転車が駆けてくる。その場にいた者たちの視線が原因の運転手へと向けられる。
隆一であった。
長い距離を走ったのか、肩で息をしている。額から、いや、全身から汗が噴き出ている。白いTシャツが透けるほどに。
〈十代後半程の少年が工場に入っていきます。〉
〈兄さん!?〉
「えっ!?」
椿姫は頭部内のディスプレイに映し出された映像に映っている兄を見て思わず声を上げる。イヤホンを身に着けていた隊員は声の大きさにぎょっとして、顔をしかめた。
「滝上、兄というのは確かか?」
〈……はい。〉
荒城の問いに椿姫は沈んだ声で答える。
「B班、中の音は拾えているか?」
〈はい。〉
設置されたマイクから音がこちらへ送られてくる。隙間から吹く風の音などで多少ざらついたやや不鮮明なものだったが、会話を聞き取ることは十分に可能だった。
『……こんばんは。バイトの木島優斗です。』
『おう! 早かったじゃねえか! 関心関心。』
隆一は名前を偽った。椿姫は兄の友人の名前にそんな名前の男がいたことを思い出した。
兄が来ることになった詳しい経緯は分からないが、お人好しの兄のことだから断れなかったのだろうと推測をつける。
売人の三人は声から特に疑う様子は見られず、バイトに来た人物を本当に木島だと思っているようだった。
『滅茶苦茶疲れてるな! 大丈夫か?』
『……はい。』
どう見ても大丈夫ではないが、男たちは深く訊ねようとはしなかった。
その様子を監視しながら、隊員たちはもどかしさを募らせる。
『じゃあ、荷物を。』
『はい……。』
大型のリュックサックから腕を外し、中から銀のアタッシュケースを取り出す隆一。
三人の男たちはその中身を確認しているようだった。しかし、角度の問題によってどのカメラからも肝心の銀色の中身を映すことができていない。
『よし、中身は大丈夫そうだな。』
『いやぁ良かったぁ……。』
間の抜けた安堵の声がマイクに拾われる。その声はどう聞いてもこの裏社会には不似合いなぬくぬくと育った善良さを感じさせる。
「ドローンを屋根に開いた穴から確認できないか?」
荒城の要望に応え、一機のドローンが工場の屋根の上空を飛ぶ。
ほどなくして、工場内部の映像が映し出され、あと少しで取引物を確認できる。
い輝きを放っていた。
その寸前、荒城はカメラ越しにリーダー格と目が合う。その目は怪し
直後、モニターが暗闇に包まれた。
「何があった。状況を。」
〈分かりません! 急に視界が!〉
隊員たちは漠然と理解した。
モニターが何らかの障害で映らなくなったのではない。この一帯そのものが暗闇に包まれたのだと。
天候の問題ではない。今日は雲一つない快晴のはずだ。――隊員たちは知っている。人知を超えた力を生み出すことのできる物を。そして、それを振るう者たちの存在を。
隊員たちの空気に焦りの色が見え始める。そこへ畳みかけるようにして
『おい! そこにいる奴らよぉ! 出て来いよぉ! 出ないならこっちにも考えがある!』
『えっ? えっ?』
視界に光が戻るとモニターにも再び映像が映り始める。同時に、はっきりした大声がマイクに拾われる。
その声は明らかに隊員たちに向けられたものだった。
それを聞いた現場の隊員やトレーラーにいる者たちにさらなる緊張と衝撃が走る。
迷える子羊は周囲の状況を全く理解することができず、只々、狼狽するのみ。
〈隊長、指示を。〉
A班の班長から指示を仰がれる。
荒城の額から汗が流れ落ちた。あちらは未知の力を引き出す薬を持っている。
迂闊に前に出ることも、かといって、相手の考えとは如何なるものなのか、指揮官たるもの迅速かつ慎重な判断をせねばならない。
「よし、A班は相手の指示に従って前に出ろ。B班はA班の援護に当たれ。この場は少年の身の安全に確保を優先させる。三人のうち一人はブルーアイを服用していると考えられる。まずは交渉を。発砲は待て。」
〈了解。〉
A班の身に着けている暴徒鎮圧用装備を考慮しての判断だった。
藍色の戦闘服に防護ジャケット、ライフル、その他武装を身に着けた8名の人間が工場の入り口前に出る。
銃口は向けていないが、その様子からすぐにでも射撃体勢に移れるようだった。
『おっ素直でいいじゃん! 関心関心!』
『何ですかこれ! ドッキリか何かですか?』
三人の男たちは前に出てきた人間たちをせせら笑う。
少年は突然現れた武装集団により、さらに混乱を極める。
(お兄ちゃん……。)
少女は心の内で兄の無事を祈る。
「滝上、いつでも現場に行けるようにしておけ。」
〈了解。〉
『ハッチオープン。』
今は自身の仕事に集中しよう。――椿姫は素早く気持ちを切り替える。その表情には先ほどまでの少女の面影はなく、プロフェッショナルのそれであった。
水崎の言葉とともにトレーラーの左側面が開かれる。車内に風が吹き込み、月の光に照らされる。
鉄塊はその藍色の体を淡く光らせ、二つの瞳に光を灯す。
工場内では隊の班長が交渉を始めていた。未知なる力を持った相手に怯む様子もなくただ毅然とした表情を保っている。
「私の名前は東藤。良かったら君たちの名前を教えてくれないかな?」
「……。」
「滝……。」
その問いに売人たちは応えることはなく、ただじっと隊員たちを値踏みするように眺めるのみだった。
少年は偽名でなく本名を名乗りかけるが、すぐそばにいる売人たちのただならぬ雰囲気を察し、口を噤む。
「質問を変えよう。君たちはブルーアイの売人なのかな?」
「だとしたら? てかお前ら何なんだ? 警察か?」
リーダー格の男は隆一を押し退け、隊員の前に乗り出て問う。銃に怯える様子もなく、その声は淡々としていた。
「警察とは少し違うが、まあ、似たようなものだと思ってくれていい。」
「ああ、もしかして、最近売人仲間の間で噂になってる奴らか?」
手を叩いて納得と言った表情をする。
隊員たちは、自身らの存在に見当がついてなお余裕な態度を崩さない相手を見て、身体から冷や汗が流れ出た。
月は不気味に光を放ち、風は化け物の唸り声のように聞こえ、壁や柱の錆は血が乾いた跡に錯覚する。
ここは檻だ。三匹の獰猛な獣たちは檻に入れられた餌を品定めしているのだ。
「まだ君たちは引き返すことができる。大人しく投降し、ブルーアイの流通ルートを教えてくれさえすれば、然るべき施設にて治療を受けられる。保障しよう。」
「嫌だね。」
即答だった。考える素振りは一切見せず、機械的に、感情が揺れ動くこともなく、そう口にした。
「それにさあ、なぁんか勘違いしてない? 俺たちの方が圧倒的に強いの。つまり、俺たちの方が偉いわけでぇ、だからぁ……。そういう上から目線な態度とられるとすっげえイラつくんだよねえ!」
「ひえっ!」
男は怒鳴り、地面に八つ当たりするように蹴る。蹴られた場所は抉れ、破片が辺りに散らばる。
かなりの衝撃が足に掛かったはずだが、痛がるどころか何も感じていないようだった。
隆一は、眼前の男の怪力や出会った時とは別人のような様変わりに悲鳴を上げる。
男は満足したのか、落ち着きを取り戻す。
「じゃあ、力の差ってやつを見せつけたところで質問に入るか。……どうやってこの取引を知ったのかなあ? ……まさかなぁ?」
その問いに答える者は誰一人としていなかった。
男は横目で隆一を睨んだが、全力で首を横に振る姿に口元を歪ませ、目を離す。
「身体に直接聞いた方がよくね? その方が楽だし。最近なーんかストレス溜まってるしーここいらで一発どかん! とスッキリしたくね?」
取り巻きの一人が嬉々としてリーダーに提案をする。その様子は新しいおもちゃで遊びたがる子ども特有の好奇心旺盛さが多分に感じられる。
「おっいいねぇ! 一発行きますかぁ!」
男たちは懐からペン型の器を取り出した。それを腕に躊躇なく刺し、中の液体を注入する。
〈隊長、これ以上の対話は困難です。そしてブルーアイの投与を確認。カテゴリーⅠに移行したものと思われます。〉
APCOでは、幻獣及びブルーアイ使用した元人間の幻獣の危険度をトリアージによって段階分けし、優先度、対処方法を決めている。
カテゴリーⅢ、能力の発現はなく、実害もさほど高くない軽使用者。
カテゴリーⅡ、能力が発現し、実害はあるものの必ずしも抹殺の対象ではない。
カテゴリーⅠ、身体が化け物へ変化し、害を為し始める段階であるため、即座に対応が求められ、状況によっては火器使用の制限が解除される。
売人たちの体がじわじわと変貌していく。
あるモノは肉体が黒く変色し、漆黒の体毛が全身を包む。骨が鈍い音を上げ骨格が人のモノでなくなっていき、額からは頭蓋ごと貫くように歪な一本角が生え、角は不規則に淡く青い光を放っている。
またあるモノは背中の肉を貫いて無数の針が生え、辺りに自身の体液を撒き散らせた。皮膚は灰色に染め上がり、硬化していく。突然、態勢を崩し倒れた。手足の関節が人間のそれから四足歩行するもののそれへと変化していった。
最後の一人は注射を打ったものの、人間の姿を保ったままでその場にへたり込む。その表情は驚いているようにも、安堵しているようにも見えた。
「……うぇ! シーカー!?」
現実離れした光景に放心する隆一。それは白いシャツに赤や透明といった様々な液体が飛び散ったことにより引き戻された。
目の前の異形から距離を取り、壁の隅から工場の出口へ向かう。
〈うち一人はまだカテゴリーⅡから変化していないようです。〉
『了解、発砲を許可する。ただし、B班は少年を保護した後、A班の援護に当たれ。』
〈了解。〉
「――――――!!」
黒き獣は辺りに唾液を迸らせながら雄叫びを上げる。その咆哮は風を震わせ、壁にひびを入れ、辺りの塵を吹き飛ばした。
灰色の野獣は背中にある無数の針を一つ一つ動かし、こちらを威嚇している。口の端からは泡が溢れ続け、己の体躯と床を濡らす。
異形に変わり果てた仲間に恐怖を感じたのか、売人はおぼつかない足取りで距離を取る。二匹はそれを気にも留めなかった。
彼らは人語を介さず、目の前にいる敵を排除しようとする獣と化していた。仲間の区別すら付いているかすら怪しい。
人を人たらしめる理性を失った彼らは、最早、人としては死んでしまったと言えるだろう。
紺色に身を包んだ葬儀人たちは、手にしたライフルを構え、照準を合わせる。
「打ち方、始め!」
その言葉とともに、八つの銃口が火花が爆音とともに走る。弾丸は的確に二匹の猛獣を捉え、その肉を確実に削り取る。
「どうなってんだよこれぇ!」
響く銃声。獣の雄叫び。隆一は自らが置かれた状況に対して無意味な問いを投げる。
だが、黒と灰色の悪魔たちは全く微動だにしない。
「君! こっちへ来なさい!」
近くの建物の陰から銃を撃っている者たちと同じ紺色に身を包んだ者たちが現れる。
隆一は信用していい者たちかどうか判らなかったが、ためらうことなく走っていく。
初めの銃撃から既に五分が経過していたが、未だ決定打を与えることはできず、APCOの隊員たちは後方へ下がって距離をとりつつ戦闘行っていた。
降りしきる鉛の雨の中、灰色の獣が様子見を終えたと言わんばかりに背の棘を隊員たちにめがけて勢いよく飛ばしながら突進してくる。
七〇メートルは優に超えている距離を瞬く間に詰めていく。
「っ! くっああ!」
狩人たちは攻撃を止めて回避行動に移るが、一人の隊員の脚に針が深々と突き刺さる。
肉を貫いてもなおその勢いは衰えることなく、地面に縫い付けられる。
醜悪な魔物はいちばん仕留めやすい者に狙いを定め、まっすぐ飛び掛かってくる。
「来るな! 来るなよおおお!。」
絶叫を上げてライフルを撃ち続ける。他の隊員も灰色の獣に火力を集中させるが、その勢いはとどまることを知らない。
「うわあああ!」
灰の異形は無尽の針の切っ先を男に向けて突き刺す態勢に入った。その距離は確実に縮まっていく。
もう駄目だ。――男は諦めて、無謀にも身を守るように腕で顔を遮る。
……。
だが、いつまで経っても痛みは来ることはなかった。手をどけ、確認する。
そこには、針を掴み猛獣の動きを静止させている藍色の鎧の姿があった。
〈大丈夫ですか! あとは任せてください!〉
「ああ! すまない!」
男は目の前の機械仕掛けの救世主に礼を言う。そして、複数の人間が駆け寄ってきた。
「じっとしてろ。今、針を切断するからな。」
B班の隊員たちだった。そう言って電動のこぎりで直径一センチほどの棘を切断していく。棘は驚くほど簡単に切られ、男は地面から離れる。
「よし、ここから出るぞ。せーのっ!」
両肩を二人の隊員に担がれ、運ばれていく。それを確認した椿姫は灰色の獣の針の生えていない側面を勢いよく蹴り飛ばす。
「グッポァ!」
灰色の異形は、工場の外壁に叩きつけられ。雄叫びですらない、空気と泡が吹き出る音を上げ、地面にうずくまった。
椿姫はすかさず短機関銃を構え、大口径の弾丸を空になるまで撃ち続ける。
人には耐えられない反動が生まれるが、機械の身体はそれをものともせず、凄まじい破裂音を上げ、獣の肉体を砂のように崩していく。
〈まずは一体。〉
弾倉を交換しつつ、灰色の肉片から黒い獣に目を向ける。放たれる銃弾をものともせず、長い尻尾で隊員を薙ぎ払っていく 。
屈強な戦士たちは次々に壁に叩きつけられ、肺から空気が無理やり放出させられている。
「――――!」
「ちっ! 効きゃあしねぇ。」
獣の咆哮は衰えず、むしろその迫力は増しているように見えた。その様子に残った二人の隊員のうちの一人が舌打ちをしながら、愚痴をこぼす。
〈伏せてください!〉
「っ!?」
その声に素早く従い身を屈める。直後、頭上を爆音が通り過ぎた。それは黒い異形を正確に捉え、左腕に直撃した弾丸は肘から先を身体から切り離した。
「――――――!!」
その叫びには明確な怒りが感じられる。同時に獲物を藍色の鉄人に定め、睨みつけてきた。
「――ッ!!」
突如、異形の角が不気味な光で辺りを青白く染め上げる。光が収まると、空間は真っ暗、いや、真っ黒に染まっていた。
「どうなってやがる! ぐっ!」
「っ!」
風を切る音とともに二つの物体が何かに激突する音が聞こえた。
〈うっ!〉
強い衝撃によって鎧ごと椿姫は弾き飛ばされる。それによって携行していた短機関銃が遠くへ転がっていく。
椿姫は数十分前に起きた暗闇現象に思い当たる。あれはこの悪魔の能力によって引き起こされたモノなのだと。
〈熱源カメラ起動。〉
音声に従って椿姫の視界が変化する。はずなのだが、視界は一向に変化しない。
〈えっ! 故障!? っ!〉
「……――。」
いる。確かに近くに。巨体を引きずる音と獣特有の荒い息遣い。それは椿姫の周りを移動する。
品定めするかのように、確実に仕留められるように。
おそらく、次の一撃で仕留めにくるだろう。――椿姫の戦士としての勘がそう告げた。
椿姫は一か八かの賭けに出る。
〈アンカー射出。〉
右脚の脹脛部から鉄杭が現れ、コンクリート床へと撃ち付けられる。それによって椿姫の身体は容易に身動きとれなくなった。
呼吸を整え、自身の聴覚へ持ちうるすべての意識を向け、研ぎ澄ませる。
「…………――!」
先ほどまでよりも鮮明な情報が椿姫に入る。
禍々しく鋭い爪は風を切り、精悍だが悍ましい脚はコンクリート片を蹴散らし、鋭い突起のある尻尾は地面に傷を刻み、見る者を嫌悪させる唾液の滴が絶え間なく落ち続け、荒い息は今か今かと絶命させる瞬間を待ち望んでいるかのようだった。
「……!」
地面を蹴り、跳んだ。椿姫から見て十時の方向。風を切り、距離を縮める。必殺の凶爪で椿姫の息の根を止めるために。
鼓動は速まり、息が荒くなる。だが、椿姫は動かない。
死は心臓を目指し、確実に近づいている。
「……。」
獣の口元が歪む。勝利を確信したからだ。
椿姫の表情は変わらない。その時が来るまでは。
「――――!!」
凶爪が藍色の鎧の胸にめり込む。その感触に獣は確かな手ごたえを感じ、勝利を叫ぶ。
椿姫の口角が不敵に吊り上がる。勝利はまだ決まっていないからだ。
〈捕まえた……!〉
黒い異形の右腕は機械鎧の左腕によってその進行を止められる。
〈振動ブレード起動。〉
右腕の装甲が外れ、特殊な方法で収納された、長さ九〇センチの必殺の刃が形成される。
椿姫は特殊合金の刃を異形の左腹部に押し当て、直後に黒い刀身から甲高い音が鳴りはじめる。
「――――!!」
じわじわと己の身体を侵食していく敵の武器と、それによる痛みに獣は絶叫を上げ、目の前の鎧を脚、尻尾によって何度も殴打する。
〈ぐっ! うおおおおおおおおお!〉
椿姫はさらに深くへ刃を食い込ませる。
装甲のあちこら衝撃と装甲が歪み、軋む音を立てる。大地と鎧とを固定している杭からも限界が伝わってくる。
だが、ここで引くわけにはいかない。
「――ッ――――ゥ――!!」
黒き刃が腹部の半分まで達し、辺り一面におびただしい量の血しぶきが舞う。
異形の叫びにも血が混じり始める。
〈これでとどめだあああああああ!!」
椿姫は渾身の力を腕に、刀身に込める。肉を、骨を、内蔵を刃に接触するモノ一切合切に切り結び、やがて空を切る。
黒き悪魔の叫びは途絶え、辺りに沈黙が訪れ、空間に再び光が差し込む。
『滝上さん! 応答を!』
オペレーターの水崎から通信が送られてくる。どうやら通信にも障害をもたらしていたようだ。
〈……こちら滝上。目標二体沈黙しました。怪我人多数。救護班と整備班をお願いします。〉
『分かりました。すぐに向かわせます。』
通信が切れる。
〈ふう……。〉
椿姫は安堵のため息を吐いた。
月の光は血に塗れた群青の鉄くずの身体を照らした。
身体中に奇妙な凹凸を作り出しているそれは、一見先鋭的な芸術品のように倉庫の中心、血だまりの中に佇んでいる。
〈はあ……。〉
自身の事、兄にどう伝えたものか。
椿姫は途方に暮れ、再びため息を吐く。
宴はまだ終わらない。
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