Episode1 青年の心情/魔人の覚醒

episode1-1R 運命の朝/家族の距離

 それはまるで地獄だった。


 この世の理を捻じ曲げた異形の獣の雄叫び。

 紺色の制服に身を包んだ集団が異形に向かって発砲している。


 放たれた鉛の雨を弾き、異形の獣は己の内なる熱を放出する。

 異形の吐いた炎は大地を焼き、鉄筋を溶かし、人々を灼熱に晒した。


「何なんだよ……これ。」


 運命か、あるいは、ただ運が悪いだけなのか。

 巻き込まれた少年、滝上隆一は己の心情を呆然と虚空へ投げかけた。


 時は朝まで遡る。



 午後六時一三分。Ⅹ県、滝上市、滝元川の川沿いにて。


 日が昇り、空もその青さに輝きを増していく。普段ならば川沿いの桜並木を登校する生徒や通勤中の社会人、散歩する老人などが歩いているが、今日その場にいる人間の毛色は普段とは少し違った。


 川沿いの一部はブルーシートで覆われており、その周囲は黄色い規制線で囲われている。線の内外で多くの人間がせわしなく動いている。


 様々な憶測を飛び交わさせる野次馬、フラッシュをたくカメラマン、熱心にメモを取る記者、カメラの前でありのままを伝えるアナウンサー、そしてそれらを制する警察官。


 そんな中、黒い車から降りて人だかりへと歩いていく男の二人組がいた。


 二人はスーツの上に、黄色でAPCOと背中に印字された紺色のスタッフジャンパーを羽織っている。人だかりを潜り抜け規制線の前に立つ警察官に手帳を見せると、敬礼し、境界線を持ち上げて中へと入れた。


「全く、この人だかり何とかなりませんかねえ。そう思いませんか、東藤さん。」

「ぼやくな高水、仕事に取り掛かるぞ。」


 東藤と呼ばれた中年の男性は、若い部下らしき男高水を制し、この騒動の原因に向かって歩き始めた。


「おう、来たな正義の味方。」


 ブルーシートを捲り、中に入ると独特な香りを放つ血の気のない肌をしたスーツの男の遺体と、恰幅のいい陽気な雰囲気を纏った東藤と同じ年齢くらいの中年男が愛嬌のある顔で迎え入れた。


「茶化すな。」

「まあ、そういうなよ。実際ホントだろ。」

「で、本井。ガイシャは?」


 東藤は本井の冗談めいた物言いに聞こえぬふりをし、本題へと入る。

「相変わらずだねえ……。」


 咳ばらいをして、場の空気を仕切りなおす本井。 


「ガイシャの身元は所持品から久本俊一、二八歳、平坂工業勤務と判明。発見者は散歩中をしていた老夫婦。今、聞き込みをしてる。情報は無論そっちと共有する。今までのガイシャと同じなら、死因はこれによるショック死だ。」


 そう言ってビニール袋に入ったペン型の注射器を東藤と高水に見せる。注射器には不気味な青い目の猫のイラストが描かれていた。


「ブルーアイですか。」


 高水は熱心そうにメモを取りつつ注射器をそう呼んだ。


「まあ、詳しい原因は解剖しないと判らんがな。」


 東藤は遺体に近づくと手を合わせる。そして白手袋を身に着け、袖を捲る。露出した男の前腕は注射痕から広がるようにして黒い体毛がまばらに生え、それは人よりもむしろ動物のものに似ていた。用が終わり、袖を元に戻す。


「ガイシャはそっちの研究施設に送れば良かったな?」

「ああ、頼む。」


 確認する本井に東藤は頷き、高水とともにブルーシートから出て、車へ向かう。


 乗車すると苦虫を潰したような顔をした高水が東藤に話しかける。


「最近になって益々増えてきてますね。変死体。」

「ああ、今日の作戦がこの一連の謎を解く鍵になればいいんだがな。」


 その言葉とともに高水は車を出した。



 この街には二つの噂がある。

 願いを叶える魔法の薬、『ブルーアイ』

 街に現れる異形の怪物、『シーカー』


これは滝上隆一とその周囲のモノたちの物語だ。





 緑生い茂る大地に、澄んだ青い空、それらを映す透き通る美しい湖がは果てしなく広がっている。


 青空の下、美しい白く長い髪を持つどこか儚げな美女と、同じく白髪で利発そうな小さな童女は自分たちの服が濡れることを気にも留めず、湖の水をすくって飛ばしあう。


「あははっ! お父さーん!」

「あなたーっ! 早く!」


 自分を呼ぶ二人の声に思わず顔がほころぶのがわかる。


 またこの夢だ。ひどく悩んだ夜は、いつも決まってこの夢を見る。


明晰夢というのだろうか、普段見る夢とは違い、匂いや空気、気温、湿気、肌を刺す日差しに至るまで、まるで自分がその場にいるように何もかもが鮮明だった。


 そして何よりも居心地がとても良い。自身の何もかもを包んでくれるような幸福感、何時までもこの時間が続けばいいと、いつも思う。


 自分は手を振りながら何も言わず、ゆっくりと二人の元へと歩いていく…。



 目覚ましのけたたましい音と、四月特有の青白い光、鶯の鳴き声によって、滝上隆一は自分の部屋へと引き戻される。


 このまま夢の続きを見たかった――そう思いつつも、ベッドから出て学園指定の黒地の制服に着替え、居間に向かう。


軽く欠伸をしながら長い廊下を歩いていると、角から何かが視界に入ってくる。


「兄さん、おはようございます。」


 妹の椿姫だ。


いつも涼しげな表情をしながら、大人びた言動や振る舞いをし、歳は隆一の一つ下だというのに、兄よりもしっかり者で、頼りがいがあり、頭もいい、皆から好かれるすごい人物だ、と隆一たちの通う学園ではもっぱらの噂である。


 線は細いが、背筋が伸びており、均整のとれた体つきをしている。


風呂上りだろうか、髪が湿り気を帯びている。長い黒髪にタオルを当てる仕草に少し見惚れる隆一。


「っ! ああ椿姫か、おはよう。今日も稽古か? 跡継ぎは大変だな。」


 妹に驚きつつも世間話を混ぜつつ返した。


 それに対して椿姫は、何か感じたようだったが、すぐにいつもの涼しい顔に戻る。


「兄さんは……気にしなくても大丈夫です。私は……滝上家の跡取りですから、このくらいは当然です。兄さんこそこんな朝早くにどうしたんですか?」


 言葉に若干の歯切れの悪さを感じたものの、それは自身との仲があまりよくないことからのものだと隆一は考えた。


「ん、俺か? 俺はちょっと用事があってさ……。」


 明後日の方向を向いて言う俺に対し、椿姫が思案するような顔になる。


そしてはっとした顔になったと思えば、すぐさま若干不機嫌そうな表情へ変わった。


「あのクラスメイトの方ですよね? あの方と遊ばれるようになられてから帰りが遅いですし、お母さんも心配していました。こういうことは、お節介だと思いますが、友好関係を見直されるべきでは…。」


「心配なのは分かるけど、別にいいだろ…。」


「ですけど…。」


「本当に分かってるよ…。家の名前が大切なこと。それに、ここに居ても俺ができることってあんまりないし、せいぜい迷惑になることはしない。」


 不貞腐れるような声色になる隆一。

 でも。


「俺の友だちに関しては自由にさせてくれよ…。ごめん、もう行くわ。」


 隆一は、居間へは行かず、そのまま玄関へ向かう。


 隆一と椿姫は、いや、隆一と家族の間には少し壁がある。理由はこの家、滝上家である。


この土地、現在の滝山市を古くから守っていた名家で、今でもこの街に影響力があり、隆一や椿姫の通う滝山学園は、分家の親類が経営している。


 それ自体には不満はないが、やれ滝上家の誇りだの、家の名を汚すな、などといったことを、耳にタコができるほど聞かされれば、嫌になるのにそう時間は掛からなかった。


 そして、何よりも決定的な椿姫との溝、それはこの家の跡継ぎに関することである。


本来ならば隆一が継ぐことに決まっていたのだが、ある事故によって、椿姫が継ぐことになった。


 兄を差し置いて滝上家を継ぐことに負い目を感じている。――本人から直接聞いた訳ではないが少なくとも隆一はそう考えていた。


(そんなこと、気にしなくてもいいのにな。)


 玄関に着き、靴の紐を結んでいると。後ろから


「朝食は食べないのか。」


 滝上隆源、滝上家の現当主にして、隆一や椿姫の実の父である。


 白髪が混じっているが、衰えを感じさせない見事な体躯、気迫や威厳を常に放っているあまりものを多く語らず、隆一のすることに口を出したことはあまりない。

だが、跡継ぎである椿姫に対してはよく小言を言うのを目にしていた。

怒声を聞いた覚えがないあたり、優しい人だとは思うのだが、隆一は椿姫同様に壁を感じているため、どことなく避けている。


「約束があって急いでいるんだよ。父さん。」


 嘘だ、約束の時間まではまだ十分にある。しかし、先ほどの椿姫とのこともあり、そうそうに家を出たくなったのだ。


「いついかなる時も食事は大切だ、食べなさい。」

「いいよ、買って食うから。」


 表情や声色からは分かり難かったが、長年共に過ごしていただけのことはあり、自身を憂いていることがわかる。


珍しく心配されたことが嬉しかったのだろう。


隆一はとっくに靴を履き終わったが、まだ玄関から立ち上がってはいなかった。


次の言葉がなければ。


「お前の最近の行動についても話がある。美冬も心配していた。お前も、この家の子なのだから」


 言い終える前にその言葉は隆一によって遮られる。


「また家の話かよ! どいつもこいつも家のこと大好きだな! そんなに家の名前が大事なのかよ! 俺が誰と付き合おうと関係ないだろ!」


「お前彼女ができたのか!?」


 と、激昂する隆一に対する反応は思いにもよらないものだった。父、隆源は真面目で育ちもよく、お堅い人間だが偶にこのようにずれた発言をすることがある。


そのようなこともあってか、喧嘩はすれど、そこまで白熱したものにはならない。ということが滝上家には日常的にあった。


「そういう意味じゃねえよ!? んん、とにかく俺が誰と何をしようと関係ないってこと! じゃあ行ってきます!」


 途中、咳払いをしつつも言いたいことを伝えて勢いよく立ち上がる。


「まだ話は終わっていないぞ隆一!」


 逃げるようにして玄関から飛び出す隆一。

 全く、あんな堅物そうなくせして天然が入ってるもんだからこっちのペースが狂わされてたまらないぜ。—そんなことを思いながら約束した相手のもとへ歩き始める。


やや肌寒い春空の下、白いを基調とした二〇階建てのマンションの前に立ち、時折自身のスマホを鏡代わりにして髪が崩れていないかチェックする隆一。


[ごめーん! ……待った?」


 一〇分程経ち、来る途中にコンビニで買ったサンドイッチを頬張っていると、後ろから若い女の声が掛かる。


「いや、今来たとこ。」


 そう言いながら振り返ると、目の前には女子制服を着た、活発な印象とどこか浮世離れした雰囲気を併せ持った、笑顔が素敵な隆一と同い年くらいの娘が立っている。


街を歩けば何人かが振り返るような美人だが、何より目を引くのは、肩程の長さの美しい白い髪であった。


 竜ヶ森クロエ、去年の冬に隆一のクラスに編入してきた滝山学園の二年生。


母親が日本人とのハーフで、父親が外国の人らしい。詳しくは聞いたことがない。


普段、女っ気など家族か使用人ばかりで、男友達と騒いでばかりの隆一が珍しく自身から声を掛けた相手でもある。俗に言う一目ぼれという奴だろうか?


「じゃあ、いこ?」


 そう言って見上げられ思わず顔を赤らめてしまう隆一。それを見た少女は意地の悪い笑みを浮かべる。


「ふふっ、赤くなってる。」

「いや、別に赤くなってなんか! んん、行こうぜ!」


 身近な女性といえば母か妹の隆一が気の利いた返しなどできるはずもなく、ごまかすように歩き始める。


 クロエはその様子をまじまじと見つめながら、微笑を浮かべて隆一に合わせて進む。


「……。」


 歩き始めて五分、何を話せばいいか考えているうちに二人の間には沈黙が生まれていた。


遊んだことは何度もあるが、どれも友人を交えてのことであったためだろうか。


 何とかこの時間を解決しようと隆一が口を開こうとした瞬間。


「ところでさ。」


 沈黙を破ったのはクロエであった。


「ん? な、何」


 緊張のせいかうまく喋ることのできない隆一。


「願いを叶える魔法の薬って知ってる?」


 勿論知っている。何故なら最近は老若男女関係なくその話と、もう一つの話で持ち切りだからである。


 願いを叶える魔法の薬、正式な名前が付いているわけではないが、青い目の猫の包みから、世間の間ではブルーアイと呼ばれている。


 接種方法は主に注射や吸引、錠剤などだが、その他にも顧客に合わせて姿かたちを変えて売られているらしい。


 特にそういった話には目ざとい友人がいることもあり、噂話には疎い隆一でもその話に関してはかなり詳しいと言える。


「知ってる。痩せたいと思って飲んだら次の日には十キロ落ちたり、足が速くなりたいと思って足に塗ったらタイムがすげー縮んだとかって聞いたな。確かステッキ持った、長身でミステリアスな感じの黒ずくめの男が売ってるんだっけ。」


 そして何よりも人気な秘訣は、高校生のお小遣い程度でも少々貯めれば買えてしまうというところだ。


「隆一、詳しいね。」

「まあね。」


 得意げな顔をしながら話す隆一を見て、感心したといった表情をするクロエ。


 しかし、そんな夢のような薬を危険なものとみる人もいるようだ。


「でも、近いうちに違法ドラッグとして取り締まられるって噂。」

「え? 本当?」


 思わず目を見開くクロエ。


 当然だろう。どんな願いでも叶えてくれるなんて都合が良い話を真に受ける人など多くはない。


大抵の人ならば出まかせか、或いは裏があると考えるだろう。


「何でも人体に悪影響を及ぼす物質があったとかで。」

「ふーん、そっか。」


 興味なさげな顔をして手にしたスマホに目を配るクロエ。


(不味い、盛り上がりに欠ける流れになってしまった…。何か、何か他の話題を。)


 気になる美人に対し今日まで友人達の力を借りて、慣れない猛アピールをし、ようやく朝一緒に登校しようというところまで来たのだ。


ここまで力を貸してくれた友人たちのために、何より自分自身の恋のために、何としても関係を進展させたい! と、焦る隆一。


「ところでさ! 竜ヶ森はこの街にはもう慣れた?」

「四か月も住んでるからねー。」


 変わらずスマホに目を向けているクロエ。先ほどよりも焦りが増し、体温が上昇する。


もう駄目かと内心思い始めたその時! 隆一の脳内に雷が駆け巡る。


――お兄ちゃんは、いつもあたしが困ってるときに助けてくれるヒーローです! ――


 妹が小学三年生の頃に授業参観でそう発表したと、一二歳の春、入院していた隆一に母が教えてくれた記憶が甦る。


(頼りがいのある男…これだ!)


 脳内を擬人化させたらこれでもかというアホ面をしていそうな発想だが、今の隆一にそんな思考を巡らせている余裕はない。


「何か困ったことがあったら何でも相談に乗るからさ! 遠慮なくいってくれよな!」

「ふふっ心配してくれてるの?」


 よし! スマホから目を奪うことに内心ガッツポーズをする隆一、妹と母への感謝の念と友人達のくれたアドバイスが脳裏を駆け巡る。


(母さん、椿姫、ありがとう。そして、いい雰囲気になったと思ったらすかさずアタック!)


「なあ今度の日曜日なんだけど、飯とかどう? いい店があってさ~。」

「ふふっ、デートのお誘い?」


 そう言って微笑みながら隆一を見上げるクロエ。彼女の白く長い睫毛やエメラルドのように美しい目に、思わず視線を釘付けにされる。


「うん…そ、そう。」


 緊張で蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。


心臓はいつもよりも早く鼓動し、背中からは冷たい汗がたらりと流れ始め、舌の根が乾き始めたような気がする。


「二人っきりは初めてだね。いいね、私も行ってみたいな。」

「え、マジ?」


 気の抜けた覇気のかけらもない声が思わず出る。


 最後まで気を抜くなよ。その場にいない友人の言葉が聞こえ、その言葉に励まされた隆一は背筋を伸ばす。


「じゃあ、待ち合わせは滝山駅前の噴水広場で!」

「うん! 分かった!」


 隆一は心の中でガッツポーズをする。…本人は気づくこともないが、相当なアホ面を晒している。


 しばらく談笑をした後、気が付くと学校の門に付いていた。月曜日の朝、普段ならばげんなりした気分になるところだが、今日は違う。


何もかもが見違えて見える。校門付近にいつも立っている強面の教師にすら顔を合わせても全く気にならない。


「豪山先生、おはようございます。」


 いつもならば絶対にすることはないであろう爽やかな挨拶をして見せる隆一。


「おはよう! なんだ滝上、今日はやけに機嫌がいいじゃないか。」


 普段と違う隆一の様子が気になり、訳を尋ねる豪山。


「ああ…成程。…頑張れよ。」


 豪山は、すぐ近くを歩くクロエに気が付き納得といった顔になると、隆一にそっと声援を耳打ちする。


鬼のような面構えをしていながら、なかなか話の分かる先生だ。


「ありがとうございます。」


礼を小声で返す隆一。


「あ、あそうだ滝上! 妹が体調不良で休むそうだが、容体は大丈夫なのか?」

「へ、そうなんですか? 多分そこまでひどくはないと思いますよ。」


 厳しいが、決して無理なことはさせない父のことだ。おそらくは平気だろう。


「じゃあ!」


 元気に別れを言うと、先に昇降口で靴を履き替えているクロエの所へ駆けていく。


 こうして、滝上隆一のいつもと違う日々は始まるのだった。

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