ハッキングに求婚に!?
今晩葉ミチル
深刻な事態です
時刻は夜の九時。株式会社イブ・システムは深刻な事態に陥っていた。
社内の全てのパソコンが青い画面のままフリーズしている。何者かがハッキングしたに違いない。
会社はシステムの構築が専門だ。セキュリティーホールを見落としたのなら、致命的である。外部に洩れれば倒産に追い込まれるかもしれない。
社長の
「いったい何が起こってますの?」
完璧なセキュリティを構築していた。外部からつけいる隙はない。
そのはずなのに、パソコンはフリーズしている。無論、意図した動作ではない。
フリーズした青い画面には、ピンク色の文字でメッセージが書かれている。
”保美ちゃん可愛いー♪ 結婚してーww”
「最悪の気分ですわ」
殺気は社員にも伝わったのだろう。悲鳴をこらえられない者もいた。
「可愛いのは認めますけどね」
保美は微笑みを浮かべた。お得意の営業スマイルだったが、場の緊張を緩める事はできない。
社員には新しいシステムの構築を延期するように伝達を出した。必要な情報は印刷してあるため、顧客とのやり取りはほとんど問題がない。売り上げは多少落ちるだろうが、会社が倒れるほどのものではない。
社長として経営を考えれば、不運な事故として片付けられるだろう。
しかし、それでは保美のプライドが許さない。両目をぎらつかせ、低い笑い声を発した。
「犯人をとことん追い詰めて、これ以上ない屈辱を与えてやりますわ」
脳内で犯人を足蹴にしながら、両手を腰に当てて胸をそらせた。
「社長、画面が切り替わりました!」
若手の社員に呼ばれて、すぐに見に行く。俊足さは保美の持ち味だ。
画面は確かに変更されていた。
”追い詰めて屈辱をくれるなんて……そんなに恥ずかしい事はしないでね。”
「意味が分かりませんわ」
保美はパソコン画面を軽くひっぱたいた。壊れては困るので、殴りたい気持ちは抑えた。
社員が緊張した面持ちで口を開く。
「状況を整理しないといけませんね……」
社内のパソコンは何者かに機能不全にされた。そしてたった今、保美が呟いた言葉に返答するような内容に切り替わった。
「盗聴されているのでしょうか……?」
”そんなめんどくさい事はしないよ!”
「なんですって……!?」
保美は驚きを隠せなかった。社員は両目を見開いて言葉を失っている。
画面のメッセージは、保美たちの言葉に返答しているのは間違いない。
しかし、盗聴してメッセージを変えたと考えるには、あまりにも時間が短すぎる。
社員は唾を飲み込んだ。数秒の間を置いて、言葉を紡ぐ。
「まさか……会話式の人工知能を仕込まれたのでしょうか……?」
人工知能を仕込む技術があれば、社内のシステムをどういじられるか予測できない。かなりの強敵である。
しかし、保美には疑問が生まれていた。
「それほどの技術があるなら、もっと気づかれにくい形でハッキングできたはずですわ。いったい目的は何でしょう?」
”やだなー。最初に言ってるだろう?”
保美は首を傾げた。
「最初に……まさか……!」
メッセージは切り替わる。
”そうだよ、結婚してよ!”
「なんで!?」
”可愛いから♪”
「ありえませんわ!」
保美はバンッと両の拳で机を叩いた。
その音に周囲は一瞬沈黙し、保美を見つめた。
「あ、皆さんはお仕事をしていてくださいまし」
得意の営業スマイルでやり過ごす。
社内は顧客対応の電話がひっきりなしに鳴り響く。社員たちは懸命に対処した。
保美は画面を睨みつける。
「どこの誰だか知りませんが、ハッキングをされて惚れる女がいると思って? あなたの技術は素晴らしいもので、神業なのかもしれませんが……それで心をものにできると思ったら大間違いですわ」
保美の鼻息は荒かった。
「もし私と結婚したいのなら、正々堂々と姿を現しなさい。どうせ、変なメッセージを送る事しかできないでしょう?」
保美の口調はきつかった。
返答は思わぬものだった。
”もう現しているよ”
「は?」
保美は唖然とした。社員は辺りをきょろきょろと見渡す。
「職員以外は誰もいないように思います」
「分かっていますわ」
保美は社員の報告をピシャリと切り捨て、眉をひそめた。
「どこにもいませんわ。隠れていらっしゃるの?」
”やだなぁ、目の前にいるよ”
「は?」
「社長、本日二度目の『は?』ですね」
「どうでもいい報告はおよしなさい」
再び社員の報告を切り捨てて、保美はパソコン画面を睨みつける。
「既に姿を現しているなんて……パソコンそのものがあなたの正体などとおっしゃりたいの?」
”うーん……ちょっと違う。ボクはパソコンより強いよ”
「どういう事ですの!?」
保美は頭をかきむしって、キーっと奇声を発した。社員がなだめるが耳に入らない。
「パソコンより強いというのも意味不明です! パソコンは道具にすぎません。私をからかうのはおやめなさい!」
保美の呼吸は激しく、肩は上下した。
画面が切り替わる。少し長い文章が記される。
”混乱させたのなら申し訳ない。正確に言うと、ボクはパソコンを含めて全ての電気機器を支配できる。証明するから、窓から外を見て”
保美は恐る恐るカーテンを開いた。そこには、都会の夜景が広がっている。色とりどりの光の粒が所狭しと並び、宝石を散りばめたかのようだ。駅に近いため、電車が何度も行きかうのを見る事もできる。保美にとって、お気に入りの景色だ。
「いったい何を……!」
保美が呟いた瞬間に、異常事態が起こる。
光の粒が次々と消えていき、電車が突然止まる。都会は暗澹たる闇に包まれていく。地上は大パニックだろう。
事態はこれだけでは終わらない。
一部の建物に光が灯った。その光をつなぎ合わせると、巨大な文字になっているのが分かった。
「『あ』ですって」
保美は唾を飲み込んだ。
光は数秒で消え、別の文字が浮かび上がる。これが繰り返された。
「文字をつなぐと『あ』『い』『し』『て』『る』……」
「社長、いぬき言葉はいただけませんね」
「心底どうでもいいですわ!」
社員の頭を引っぱたいて、保美はパソコンを両手でつかんだ。
「面白い芸ですわね……でも、これで私が屈すると思ったら大間違いですわ。だって、住民が協力すればできますもの! 私をはめるための壮大なドッキリという可能性だってありますわ」
保美の声は震えていた。
画面が切り替わる。
”うーん……じゃあ、つまらない芸になるけど、ボクが電子機器なら何でも操れる証拠を見せるよ”
部屋の電気が消えた。
電話対応をしていた社員たちが次々に状況を不安げに口にする。
「社長、電話がまったく機能しません!」
「社長、懐中電灯がつきません! 電池を変えたばかりなのに……」
「社長、スマホやフューチャーフォンもダメです! 充電はしていたのですが……」
部屋はほとんど明かりがない状態となっていた。
一台のパソコンだけ煌々と光っている。
”どう? 少しは認める気になった?”
勝ち誇ったようなメッセージだった。
保美は愕然とした。
社員がか細い声を発する。
「本当に人間ではないのですね……」
窓の外では、静かに光の点滅が繰り返されている。『あ』『い』『し』『て』『る』と。
不意に、音楽が聞こえ始めた。電子音で結婚行進曲が奏でられている。音源は、例のパソコンだ。
”ボクは電気エネルギーそのもの。自由な意思を持っている。だから、道具じゃない。人間になんか利用されないよ。ボクが電気の未来を導いてあげてもいいよ♪”
その言葉は保美の胸深くをえぐった。
「そう……ですか」
肩と視線を落とし、社員たちに声を掛ける。
「今日は皆さんはお帰りください。お疲れさまでした」
「社長、明日からどうなるのですか!?」
「社長、なんとかなるのですか!? 見通しがあるかだけ、教えてください!」
泣きそうな声で答えを懇願する社員たちに、保美は乾いた笑い声で応えた。
「こんな大惨事になってしまっては、我が社の問題だけにはなりませんわ。きっとなんとかなるはずですわ、きっと……」
社員は静まり返った。涙目で嗚咽を漏らす者もいたが、決して気持ちを言葉にしなかった。
保美は言葉を続ける。
「いざという時には一からシステムを作り直しましょう。また明日、必ずいらしてください。社長命令です」
保美の声は頼りなかった。
これ以上、保美を問いただしても無駄だと悟ったのか。社員は次々と帰っていった。
暗い部屋に保美だけが残った。
一台のパソコンからファンファーレが流れる。
”ボクたちは夫婦になれるよね!”
「ええ、考えても良いですわ」
保美は顔を上げた。
その瞳は恍惚としていた。口の端を上げて、笑いをこらえきれないでいた。
「あなたが私と対等であればね」
電気エネルギーは意味が分からなかったのか。
青い画面に、え? という文字を浮かべた。
保美が右手の人差し指を立てる。指先にバチバチッと青い光が灯る。
「最初に結婚を求められた時にはヒヤヒヤしましたわ。だって、私があらゆるエネルギーの頂点に立つのを言いふらされるかと思いましたもの。人間の仕業だと誤魔化すチャンスを何度も与えたのに、電気エネルギーと名乗るなんて、もってのほかですわ」
青い指を、徐々にパソコンに近づける。
「もう少し人間との生活を楽しみたいのに、邪魔されてはたまりません」
嘘だよね!? という文字が一瞬浮かんだが、すぐに日ごろ見慣れたデスクトップの絵柄になる。ファイルなどのデータは残っていた。
保美は低い声で笑う。
「別のパソコンに逃げても無駄ですわ。だって……」
保美は指をパチンと鳴らした。
部屋は明るくなり、窓の外は元通りの夜景となる。
「私はエネルギーの神。人間がエネルギーをどうもてあますか、もう少し楽しみたいのです。正しい使い方を知る方には道具となっていただき、黙っていてもらいます」
ハッキングに求婚に!? 今晩葉ミチル @konmitiru123
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