とっさの行動

 しばらく、いや、本当は一瞬だったのかもしれない。お互いに見つめあったまま。


「ひゃああ!!」


 慌てて胸を手で隠す私だったが


「待て! そのまま動くな!」


 花咲きさんは鋭く叫ぶと、作業机からスケッチブックと鉛筆を取り上げ、私を見ながらなにやら描き始めた。


 ちょっと待って。まさかこの状況で私をスケッチし始めた!?

 リアクションおかしいだろ! この馬鹿絵描き!


「花咲きさんのバカっ! 早くこの部屋から出て行ってください!」


 バラの花を一つすくい投げると、見事スケッチブックにヒットした。


「な、なんと罰当たりなことを……!」

「罰当たりでもなんでも良いから出てってください!!」




「……それで、なんであの場面で絵なんか描こうとしたんですか?」


 私は床に鎮座する花咲きさんを、見下ろしながら問い詰める。

 お風呂は既に撤去され、床に溢れたお湯もきれいに拭き取り、今やアトリエはいつも通りの様相を呈していた。もちろん私も服を着ている。


「いや、その、裸体をスケッチするチャンスだと思ったら、身体が勝手に動いて……すまない」


 ほんとに絵の事ばっかりなんだな……。


「大体、寝室のドアに張り紙がしてあったでしょ? 『ユキ入浴中。しばらく寝室から出るべからず』って!」

「……寝起きでぼーっとしていて見逃していた。すまない」


 ううむ。私の見通しが甘かったか……。まさか張り紙をスルーされるとは。


 私はため息をひとつつく。


「確かに私にも問題があったかもしれません。張り紙は花咲きさんの額にでも直接貼るべきだったし、お風呂の件も事前に言っておくべきでした」


 私が反省の言葉を口にすると、我が意を得たりとでも言うように


「そうだろう? そうだろう?」


 と、花咲きさんが追随する。が、私は右足で床を思い切り踏みつける。どしんという音が部屋に響いて、花咲きさんがびくりと身体を震わせる。


「でも、だからってそれをスケッチしようと思いますか!? 本人の了承もなく!」

「……それは本当にすまないと思っている」


 途端に小さくなる花咲きさん。一応反省はしているみたいだ。


「ええと、ほら、お前が思わずデッサンしたくなるような魅力的な身体つきをしていたから。あ、別にいやらしい意味ではないぞ。意外とまな板でもなかったし」

「バカっ!! そういうところがわかってないんですよ! あー、裸体を異性に見られるなんて恥辱意外の何物でもないですよ。もうお嫁に行けない……!」

「おかしいな。その理屈だとヌードモデルは全員結婚できないという事になるではないか」

「私はヌードモデルじゃありません!」


 この人は私の事をどう思ってるんだろう? ただのモデル兼家政婦要員? どうも謝り方に誠意が感じられない。

 はー、なんだかやる気なくなってきた。


「もういいです。私はそろそろ出勤の時間ですから。この話はこれで終わりにしましょう」

「え? 我輩の食事は……」


 私がじろりと睨み付けると、花咲きさんは再び小さくなった。


「勝手になんでも食べてください」


 言い置いて、私は家を後にした。




 仕事中、どうしても朝の事を思い出してしまう。

 ちょっと言い過ぎちゃったかな。私にも非はあったのに。


「……こ」


 そもそも毎日カツサンドを作るという条件で、あの部屋に置いてもらっているわけだし、それを放棄するのもまずいかもしれない。


「ネコ子! おいネコ子!」


 呼ばれて意識が現実へと戻ってきた。


「何やってんだ! 料理はもうできてんだぞ! さっさと運べ!」


 レオンさんの怒鳴り声。

 まずい。仕事中に余計な事を考えてしまっていた。

 私は両手で自身の頬を軽く叩くと、仕事に集中する。朝の出来事を、心の隅に追いやりながら。




「おいネコ子、お前調子でも悪いのか? 仕事中も上の空だったし」


 休憩時にレオンさんに声をかけられた。やっぱり私の様子がおかしい事に気付いていたみたいだ。

 ここは思い切って相談してみようかな……男性の意見も聞きたいし。


「実は、同居人と喧嘩というか、ちょっと険悪な空気になってしまいまして……」

 

 私は恥を忍んで、今朝の出来事を簡単に説明する。

 話を聞いたレオンさんは


「はあ?」


 と声を上げる。


「いやー、女の裸を見て、真っ先に絵を描くなんて選択肢は普通ないだろ。変わった奴だな」

「ですよね! ですよね!」

「よっぽどお前に興味がないか、お前より絵が大事か」

「……ですよね」

「で、お前はどうしたいんだ?」

「え?」

「元の関係に戻りたいのか、それとも見切りをつけるか」


 見切りをつける……そんなこと考えてもいなかった。

 今朝はあんなことがあったけど、やっぱり私はあの人のことが好きだ。


「……できれば仲直りしたいです」

「それじゃあ何事もなかったように振舞って、そいつの好物でも食わせとけ。それでなんとかなるだろ」


 むむむ。そういうものなのか。花咲きさんと同じ男性であるレオンさんが言うと、なんとなく説得力があるような気がする。


「わかりました。そうと決まればカツサンドの材料を買ってきます!」


 私はレオンさんに宣言すると、買い物のためにお店を飛び出した。


 


 そして閉店後、私はおそるおそるお店を出る。

 花咲きさん、いつもみたいに迎えに来てくれてるかな?

 辺りを見回すと、いつもの場所に花咲きさんはいた。


「ああ、黒猫娘。やっと出て来たか」


 言うなり何かを差し出してくる。

 見ればそれはピンクのバラの花束。


「これ、どうしたんですか?」

「不可抗力とはいえ、今日はお前の邪魔をしてしまったからな。明日はこれでゆっくり入浴するといい。もちろん我輩も、今朝のような失態はしないと誓おう」

「わあ、いいんですか!? やったあ」


 二日連続バラ風呂。なんて贅沢なんだ。

 いや、それよりも、花咲きさんがそんな風に考えてバラを贈ってくれたのが嬉しい。私の事をどうでもいいなんて思っていたら、きっとこんな事してくれないよね。

 と、そこで私も豚肉とパンを持っている事を思い出した。


「私もカツサンドの材料を買って来たんですよ。帰ったらすぐに作りますからね」

「それはありがたい。あれが食べられないと落ち着かないのだ」

「そんな、大げさですよ」


 そうして私達は、朝の事なんてなにも無かったかのように、いつも通り帰路に着いたのだった。


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