美少女とは
ミーシャ君と別れて、花咲きさんの家へと戻る。もうお昼をだいぶ過ぎている。
さすがに花咲きさんは、ちゃんとサンドイッチ食べられたよね?
木製のドアをノックすると、少しの間をおいて、勢いよくそれが開く。
「遅いぞ黒猫娘」
花咲きさんが仁王立ちしていた。けれど怒っているわけではなく、なんだか興奮している様子だ。
「す、すみません。知り合いにサンドイッチを届けたら、一緒に食事する事態になってしまいまして……あと、これを買ってきたもので」
言いながら小さめのイーゼルを持ち上げる。ミーシャ君から画材店の場所を聞いて、そこで購入してきた。
これに花咲きさんのチョークアートを乗せて、店先に飾ったらかわいいだろうと思ったのだ。
「そんな事は今はどうでもいい。あのサンドイッチはもう無いのか!?」
え、今ここでサンドイッチの話……?
「想像を絶する美味さだったぞ。夕食用にも作ってくれ。ついでに夜食用にも、明日の朝食用にも!」
そ、そんなに……?
「でも、そこまで作れるほど材料が残ってないし……」
「それなら今から買いに行くぞ。イーゼルはその辺りに置いておけばいい」
「ええと、モデルのお仕事は……?」
「今日はいい。我輩はとにかくあのカツサンドとやらがまた食べたいのだ。本能がそう訴えているのだ」
花咲きさんは張り切って外出の支度をし始めた。
そんなに気に入ったのかな。あのカツサンド。
褒められるのは嬉しいが、反面、そんなによくできたものを、ミーシャ君に食べてもらえなかったというのは残念だという気持ちにもなる。
でも、何度も作ればもっと美味しいものができるかもしれない。それなら今は練習するには絶好の機会なのでは?
花咲きさんには試食要員になってもらおう。
「そういえば黒猫娘、お前はまだ尻尾が治っていないのか? リボンが巻かれたままだ」
買い物のために外に出たところで、花咲きさんは私のしっぽに視線を落とす。
「あ、しっぽはもう良くなりました。このリボンは、個人的に気に入っているので結んでるんです。あの時は包帯隠しのためでしたけど、改めて見ると可愛いなと思って」
しっぽをゆらゆらと揺らすと、リボンがひらひらとはためく。
「白い蝶がとまっているようにも見える。少し早い春が来たみたいだな」
そういえば最近めっきり雪が降らない。もちろん残雪はそこら中に積み上がってはいるが、新雪が積もらないという事は、春が近づいている証拠なんだろうか。
スノーダンプの出番はもう無いのかな? せっかく作ってもらったのに残念。
いや、使った事は使ったし、大いに役にもたった。ただ、私はもう少し冬が続くと思っていたのだ。それが意外と早い春の訪れに拍子抜けしてしまったというのが本心なのかも。
けれど、反面楽しみでもある。この世界の春とはどんなものなんだろう。どんな花が咲いて目を楽しませてくれるのだろう。花咲きさんの頭に生えてる花みたいなのも咲くのかな?
そこでふと気になった。
「花咲きさんの頭のお花って、切ったりしたらやっぱり痛いんですか?」
血が吹き出たりして……などと少々スプラッタな絵面を思い描いてしまい、慌てて頭を振ってその想像を追い出す。
「いいや、全く痛くない。子供の頃に何度も切り落としたからな」
「え?」
切り落とした? 何のために?
その疑問が私の顔に表れていたのか、花咲きさんは続ける。
「男が頭に髪飾りのような花など付けていては、格好のからかいの的になるであろう? 特に子供は無邪気で残酷だからな。こちらの傷つく言葉を平気で投げかける。幼い頃はそれが嫌だった。だから自分で頭の花を根本から切ったのだ」
「うわ……聞いてるだけで痛そう……でも、実際は痛くなかったんですよね?」
「ああ、しかも、驚異的な速さで回復して、たちまち元通り。それを何度も繰り返すうちに、面倒でどうでもよくなってしまったのだ。諦めたとも言うが」
うーん、一見偉そうな態度の花咲きさんにも、そんな過去があったのか。今は克服しているみたいなのが幸いだ。
でも、少し気の毒になってきた。克服するまでには、きっと色々な葛藤があっただろうな。
知らなかったとはいえ、迂闊な事を聞いてしまった。今度はたくさんカツサンド作ろう。おいしいものを食べて、花咲きさんの過去の辛い思い出が少しでも薄まるといいな。
おいしいものと言えばミーシャ君も……あのカツサンド、花咲きさんが言うほどおいしかったのなら食べて貰いたかったなあ。
先ほどの事を思い出すと腹立たしくなってきて、花咲きさんに愚痴る。
「そういえば聞いてくださいよ。さっき鍛冶屋さんで働いてる友達にカツサンドを届けたんですけど、その子の口に入る事なく先輩達に全部食べられちゃったんですよ。酷いと思いませんか? まるでブラック企業――」
あ、「ブラック企業」なんて言葉、伝わらないか。私は咄嗟に言葉を濁す。
「……とにかく、その子の話によると、先輩達は普段はそんな事する人達じゃないって言うんです。でも、実際には酷い事してるし――」
ミーシャ君の仕事と、工房での出来事を一通り説明すると、花咲さんは苦笑した。
「お前には、その理由がわからないと? あまりにも簡単な事なのに」
「花咲きさんにはわかるんですか?」
「無論。答えは『嫉妬』だ」
嫉妬?
首を傾げる私に花咲きさんは続ける。
「一番の新入りのくせに、工房の職人を総動員して作るような大層なしろものを開発して、かつ、その者しかやり方を知らない大切な仕事を任されている上に、美味いサンドイッチを差し入れしてくれる異性までいる。嫉妬するなというほうが無理だろう。時にそれが行き過ぎた行動につながる事もある」
「えええ!? そんな理由で?」
確かに私だって、仕事のできる後輩が彼氏とお弁当食べてたりなんかしたら嫉妬するかもしれないけど、それでもご飯を横取りするなんて頭のおかしい真似はしない。
「更に言えば、その差し入れをしてくれる異性が、特別可愛らしいとあれば尚更」
「え」
え? 何? 可愛らしい? 今、可愛らしいとか言った?
「ええと、あの、可愛らしいってどういう……?」
「なんだ? まさか自覚が無いのか? お前が可愛らしかったから、その友人の先輩らが余計嫉妬したと言っているのだ」
な、何を言い出すんだこの人は! しかも恥ずかしげもなくそんな事を!
……それとも冗談なのかな?
こっそりと顔を伺うも、それを見越していたかのように、いつもの人懐っこい笑顔が返ってきた。それに思わず俯いてしまう。
「……可愛いなんて、初めて言われました」
「それは、普通ならおいそれと口に出すような事でもないからな」
「でも、可愛い女の子ってそれ相応の扱いを受けるものでしょう? 『可愛すぎるウェイトレス』としてその界隈で評判になったりとか、高価なプレゼントを貰ったりとか、どこぞの王子様から求愛されたりとか。そんなちやほやされた事一度もありませんよ。逆にしっぽを触られたりだとかの嫌がらせをされる有様です」
「お前の『可愛い』の定義が極端すぎる。例えば、目の前に愛らしい小動物的な生き物がいれば、撫でまわしたくもなるだろう。それが当人にとっては苦痛だという事もある」
あ、そういえば、常連のお客さんに「かわいい」とか言われてしっぽを触られた事あったっけ。まさか、あれがそうだったのか!?
「でも、それって、しっぽや猫耳による小動物的なかわいさであって、私が美少女かどうかとは結び付かないんじゃ……」
「お前も疑り深いな。我輩の言う事を信じられないというのか」
「いえ、そういうわけじゃないですけど……突然自分が美少女だったと言われても戸惑うというか」
だって、元の世界では、そんな事言われた事も、ちやほやされた事も無かったし。
いや、確かにこの世界に来てからの自分の姿を見た時は、我ながら「かわいいかも」なんて思ったりもした。けれど、やっぱりちやほやされないから自覚が無かった。
「だったら我輩が断言してやろう。お前は可愛らしい。その獣の耳や尻尾もそれに拍車を掛けている。文句なしに美少女だ」
「な、なんで恥ずかしげもなくそんな事言えるんですか!」
一体何が目的なんだ。
まさか、ちやほやしておいてお金を巻き上げるとか、そういう結婚詐欺的なヤツかな……?
「あの、念のため言っておきますけど、私、全然お金とか持ってないですよ」
「何をわけのわからない事を言っているんだお前は。その自覚のなさが、先程聞いた工房での出来事のように、余計な厄介事を招く場合がある。それを心に留めておけと我輩は言いたかったのだ」
「ああ、なるほど。そういう事……」
美少女は美少女なりに気を遣わねばならぬという事か。
しかし美少女らしい振る舞いとは一体どういうものなんだろう。「パンが無ければお菓子を食べたら良いじゃない」とか言えばいいのかな。
それにしても、まさか自分が美少女だったとは。実感が湧かない。
もしかして花咲きさんってちょっと特殊な審美眼の持ち主なんじゃ? だから画家としてもいまいち成功していないとか……いやいや、なんて事を考えているんだ私は。仮にも「可愛らしい」なんて言ってくれた人に対してそんなひどい事を……!
でも、実感ないんだもん! 仕方がないじゃん!
とはいえ嬉しい事は確かである。今度はちょっと厚いお肉でたくさんカツサンドを作ろう……。
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