差し入れのつもりが

 買い物を終えて戻ってくると、花咲きさんは私が出て行った時のままの姿勢で眠っていた。

 そんなに疲れてたのかな。こんなところで寝て風邪ひかないといいけど……一応ストーブに薪を追加しておいた。

 下手に起こして料理を催促されるのも面倒だし、暫くはこのまま眠っていてもらおう。


 油を満たしたお鍋を火にかけている間に、買ってきた豚肉のロースの塊を2センチメートルほどの厚さに切ると、それを肉叩き用のハンマーで均一に叩いて行く。こうするとお肉が柔らかくなるって聞いたから。

 そういえば昔、肉叩き用ハンマーでゾンビに立ち向かうゲームがあったなあ。そんなにこのハンマーって強力なのかな。そして今こうしてお肉を叩く感触が、そのゲームみたいに実際に人肉を叩くような……いや、これ以上は考えないでおこう。


 その後で小麦粉を薄付けにし、溶き卵にくぐらせ、パン粉をお肉に付ければ、あとは油で揚げるだけ。

 そう。とんかつだ。私はカツサンドを作ろうとしているのだ。念のため多めに。

 お肉を充分に熱した油にそっと投入するとじゅわっという心地よい音がする。

 

 ウスターソースが売っていたので、それとケチャップと砂糖を混ぜ合わせて、ソースの味を調える。前にとんかつ用ソースが無かった時に、ネットで調べて代用品として作ったことがあるのだ。覚えていてよかった。

 あとは……とんかつと言えばキャベツだけれど……確か、前に日本で食べたカツサンドにはキャベツは入ってなかったような気がするし、今日はキャベツ無しでいいか。余計なものを切るのも面倒くさいし。

 とんかつを揚げている間に、スライスして耳を取り除いた食パンにバターとマヨネーズを塗る。

 とんかつが揚がったので、ソースをたっぷりと塗ってパンに挟む。


 この世界にはラップのようなものが存在しない。仕方なく紙ナプキンにパンを包んで上からまな板を乗せる。パンを具に馴染ませれば完成だ。

 その間にお茶でも淹れよう。今度は水の入ったケトルを火にかける。

 ええと、カップは確かこの棚の上……あれ、なかなか届かない。爪先立ちで手を思いっきり伸ばして、あと少し……というところで横から手が伸びてきた。

 花咲きさんがいつのまにか起きてきたのだ。そのままカップを二つ棚から取り出す。


「ほら、これが欲しかったんだろう」

「あ、ありがとうございま……って、花咲さん! 私、手を洗ってくださいって言いましたよね!? カップにもちょっとだけオイルパステルの色が移っちゃってますよ! 早く手を綺麗にしてこないとサンドイッチ食べさせませんからね!」


 脅すと、花咲きさんは気まずそうにそそくさと洗面所に消えていった。

 私も改めてカップを洗って汚れを落とす。

 その後でパンと馴染んだであろうカツサンドをつまみやすい大きさにカットすれば完成だ。美味しくできてるといいんだけど……もしも不味かったら私は食べないでおこう……。

 

「花咲きさん、小さくても良いからダイニングテーブルでも置いたらどうですか? 仕事机でご飯を食べるのも気が休まらないでしょう?」


 カツサンドの載ったお皿と、お茶を花咲きさんに差し出すと


「お前はわかっていないな。むしろ仕事をしながら片手で食べられるからこそ良いのではないか。それもあって我輩はサンドイッチを食すのだ」


 言いながらカツサンドに手を伸ばすと思い切り齧り付く。

 まるでトランプが好きなあまりサンドイッチを発明したと言われてる人みたいな理由だ。

 そしてしばらくの間。


「……なんだこのサンドイッチは。肉が豪快に挟んである。でも、ソーセージでもハムでもない」

「あれ? カツサンド食べた事ないんですか?」

「カツサンド?」

「フライみたいに衣をつけて油で揚げた豚肉に、ソースを塗ってパンに挟んだんです。あの、お気に召しませんでした?」

「そうじゃない。こんなサンドイッチを食べるのは初めてだから驚いて……文句無しに美味い」

「そんな、大袈裟な」

「いや、この甘いソースと柔らかい豚肉の相性が抜群で、あふれる肉汁がパンと見事に調和している。そしてなおかつ食べ応えがあって、まるで味の宝石箱だ」


 なんだかグルメレポーターのようなことを言い出した。


 しかし「文句無しに美味い」とも言ってくれた。これは大成功なんじゃないか。

 せっかくだから、前に約束した通り、ミーシャ君に差し入れしてこようかな。


「花咲きさん、私、ちょっと出かけてくるので、ゆっくりお食事しててください」


 そうして残りのサンドイッチを包むと、ミーシャ君の働く工房を目指したのだった。





 「ゴドーのアトリエ」の扉を押し開けると、むっという熱気と共に、職人さんたちが作業している姿が目に入る。見ればほとんどの職人さんがスノーダンプを作っているようだ。

 ミーシャ君が言ってたように、なかなか大変そうだ。


 扉を開ける音に反応したのか、ミーシャ君がすぐにこちらを向くが、私の姿を視認したと同時に目を瞠った。


「ユキさん、どうしたんですか? まさか、例のスノーダンプになにか不具合でも?」


 仕事がらみだと思ったのか丁寧な口調なミーシャ君に慌てて首を振る。


「ううん、あのスノーダンプにはなんの問題もないよ」

「それじゃあなんでこんなところに?」

「急に来ちゃってごめんね。でも、ほら、約束したでしょ? 手料理を届けるって。ちょうど今日がお休みの日だったから」


 サンドイッチの包みを渡すと、ミーシャ君は笑顔を浮かべる。


「わあ、覚えててくれたんだね。嬉しいなあ。お昼になったら食べさせてもらうよ」


 その時、


「お、ミーシャ、その子、まさかお前の女か? 色気付きやがって」


 ミーシャ君より幾分か年上の男性が、私たちのやりとりを見て、からかうような声を上げる。

 その言葉にミーシャ君は慌てて首を振る。


「ち、ちがいますよ先輩! この人はあのスノーダンプの案を出してくれたユキさんです。食堂で働いてて、今日は手料理を届けてくれたんですよ!」

「へえ、あんたがあの……それにしても羨ましいぜ。わざわざ手料理を届けてくれるなんて。ちょっと見せろよ」


 先輩はミーシャくんから素早く包みを取り上げると、びりびりと乱暴に包装紙を破いてゆく。

 工房内の他の男性達も何事かと集まって来てしまった。

 まずい。具が一種類しかないシンプルすぎるサンドイッチが白日の元に晒されてしまう……!


「へえ、サンドイッチか。見たことない具だな。でも、美味そうな匂いだ。なあミーシャ、ちょっと味見させてくれよ」

「え……いくら先輩でもそれはちょっと……」

「いいだろ? 一切れだけ」


 そう言うと、有無を言わさずサンドイッチに噛り付いてしまった。


「なんだこれ!? めちゃくちゃ美味いじゃねえか!」


 その言葉に場がざわめいた。


「俺も」「俺にもくれよ」と言う言葉とともに男性達が群がり始め、あっという間にサンドイッチは一切れも残らずに先輩たちの胃の中へ……。


「あ……! 僕のサンドイッチが……!」

「悪い。美味かったからつい」


 たいして済まなそうには見えない先輩に対し、ミーシャ君は俯いて両手を握りしめている。

 ひどい! 人の食べ物を勝手に食べちゃうなんて……!

 でも、ミーシャ君はさすがに先輩に対しては強く出られないのか、ただ俯いたままだ。

 私は思わず声を上げる。


「私はミーシャ君のために作ったんですよ! 今すぐ戻してください!」


 先輩に詰め寄ると、相手は私を見て鼻で笑う。


「戻す? そんなん無理に決まってんだろ。また作れば良いじゃねえか」


 その悪びれない、人を小馬鹿にした様子に、私の中で何かが切れたような気がした。

 同時に全身の毛が逆立つような感覚。

 私は先輩に近づくと、手を伸ばしてその襟首を掴む。


「また作るのは構いません。でも、あなたに食べられるのは嫌。吐いてください。今すぐに。さあ、口を開けて! さあ!」

「なにを馬鹿なこと……うおっ!?」


 私が無意識に力を込めると、先輩の身体は軽々と持ち上がり、今にも足が地面から離れそうだ。

 怒りの収まらないまま睨みつけると、工房内の炉の炎が突然勢いを増してごうっと燃え上がった。


「そこまでにしときなさい。娘さん」


 突然のしゃがれた声に我に返ると、急に両手にありえない重さがのしかかってきて、思わず手を放す。

 先輩はどさりと床に転がった。


「え? あれ、私……」


 今、何をしたの……? 

 地面に尻餅をつく先輩を見やる。

 怒りと共に、この人がすごく軽く感じられて、それでそのまま……。


「な、なんなんだよお前……」


 床にへたりこんだまま、私を見上げる先輩の目には、恐怖と戸惑いの混じった色が浮かんでいる。


「お前こそ何様のつもりなんじゃ。いや、お前だけじゃない。ミーシャ以外全員何をしとるんじゃ」


 先程のしゃがれた声に振り返ると、ドワーフの親方さんが立っていた。


「騒ぎがするから何事かと見に来てみれば。お前達、後輩に集って恥ずかしくないのか。本来なら後輩を導くのが先輩としての役目であろう? それがなんだ、さっきの有様は」

「いえ、その、これはちょっとした冗談で……」

「そう思っているのはお前達だけだ。はたから見れば胸糞悪いわい。だからその娘さんも怒っておったではないか」


 親方さんは先輩達を見回す。


「ミーシャ以外、明日の朝までにスノーダンプのパーツをを50台分作っておくように。一つでも遅れたら許さんぞ」

「そ、そんな、俺は見てただけで何も……」


 先程までとは別の男性が声を上げるも


「見ているだけで止めようとしなかった。同罪じゃろう」


 すっぱりと切り捨てると、親方さんはミーシャ君の背を優しく叩く。


「ちょっと早いがお前は昼休憩だ。ゆっくりしてくるといい。その娘さんと一緒にな」







「ごめんねミーシャくん、まさかあんな事になるなんて……」

「いや、僕こそ先輩をとめられなくて……せっかくユキさんが作ってくれたのに。食べたかったな、あのサンドイッチ。根こそぎ食べられちゃうなんて、よっぽど美味しかったんだろうなあ」


 お互い謝りながら、近くの食堂でサンドイッチ代わりの昼食を摂る。


「よかったら、夕方にまた持ってこようか? 材料ならまだあるし」

「うーん……残念だけど今日は諦めるよ。また先輩達を刺激するかもしれないからね」

「そっか……それじゃあ、ほとぼりが冷めた頃にまた。今度は工房以外のところで渡すようにするね」

「うん、楽しみにしてるよ」


 会話が一区切りついたところで、お互い暫く無言で食事を口に運ぶ。

 頃合いを見計らって、私は控えめに尋ねてみる。


「……ねえ、ミーシャ君の先輩達ってみんなあんな感じなの?」


 先ほどの出来事。まるでミーシャ君がいじめられているみたいだった。いつもあんな自分勝手で乱暴な人たちに絡まれているんじゃないかと心配になったのだ。

 ミーシャ君は首を横に振る。


「そんな事ないよ。いつもは尊敬できて気の良い人達だけど……最近はやっぱりスノーダンプ作りばっかりで忙しいのと、僕だけに任されてる特別な仕事と……それにユキさんみたいな人が下っ端の僕に差し入れに来てくれた事とか、色々重なっちゃったから……」

「私『みたいな』って……そんなに場違いだった……?」

「ううん、そうじゃなくて……その……」


 ミーシャ君は何故か言葉を濁すと、唐突に話題を変えた。


「それにしてもユキさん、さっきはすごかったね。先輩をあんなに軽々持ち上げちゃうなんて……」


 私もその事を考えていた。一体どうしてあんな力が出せたのか。普段の私はスコップでの雪かきもままならない、いたって普通の人間のような存在だったはずだ。それがどうして……?


「私もあんなの初めて。自分でも気づかなかったけど、私って実はすごい力持ちだったのかな……」


 首をひねっていると


「それなら僕と腕相撲でもしてみようか?」

「あ、それ良いかも。私がほんとに怪力なのか試すチャンスだね」


 料理を食べ終わると、食器をテーブルの脇に避けて、私達は各々の肘をついて手を握る。

 あ、ミーシャ君の手って意外と硬くて豆もある。やっぱり日頃鍛冶の仕事をしているせいだろうか。


「それじゃあ行くよ。せーの!」


 その掛け声に、私は右手に全体重をかける勢いで力を込める。が、ミーシャ君の腕は微かに動いたかという程度で、私はあっさり返り討ちに遭ってしまった。


「お、おかしいな。ねえ、ミーシャ君、もう一回」


 懇願して再勝負に挑むが、結果は変わらず。


「あはは、ユキさん顔真っ赤だよ。力込めすぎ」

「ミーシャ君こそ強すぎ。でも、さっきは簡単にあの先輩を持ち上げられたんだけどなあ。とにかく怒ってたから重さを感じなかったのかな……? 火事場の馬鹿力みたいに」

「えー、怖いなあ。僕も怒らせないように注意しよう」


 ミーシャ君が楽しそうに笑う。勝負に負けたのは悔しいが、ミーシャ君に笑顔が戻ったみたいだし、まあいいか。

 さっきの工房での現象の謎も、結局はわからなかったけれど……。




  

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