ふたつのメニュー
とうとう『
開店直後に、チョークアートを乗せたイーゼルを入口脇に設置すると、少し離れたところからそれを眺める。花咲きさんの描いてくれたチョークアートは確かに可愛らしい。けれど、やっぱりメニュー名と絵だけじゃ情報が足りない気がする。
私は念のため用意していた白いチョークをポケットから取り出し、料理の絵の上と「幼子の秘密の宝島」の文字の間に「12歳以下のお子様限定メニュー!」と書き足す。
これで多くの親子連れが興味を持ってくれるといいな。
なにしろ「限定」なのだ。私の経験上「限定」という言葉に人々は弱い。私も過去何度も「限定品」という魅惑的言葉の品々に手を出してきたものだ。
そんなことを考えてイーゼルの位置を調整していた矢先、
「わあ、かわいい。うさぎさんの絵」
幼い女の子のはしゃいだような声が聞こえた。さすが花咲きさんの渾身のチョークアート。すでに子供の関心を捉えたようだ。
女の子は私にキラキラとした瞳を向ける。
「ねえ、おねえちゃん、本当にこんなお料理があるの?」
「勿論だよ。実際に見て確かめてみたらどうかな? 今ならお嬢ちゃんが一番最初のお客さんだよ」
自分でも少々ぎこちないと思える営業スマイルを浮かべると、女の子は何かを期待するように後ろを振り返った。そこには両親らしき若い男女。
「ねえ、パパ、ママ。あたし、このお料理食べてみたいなあ」
「うーん、仕方ないな。少し早いけど、今日はここでお昼ご飯を食べようか」
「やった! パパ大好き!」
「もう、あなたったら甘やかし過ぎよ」
「今日くらい良いだろ? それに、子供限定なんて面白そうだし」
そんなことを言いながらも、親子連れが近づいてきたので、慌ててドアを開けて店内へと誘導する。
すごい。早速効果が現れた。チョークアートの効力もあったとは思うが、やはり「限定」と言う言葉には皆惹かれるものなのだろうか。
その後もチョークアートを目にした親子連れが何組も入店してきては『幼子の秘密の宝島』を注文する。なかなかいい滑り出しだ、
その反応は様々だが、皆一様にはしゃいでいる。「ほんとにうさぎだ」などという声も。
よかった。喜んでくれているみたいだ。
店内もいつもとは客層が違うせいか、ほのぼのとした空気が流れる。
と、そこで、常連の男性客が私を呼ぶ。彼は親子連れをちらりと見ながら
「なあ、表にあったあの子供限定メニューって、俺も食えねえかな? すげえ美味そうなんだが」
おおう……いつかこんな事態が起こるのではないかと危惧していた。なにしろ「限定」だし、新メニューだし、興味を持つ大人がいても仕方がない。
私は出来る限り申し訳なさそうな顔で対応する。
「申し訳ありません。あれは子どものお客様のために考案したものなので……量も少なめだし、味付けも全体的に甘いんですよ。大人のお客様には合わないかもしれないし、満足できないかと……」
「そんな事言わずにさ、こっそり頼むよ」
ええと、どうしよう。男性も簡単に引き下がってくれそうにない。でも、ここで特別扱いしたら他のお客様に示しがつかない。
困っていると、イライザさんがやってきた。
「あら、お客様、お子様たちと同じ『幼子の秘密の宝島』をご所望ですか? 随分と可愛らしいものがお好きなんですね」
その若干大きな声に、近くの席の人々が男性客に目を向ける。中には小さく噴き出す人も。
男性は慌てたように胸の前で手を振る。
「ち、違えよ。ちょっとした冗談に決まってるじゃねえか。いつものやつ、そう、いつものを頼む」
「はい、『妖精の森の秋の収穫祭』ですね。少々お待ちください」
そうしてイライザさんは踵を返すと、オーダーを厨房に伝える。
私も慌ててその後に続く。
「イライザさん、助かりました。あの人『幼子の秘密の宝島』を食べたいって食い下がってきたから、もうどうしようかと」
「ああいう時は少し意地悪してみるのも良いかもね。大の男性がお子様限定メニューを頼もうとしてるなんて周りに知られたら恥ずかしいでしょ? そのプライドを刺激するの」
なるほどなあ。さすがイライザさん。長年のウェイトレス業で鍛えたテクニックは伊達じゃない。私も覚えておこう。
そうしてランチタイムが終わってみれば、『幼子の秘密の宝島』は予想以上に注文されていた。親子連れのお客様もいつもより多く、その子どもの大半が「また来るね」などと言ってくれた。
マスターのお料理は美味しいからなあ。一度でも口にすればその魅力に気づかないはずはないのだ。今までそれが広く認知されなかったのは、やっぱりあの独特なメニュー名のせいではないだろうか。
そう思うとともに、改めて花咲きさんの描いたあのチョークアートの効果を思い知らされた。あのおかげで親子連れのお客様が興味をもってくれたのだから。
やっぱりビジュアルがあるって大事なんだなあ。メニュー表も早く完成させてもらおう。
ところが、ディナータイムになると、『幼子の秘密の宝島』はほとんど注文されなくなってしまった。客層が変わったのと、暗くなるにつれて店頭のチョークアートが見えなくなってしまったせいかもしれない。
今の時間帯は仕事帰りの常連さんの姿が目立つ。それに、小さな子どものいる家庭は、大半が自宅で団欒の時を過ごしているだろうし。
そうして何日か様子を見た後で、「幼子の秘密の宝島」は味の如何に関わらず、ディナータイムの注文が見込めないという事で、ランチタイムのみの提供となる事が正式に決定した。
けれど、予想以上に好評だったのか、それを求める親子連れのお客様は多く、時には「幼子の秘密の宝島」を求めて満席になるほど。このままうまくいけばマスターの理想とする「銀のうさぎ亭」に近づいてくれるのでは……と期待していたのだが……。
その代わりとでも言うように、イライザさんと考案した「乙女の秘めたる想い」の売り上げが激減してしまったのだ。
何故だ。おいしいのに。
以前はよく購入してくれていた常連さんも、最近はめっきり購入頻度が減ってしまった。飽きてしまったんだろうかと新しい味を投入してみても評判は芳しくない。しかし、正面切ってその理由を尋ねるわけにもいかず、悶々とした日々を過ごしていた。
その日も閉店後に大量に余った「乙女の秘めたる想い」を、イライザさんがゴミ箱に捨てようとしているのを見て、私は咄嗟に声をかける。
なんだかイライザさんが悲しそうな顔をしているように見えたから。
「待ってくださいイライザさん。それ、廃棄するくらいなら私に貰えませんか?」
イライザさんは手を止めて瞬きする。
「まさかユキちゃん、これ全部食べるつもり?」
「いえ、明日の休憩時間に、知り合いに差し入れに行こうかと。いい宣伝にもなるだろうし」
「でも、1日経ったものを誰かに差し上げるだなんて……」
「1日くらい大丈夫ですよ。私のいた国でだって、どら焼きをその日に食べないといけない、なんて事はなかったですから」
だから大丈夫なはずだ。たぶん……。
そうして翌日、私は大量の「乙女の秘めたる想い」を持ってミーシャくんの働く工房を訪れる。
私の姿を見た途端、ぎょっとしたような顔をしたのは、先日揉めた先輩だ。
けれど、私は何も見なかったように笑顔を心がける。
「先日は大変失礼しました。今日はお詫びにお菓子を持ってきたので、よろしければ皆さんで召し上がってください」
美少女は美少女なりに気を遣うべき。
先日の花咲きさんの言葉が思い出される。
もしも私が本当に美少女なのだとしたら、ミーシャくんに嫉妬が向かわないようにしなければならない。そういうわけで、まずは先日の悪い印象を払拭しつつ、工房で働く人全員に差し入れをすると事で良い人アピールをするいう手段をとることにしたのだ。残り物のお菓子で。
まずは例の先輩に、個装にしたお菓子を差し出すと、彼は少しためらった様子を見せたものの、結局は恐る恐るといった様子で受け取ってくれた。
そうして皆に「乙女の秘めたる想い」を配ってゆく。もちろんミーシャ君にも。
「これ、どこの店のだ?」
例の先輩が「乙女の秘めたる想い」を齧りつつ尋ねてくる。もしやこれは宣伝するチャンス!
「私の働いている食堂で作ってるんですよ。ここからちょっと離れてるんですけど『銀のうさぎ亭』っていうお店で。気に入ったらどうぞいらしてくださいね」
「ふうん。でも、よく似たものが近くの菓子屋にも売ってるしなあ」
「え?」
「こういうパンケーキみたいなのにクリームを挟んだような菓子、最近よく見るぜ。味も似てる」
確認するようにミーシャ君を見ると、彼も肯定するように頷いている。
それって、それってもしかして……。
「いつのまにか真似されてたって事ですか!? だからうちのお店の『乙女の秘めたる想い』の売り上げが落ちたって事なんですか!?」
銀のうさぎ亭に戻った私は、マスターやイライザさんに報告する。
例の「似ている」と言われたお菓子を扱うお店をミーシャ君から聞き出して、該当する品物も買ってきた。確かに似ている。ただし、そちらのはハート形ではなくシンプルに円形だが。
切り分けたものを齧ったマスターは唸る。
「こりゃ確かに似てるな。おまけに相手は菓子の専門店だ。言っちゃなんだが……うちの店のより味がいい」
「……そうですね。素人の私が作ったものよりずっと美味しい。これならうちの『乙女の秘めたる想い』が売れないのも納得ですね」
イライザさんも浮かない顔で同意する。
あー、私のバカバカ! ミーシャくんだって言っていたじゃないか。スノーダンプが他店に真似されているって。その対策のためにひと工夫凝らしているとも。
どうして私は「乙女の秘めたる想い」が他店に真似される可能性に思い至らなかったんだろう。
あれ? そうすると「幼子の秘密の宝島」もいつか真似される可能性が……? いや、でも、あの味は流石にそう易々と越えられないだろうし、うさぎモチーフというオリジナリティもある。真似でもしたらすぐに元ネタであるこのお店の模倣だと気づかれるだろう。その点に関しては大丈夫だと信じたい。
「まあ、この話は後で改めてする。とりあえず今は夜に向けての仕込みが先だ」
マスターはそう言うと厨房へ戻っていってしまった。
イライザさんは黙ったままその場で俯いている。
「あ、あの、イライザさん……」
心配になって声を掛けると、イライザさんは俯いたまま静かに話し出す。
「ユキちゃん、たぶんあの『乙女の秘めたる想い』はメニューから外されると思うわ。売れないものをずっと置いていても仕方がないもの。せっかく協力してくれたのにごめんなさいね」
「そんな……」
思わず声を上げたものの、たぶんイライザさんの言う通りなんだろう。彼女はマスターの事を誰よりもよく知っているのだから。
でも、そうしたらイライザさんとマスターが触れ合う時間が減ってしまう。元々はそのために考え出したお菓子だったのに……。
けれどその時、何かを決意したような強い光の灯った瞳で、イライザさんは顔を上げる。
「でも、その前に私、最後の『乙女の秘めたる想い』を作るわ」
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