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さてその柳澤さんといえば、特に何かを思う様子もなく、不思議そうに逃げるデリアを眺めていた。
どうやら、モカ自身はその苗字に何かがあるということを知らないのかもしくはデリアだけが恐れているのか……。
どちらなのかはイマイチ分からないが、とりあえずモカに心当たりはないらしい。
とりあえず食事を済ませて外に出ると雨が降っていた。
「しまったなぁ、傘持ってないや……。」
あくまで俺は現代人、ふと口走ってしまったが、この世界に傘という概念は存在するのだろうか。
しかし、日本に居た頃は天気予報が当たらないことがあってかなり煩わしかったが、いざ天気予報の無い世界にくるとそのありがたみが身にしみる。
「傘って何……?」
どうやら、この世界に傘という概念は無かったらしい。作れたらいいのだが、俺にそんな技術はない。濡れて帰るしかなさそうだ。
家に戻るとモカはそそくさと奥へ行って、風呂を沸かすといって蔵へ走っていった。
まさか蔵に風呂があるとか、そういうオチだろうか。だとしたらなんで家から離してしまったのか。もし雨が降っている日であったら、せっかく風呂に入っても戻るまでにまた濡れてしまうじゃないか……。
障子を開けて外を眺めていると、蔵からモカが出てきた。頭に両手を置いて、走ってくる。小さい体と相まってなんとも微笑ましい。
「もうすぐにでも入れるけど、どっちが入る? それとも一緒――」
「お先にどうぞ。」
これぞ紳士だろう。紳士、完璧じゃないか俺。
と、そんな自画自賛はさておき、モカが入っている間、このままでは少し寒い。夏だし、むしろ服を脱ぎ捨てたほうがいいのだろうか。この世界の医療事情が分からない以上、あまり病気にかかるというものよくないだろう。
とりあえず、上をはだける。下はもうどうだっていいや。
そうだ、囲炉裏に火を入れよう。それで暖をとればいいじゃないか。
適当に炭を重ねて火をつけた。手をかざすとほんのりと熱が伝わってくる。むしろ熱いくらいなのだが、まあ、どうせすぐ風呂には入れるだろう。そんなに熱については気にしなくていいだろう。
そういえば、日本はどうだろうか。俺が居なくても世界が普通に回っていくのは当たり前だが、親や友人たちは元気だろうか。部の奴らは、ちゃんと稽古しているだろうか。
気になることはいくつもあるが、その中でも一番気になるのは、何故俺がこの世界に飛ばされたのか、ということである。別に俺である必要はなかっただろうに。そもそも、頭をぶつけた金属の箱のほうも気になる。あんなところにあんな箱あっただろうか。少なくとも、その日の朝にはなかったはずである。
改めて考えてみると、不思議なことが多すぎる。
ただ、正直毎日毎日同じようなことをしていた日本での生活よりは、こちらでの生活のほうが楽しい気がする。
「お風呂空いたよ」
モカがそう言って縁側から入ってきた。前屈みになっていて、胸のふくらみが見える。が、俺は紳士なのでそれには一切触れずにああっ、もう少しだけど平常心を保って、雨の中蔵へ向かう。
そういえば、どんな風呂なのかまったく言われていないが。そもそもさっき入ったときに風呂らしきものはどこにもなかったが。
蔵に入ると、さっきは気づかなかったが、奥に扉があった。扉を横にスライドさせて開けると、よく映画なんかで描かれる風なのではなく、どちらかといえば昭和初期をモデルとしたような雰囲気の風呂だった。
当然水道なんてものはないので湯船にお湯が張られているだけである。湯船のふちは十センチくらいはあり、そこに桶が一つ置かれていた。シャワーがないというだけで洗い場はあり、排水溝はしっかりと作られているようだった。
服を脱ぎ捨ててドアの外にあるカラの籠に入れて、湯船に足先をつけてみる。
――うん、温度は丁度いい。
そのまま肩まで湯に浸かる。そういえば三日ぶりくらいの風呂だろうか。いろいろあったものだからそんなに気にしていなかったが、どの世界でもやっぱり風呂というのは気持ちのいいものである。
そういえば、風呂に入る直前に死んだのだったか。そうか、死ぬ前に入りそびれてしまったから、最後に風呂に入ったのは結構前じゃないか。
うん、やっぱり日本人としては、風呂は絶対必要だな。
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