2部屋目 ルーターちゃん
「マジで意味分かんねえ話だったなあ、あのハゲ。部屋に入れた物が全部美少女になるとか、もし本当なら怪奇現象の枠さえ超えるわ」
俺はやれやれと肩を竦めてメゾン美少女の敷地内へと足を踏み入れた。門は建屋の左正面にあり、まずは8枠ある結構広めな駐車場が目に入る。門を入れば右手に二階へ上がる外階段があり、その階段の下に集合ポストが壁伝いに設置されていた。
「……ポスト、俺の部屋以外は全部名前が貼ってある。満室だったんだ……」
意外だった。こんな全室告知義務アリのアパートに、住人が満室になるほどいるとは思っていなかった。そのポストを眺めつつ、俺は一階の奥から二番目にあるはずの自分の部屋、102号室を目指した。目指すほど遠くも無いのですぐに部屋の前に到達し、不動産屋にもらった薄っぺらい鍵をバッグから取り出した。自分の部屋、自分の鍵。心がウキウキと高揚する。
「やあ。新しい入居者さんだね。こんにちは」
「ひえいっ!」
不意に呼び止められ、なんだかおかしな声が出た。左からだ。見れば、隣の101号室の扉から、青白い顔だけひょこっと出した男がいた。髪は長くぼさぼさで、度の強い眼鏡のせいで瞳は良く分からない。若そうだが、病的な印象を受ける男だった。
「あ、ど、どうも。初めまして、俺、美樹本晴道(みきもとはるみち)って言います。ご挨拶が遅れて」
「ああ、いいのいいの。僕は安彦隆信(あびこたかのぶ)。しがない万年学院生さ。これから宜しくね、美樹本くん」
「あ、はい。よろし」
「で、きみ、荷物は? これから?」
「え? はい。今から引越し屋さんと荷物搬入しますので、お騒がせしますけど」
「いーのいーの。そんなの全然いいんだよー。いやー、楽しみだなあ。今度はどんな子に会えるんだろう」
「は?」
安彦という男、人の話を最後まで聞かないタイプのようだった。のみならず、自分にしか分からない事を平然と言葉にしてくる。対応に困る、というか疲れるタイプだ。このファーストコンタクトで、俺はすでにこの男とは仲良く出来そうに無いと判断した。
「いや失礼。きみ、荷物が片付いて落ち着いたら、一度僕の部屋に遊びに来てみたまえ。きみの部屋の子たちとも、きっと友達になれるはずだから。ねえ、美樹本くん。是非よろしく」
「は? え? は、はあ」
悪いけど何を言っているのか全然分からん。俺は適当に相槌を打つと「じゃ、じゃあ」と会釈して鍵を開け、素早く部屋に潜り込んだ。
「当たり前なんだけど、まだ何にも無いなあ」
これからお世話になる部屋の玄関で、中を見回す。すぐに見えるのは左手のドア。ここは小さな脱衣所で、磨りガラスの扉の奥にバスルームがある。もう一つあるドアはトイレだ。玄関上がってすぐの短い廊下の向こうにある正面の扉がリビングダイニングになる。
「くす……くすくす……」
「ん?」
どこからか含み笑いが聞こえた気がした。もしかして大家さんでも来ているのかも知れないと思い、靴を脱いでリビングダイニングへと向かう。
「……誰もいない。気のせいか」
リビングダイニングへの扉を開けると、眩しい朝日が射し込んで、窓枠の形の影を落としていただけだった。何も無い部屋は声が響く。俺は自分のひとり言にちょっとびっくりしてしまった。
「それにしても、若い女の子の声だったような。凄く可愛い声だったな……あ、はーい。今、出ますー」
呼び鈴が鳴った。早速部屋にあるインターフォンを取り、モニターを見てみる。思った通り、引越し屋さんだ。日に焼けた逞しい笑顔が画面一杯に映っていた。
* * * * *
引越し作業はつつがなく僅か一時間ほどで終了した。引っ越しパックの家具家電一式はプロの手により即座に使用可能な状態になっている。テレビ、テーブル、書棚、冷蔵庫や電子レンジ、忘れちゃいけない照明類に、カーテンまで取り付けてもらってしまった。これで一応生活可能になっただろう。
後は使い慣れた食器やらクッションやらを落ち着くように並べたりして仕上げだな。水道オーケー。電気も来ている。エアコン、動く。おっと、ネットは大丈夫かな?
「ま、ポケットWi-Fiだから大丈夫に決まってるけど」と、スマホと一緒にポケットに入れていたルーターを取り出した。
「ハラ減った。電気。電気ちょうだあい」
ルーター喋った。俺の手のひらの上で、だらしなく寝そべっているルーター。いや、これ比喩じゃないんだ。ルーター、ホントに寝てるんだ。うつ伏せで。なんかルーターのデザインを元にしたような、ブラック基調でちょっと未来的な感じの服? つーかコスチューム着てるし。なにこれ可愛い。
「聞こえない? お腹が空いたって言ってんの。ケーブル入れて。USBの。早く、早く。早く入れてええええぶっ」
俺はルーターを再びポケットに突っ込んだ。声でけえ。可愛い声で「入れてええええ」とか叫ぶなし。ご近所様に誤解されちゃうだろおおおお!
俺は気を落ち着けようとキッチンへ向かった。コーヒーでも淹れよう。インスタントだけど。ええと、ケトルはどこだ? ああ、キッチンカウンターの上の棚に入れたっけ。俺は背伸びして上袋の棚の戸を開けた。
「はひっ。ご、ご用ですか、ご主人様。私、ケトルです。ちょっと外見が変わっちゃってますけれど。え、えへっ」
そこには、体にぴっちり張り付く銀色の服を着た、ちっちゃい美少女が正座していた。確かに、背中には俺のケトルに付いていた把手がある。どうやらこれがケトルであるらしい。
「…………」
「あっ、あっ」
俺は返事もせずにケトル美少女の背中の把手をむんずと掴み、蛇口の下に差し出した。俺はケトルと会話なんてしない。そのケトルがどんな美少女だったとしても、だ。認めん。俺は認めんぞ。お前がケトルだと言うのであれば、見事水をたらふく溜めて、地獄の業火にも耐えて見せるがいい。そして湯を沸かしてみせろ!
俺は蛇口をひねった。
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