メゾン美少女へようこそ!
仁野久洋
1部屋目 告知義務アリ
俺も春から大学生。それも、東京都内の国立大。夢にまで見た都会でのキャンパスライフ。これで俺も東京者の仲間入り。盆暮れ正月には田舎に帰り、地元の同級生に都会風を風速80メートルくらいで吹かすのが楽しみだ。
将来的には東京にすっかり馴染み、あの蜘蛛の巣のような、訳の分からない鉄道の路線図すら暗記してしまうほど電車を乗りこなす事になる。例えばサークルの飲み会とかでも店への行き方に不安のある女子に、「ああ、そこはナントカ線でカントカ駅まで出て、そこで乗り換えると早くて安いよ」とか教えてあげられたら自分的にはかなり上級東京者。そんな俺はやがて女子からの羨望を集め、人気者の座を確固たるものにするはずだ。必然的に彼女が出来て、キャッキャウフフと毎日を送る事になるだろう。そして、そのうちに「家、遊びに来る? 泊まってもいいし」とかなるに決まってる! そう! つまり、ここが俺の夢の出発点であり終着点! 始めるのだ!
夢の、独り暮らし!
俺は桜吹雪の舞い散る中で、鼻息荒く夢の象徴を見上げた。
「よう、メゾン美少女。今日からよろしくな、相棒!」
メゾン美少女。軽量鉄骨二階建て、総部屋数8部屋。俺は真っ白な外壁を桃色に染めるアパートの門前で春風に撫でられつつ、でかいバッグを担ぎ直して敬礼した。
「……ところでこのアパート名……未来の彼女は、引いちゃったりしないかな?」
一抹の不安が過ぎったが、実はそれよりもっと気にかかっている事が俺にはある。実はこのアパート、なんと全部屋「告知義務アリ」なのだ。「告知義務アリ」とは何か? 知らない人がいるといけないので、念の為説明しておく。ざっくり言えば「ヤバイ部屋」という事だ。
ヤバイにもいろいろあるが、まあ前に住んでた人が死んでる(老衰病死自殺に殺人など)とか、怪奇現象発生の報告がある(金縛り地縛霊ポルターガイストなど)なんかがその代表になるだろう。俺はこの物件の契約をした不動産屋で、この「告知義務」の説明を受けた時の事を思い返した。
「で、この告知義務なんですけど。何ですか、これ?」
俺はボディバッグに忍ばせてある実印へ、ごそごそと手を伸ばしながら質問した。親父の同級生で不動産屋であるハゲたおっさんは、俺の正面、埃っぽいカウンター越しに脂ぎった額をハンカチで拭き拭き、「ああ、それはですね」と切り出した。
メゾン美少女は、築7年、1LDK、LDK12畳相当に、一部屋は8畳、ベランダに出窓まである小洒落たアパートだ。オート風呂にウォシュレット付トイレ、キッチンは対面システム型のオール電化、バリアフリーのフルフローリングとロフトベッドまで付いて、駅まで徒歩五分の月々なんと30000円。ちなみに駐車場完備である。車は持って無いけれど。
こんなに凄まじくいい物件、そうそう出てくるものではない。俺は幽霊出るくらいなら契約しちゃおっかなーなんて思ってた。何しろ俺には霊感の類が一切無い。そんなもんが出てきても気付かないだろうからだ。
「実はですねえ、まあ、なんとも説明しようが無い、ような、あるような」
「はあ?」
「ああ、分かります。私もおかしな事を言っているという自覚はありますから」
「言い難い感じです? いいですよ、ハッキリ言ってもらっても」
「いや、言い難いわけでは……ただ、言葉にするのは簡単でも、俄に信じられない話と言いますか、聞いてもなかなかイメージし辛いと申しますか」
「幽霊ですか? それなら僕、信じてないから平気です」
「はあ、まあ、幽霊、みたいなもの、なんですかねえ」
「違うんですか?」
「違うんでしょうねえ」
ハゲの説明は全く要領を得なかった。これは、俺が馬鹿にされているのかとも思ったが、どうもそういう感じでも無い。これ、多分、馬鹿にしているのはハゲ自身だろう。ハゲは自分が説明しようとしている事が、どれほど馬鹿馬鹿しいか、それによって自分が俺に馬鹿にされるのではないか、と考えて、話すのを逡巡しているのではないか、と。俺には、そう見えた。
「現地案内してもらった時も、別におかしな所は無かったですけど」
「でしょうねえ」
「え? 部屋に問題があるんでしょ?」
「はあ、まあ。問題が部屋にあるのは間違い無いんでしょうけど」
「さっぱり分かりません。どういう意味です?」
「ええと、つまりですねえ。何と言いますか、部屋に置いた家具や家電などに、問題が発生するんですなあ、これが」
「壊れるんですか? それは困ります」
新居引っ越しパックの家具家電一式は、俺のお年玉貯金をはたいて買ったのだ。それがパァになるのは痛過ぎる。
「いいえ、いいえ。壊れたりはしません。ちゃんと使えますよ。むしろ、使え過ぎるようになる、ん、ですかねえ」
「はあ? なんですか、それ?」
ハゲはぶんぶんと手を振って否定したが、話はますます分からなくなった。ハゲは観念したように「はあ」と嘆息すると、ついにその一言を俺に告げた。
「あのアパートの部屋に入れた物はですねえ、全てが"美少女"になるんです」
せっかくようやく単刀直入に教えてくれたのに申し訳ないのだが、これで本当に全く訳が分からなくなった。
「意味分かんねえ!」
「でしょ? 私もですよ」
ハゲは「ははははは」と全然面白くもなさそうに笑った。
「……とにかく。重要な事は、住めるかどうかだと思います」
「ですよねえ」
「その告知義務、聞いてもさっぱり住んでみた時の事がイメージ出来ないんですけど……俺、大丈夫だと思います?」
これは自分で判断のつかない事案だ。かと言って諦めるには勿体無い物件なので、俺はハゲに縋ってみた。
「まあ、耐えられない方はすぐに出ていかれますが、むしろ喜んで住み続ける方もみえますから」
「へえ、そうなんですか? あのう、一応聞いておきたいんですが、その耐えられない人と喜ぶ人の違いって、どこにあるんですかね?」
「そうですなあ。一言でその違いを表すなら、性癖、にあるのかも知れませんなあ」
「性癖? 性格じゃなくて、ですか?」
「げふんげふん。おおっと、そうでしたそうでした。性格、性格です。もちろん性格が重要ですから」
ハゲは慌てて訂正したが、これは本音が漏れたと見て間違い無い。性癖が合致したら住めるのん? それ、どんな性癖なん? とか思っても聞けないだろコレ。とんでもない例を出されたとして、「ああ、それなら大丈夫です」とか言えないし。親父が昔の級友から息子の特殊な性癖を聞かされる羽目になったら悲惨だし。まあ、俺は比較的ノーマルだと思ってるけど、自分では。
「良し。まあ、住めば分かる事ですね。虎穴に入らずんば虎子を得ず。背水の陣で臨む不退転の覚悟があれば、人間万事塞翁が馬!」
「おおお! 何という勇者!」
俺は実印を振りかぶり、カウンターを突き破らんばかりに契約書へと叩きつけた。
「ご契約、ありがとう御座います。卒業まで正気でいられますように、心からお祈りしております」
ハゲは手を組んで本当に祈っていた。そして何故か「南無阿弥陀仏」と呟いた。
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