第4話 除湿器ちゃんは箱入り娘(物理)だった
秋空は高く長く伸びた雲との色合いが淡く寂しさを覚える時分。
俺は独り部屋を掃除していた。クローゼットに夏服をしまい込み、冬支度に必要なものを引っ張り出す前の大掃除だ。
「…………」
家具や荷物をしまい込んだ部屋は広い。物持ちするタイプじゃないこともあって整然としている。
それでも棚の裏やベッドの下を掃けば埃がコロコロと姿を現す。小さな汚れや発掘されたごみを見つけては捨てていく。
ふと、このままキレイにし続けていったらこの部屋からは俺の生活の息遣いは聞こえなくなってしまうのではないか。そんな考えが頭をよぎる。
「なに言ってんだが」
部屋はキレイに越したことはない。こんなセンチメンタルな感情に浸ってしまうのは、差し込む秋の日差しが少しだけ部屋を白けて映しているからだろう。夏から秋へと移ろうなかで熱以外の何かを失ってしまった。そんな漠然とした不安が胸の内から湧きおこる。
いや、そうじゃない。本当のところは違う。この部屋は静か過ぎるのだ。
「除湿器ちゃん……」
答えを口にしても応えは返ってこない。
部屋の片隅に目を向ける。そこには何もない。鎮座していた家電も、家電用に用意していたい草のラグもそこにはなかった。
「除湿器ちゃん……どうして」
誰もいない部屋につぶやきが木霊する。床を掃く手が止まった。
「どうして、段ボールのなかに引っ込んじゃったんだよぉ……⁉」
今朝のことだ。彼女は部屋が散らかっているから一度しっかり掃除をするべきだ、この状況は家電的にも好ましくないと言い出した。俺はその提案を了承したのだが除湿器ちゃんは続けてこう言ったのだ。
「あたしは……段ボールに戻るわ」
そして彼女はスッと立ち上がり、自身を梱包していた段ボールへ吸い込まれるように姿を消したのだった。
§ §
「除湿器ちゃ~ん……!」
掃除を終えた部屋の中で俺は段ボールを前に泣き崩れていた。目の前にはごく一般的な除湿器の商品名が印刷された段ボールが鎮座している。俺は掃除を終えると慌てて彼女の入った段ボールをクローゼットから引っ張り出した。それほど彼女に早く会いたかったわけだが、段ボールの蓋に手がかかる瞬間その動きが止まった。
「……なんで除湿器ちゃんは自分から段ボールのなかへ?」
そうなのだ。すべては唐突だった。掃除の最中は彼女が急に立ち上がり段ボールのなかに消えたことにばかり気を取られていたが、その動機が分からない。その存在さえ知らなかった自立歩行の機能まで使って自らを収納した理由はなんなのだろう。
「…………」
何故だか分からないけど嫌な予感がする。
ここで選択を間違えたら二度と彼女に会えない。そんな気がする。
「フゥ――落ち着け。まず、深呼吸」
いったん全ての感情を黙らせて息を吐く。吐き切ったところでゆっくり深く息を吸い込む。ブレてまとまりのなかった思考が収束し気力が身体に漲る。
うん。俺は除湿器ちゃんを取り戻す。
「……まずは、確実なところからだな」
俺は目の前の段ボールがこの部屋に届いたときのことを思い出す。
§ §
ネット通販で購入したそれはつつがなく届いた。
そして封を切るとその中は暗闇だった。正確には黒一色で見ることも手を入れることも出来ない状態だった。
俺は訳が分からないなりに段ボールをくるくると回してみたり底面からの開封を試みたがどれも上手くいかなかった。まるで『底から出す必要はないのだから底は開いたりしない』と言わんばかりにカッターもハサミも受け付けなかった。
「そうなると、ひっくり返す?」
状況を打開するにはそれしかないように思えた。ただ、中身が
「このままウダウダしてても仕方ない! それっ!」
掛け声の割にはそろっと段ボールをひっくり返す。中身の揺れに神経を尖らせるが変化は感じられない。
「ん? どうなってんだ? それ、それっ……!」
一向に進展しない事態に俺は焦れ始め勢いをつけて箱を揺らした。
すると――
シュポン
妙に軽快な音とともに段ボールの中身が滑り出て着地した。その音の軽さから梱包用の発泡スチロールが落ちたのだろうと思った俺は段ボールを降ろしながら固まった。
「なにこれ?」
まず目に映ったのは白いうなじとグレーがかった水色の髪。鎧と呼ぶには妙に角ばったパーツを身体にまとい、プリーツスカートを穿いている女の子。等身大フィギュアのような姿のそれは一切動かないが物と呼ぶには精巧過ぎて人間そのものに見えた。
「えっと……なにこれ?」
除湿器を購入したら段ボールの中から女の子が出てきた。どう見ても段ボールに収まらないサイズにも関わらず。
「……なんだそれ?」
そう、ここから俺たちは始まったんだ。
初めは訳の分からないことだらけだったしケンカもした。
だけどお互いを知っていくうちに俺の暮らしも変わった。
いまでは俺たちの暮らしと言った方がしっくりくるくらいだ。
「そう。だから俺は……俺には」
俺は目の前の段ボールに手を伸ばし、ゆっくりと天地を逆さまにした。あの日とは違って迷うことなく。そして中身が出てくるように軽く揺さぶる。願うように。祈る様に。
そして、段ボールから除湿器が姿を現す。
§ §
●電源
ぴっ、と電子音が鳴りディスプレイにランプが灯る。ファンの駆動音を響かせ除湿器は起動する。
「……んっ」
「おはよう。除湿器ちゃん」
彼女は俺の姿を認めると目を見開き、笑いかけてから手を口に当てた。そしてそれから首を捻って最後に部屋を見渡した。
「……うん、おはよう。それでこれはどーゆーこと?」
「なにが、かな?」
「時刻合わせしたら、あたしが眠ってから六時間も経ってない。秋晴れなのに部屋の湿度が80%近くになってる。あたしがあんたのベッドに座らされている。
「うん。確かにその通りだね。だけど、答えはシンプルだよ除湿器ちゃん」
「どういうことよ?」
機械的に告げられる事実の羅列。それはこの部屋と除湿器ちゃんの状況を正確に表している。
だけどその理由は実に単純だ。
「それはね、俺には除湿器ちゃんが必要だからだよっ!」
「はぁっ……⁉」
俺の回答に除湿器ちゃんの顔が赤く染まり髪が逆立つ。可愛いけど、いまはそれ以上に大事なことがある。
「あ、あんた! なにをっ! なにを言って……!」
「除湿器ちゃんっ‼」
「ふぁいっ‼」
彼女の抗議の声を遮って俺は叫び彼女の手を取った。いよいよ茹でだこみたいな彼女の瞳がぐるぐると回っている。
「これから毎日、俺のパンツを乾かしてほしい……!」
「へあぁっ⁉」
卒倒しかけている彼女の肩に手を回してその瞳を見つめる。
「ご覧の通り洗濯物が絶賛部屋干し中なんだ。だから秋でも晴れの日でも除湿器ちゃんの仕事はなくならないっ! だからこれからも俺の傍にいてくれ‼」
「……あっ、あうぅ~‼」
触れ合った状態で見つめているからか彼女の瞳の動きで思考が理解できる。言葉と気持ちは届いた。あとは、除湿器ちゃんがどう答えるかだ。
涙目になった瞳が狭しなく揺れ、額のディスプレイがでたらめに点灯を繰り返している。
彼女の内面の騒めきそのもののように胸の前で指があたふたと踊る。
「あ、あの、あっ……」
「除湿器ちゃん」
無意識に出た呼び声に引かれる様に彼女の視線が俺へと向けられる。目と目が合った瞬間、彼女はハッとしてその瞳に力強い何かが灯る。胸の前でもどかしく組まれていた手が俺の両肩を押し除ける。そして僅かに俺たちの身体が引きはがされた一瞬で彼女の顔が俺の胸に飛び込んできた。
「ごっ……!」
かなりの衝撃にもんどり返りそうになるのを堪える。俺の胸にすっぽりと収まった除湿器ちゃんは頭しか見えない。
「……………………はい」
「えっ?」
「返事よ、返事。あんたの傍にいてあげる」
言葉と裏腹に押し当てられた頭部はイヤイヤするように左右に揺れている。
なんと声をかければいいのか分からない。けど、なにかしてあげたくて除湿器ちゃんの頭を抱き寄せる。それでも彼女のイヤイヤは止まらない。
「当たり前じゃない。初めからあたしはあんたのものなんだから」
クスリと笑みがこぼれた。それが悲しい感情でないことだけは確かだ。自然と彼女を抱きしめる腕に力が入る。除湿器ちゃんのイヤイヤが止まった。
「……あんただけのもの、なんだからね」
そう言って彼女は俺を見上げて笑った。
やっぱり除湿器ちゃんは世界の誰よりも可愛い。
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