第3話 除湿器ちゃんはコンプレッサー式だからか温かい

●電源


「やぁ除湿器ちゃん。早速だけど除湿をお願い」

「あぁ……はい。って! あんた⁉」

 起動と同時に伝えられたオーダーを了承しかけた除湿器ちゃんの声が部屋に響く。

「ゲリラ豪雨だよ。見事にアタリ、だよ」

「あっ……そぅ、なんだ?」

 水滴が窓ガラスを叩く音が部屋に響くほどの雨が現在吹き荒れている。雨音なのかと疑いそうになるほどの打撃音が小刻みに窓を叩き本能的な恐れをき立てる。

「そういうわけで、風呂入ってきますんで部屋を快適にしといてね」

「……うん」

 手早く用件を伝えると俺は脱衣所へ向かいズブ濡れの服を脱ぎ捨てる。

 一瞬玄関口に置きっぱなしにした郵便物の存在が脳裏によぎったが、いまはいい。

 とにかくいまは熱いシャワーを浴びながら沈黙していたい。

「くそ……!」

 俺にだって気の滅入る日くらいあるのだから。



 § §



 熱いシャワーを頭から浴び続けて五分くらい経っただろうか。それでも憂鬱な気分は晴れず、何度目かもわからないため息だけが流水に溶け流れていく。出来る事ならこの気分も同じように流せてしまえばいいのに。

「はぁ」

 身体はもうキレイにしてある。なら、これ以上続けていてもしょうがない。

 そう自分に言い聞かせて浴室を後にした。

 日頃の習慣のおかげで忘れずに用意してあった着替えとバスタオルで身支度を済ませる。

「…………」

 いつもならここからルンルン気分で自室へ向かうわけだが、いまの俺には二つの関門がある。

 一つは玄関口に放置された封筒。中身は先日俺が受けたオーディションの結果通知だ。結果は不合格だ。

「……やっぱり、不合格だな……」

 一度目にした結果が変わるわけはないのに手に取って再確認してしまう。我ながら女々しくて意味のない行為だなとは思う。だからといってその行動をスッパリ止められるほど俺はデキた人間じゃない。

――自信があったわけじゃないけど、手ごたえはあったからな。

 人生の大半を学生として過ごしてきた若造の俺には、頑張っても必ずクリア出来るわけではない試練と、不合格不採用という言葉がグサリと突き刺さる。

 正直言ってかなりショックだ。

「……そして、第二関門」

 不合格通知を手にしたまま洗面室に戻る。鏡に映る自分の顔はヒドイもんだ。

 このまま自室に戻って除湿器ちゃんと顔を合わせるのは避けたい。

――というか、なんで電源入れたんだ俺は?

 思い出そうにも記憶が曖昧にしか浮かばない。不合格通知がよほどショックだったんだなと我がことながら納得してしまう。玄関で封筒を開封し、通知を見てショックのまま俺は除湿器ちゃんを起こしてしまったということだろう。

 どうしたものかと考えようとする。なにひとつまとまらない。イライラする。

――だいたい、なんで俺が遠慮しなきゃいけないんだ。だって相手は……。


 ドンッ


 壁を叩いて思考を無理やり打ち切る。それはいくらなんでもあんまりな物言いだ。理由は言葉に出来ないけど、それはダメだ。

「ここは疲れてるってことで除湿器ちゃんには寝ていてもらおう」

 誤魔化せるような状態でないなら、話せる範囲で話して寝てもらう。そうしよう。

「そんで、その後は……」

 酒でも飲んで、寝てしまおうか。

「あー、ダッサ……」

 昔、実家で親父が同じことしている姿が嫌いだったのにな。



 § §



「はい、座って!」

「え……?」

 ドアを開けると除湿器ちゃんが開口一番に座れと告げてきた。その勢いに押されて俺は除湿器ちゃんの前に座ってしまった。

 フローリング床に置かれたい草のラグにぺたん座りしている女の子、人型除湿器の除湿器ちゃんは水色の瞳をいつも以上に釣り上げて俺を睨みつけている。

「…………」

「いや、あの……除湿器、ちゃん?」

 無言でむくれる彼女の圧力に思わず目が泳いでしまう。

 プリーツスカートと機械とも鎧ともつかないパーツを身にまとった彼女はいま両手を胸の前でギュッと握りながら上半身だけファイティングポーズのような格好で俺と向かい合っている。

「今日、何があったの?」

「え?」

「ご、ま、か、さ、ないっ!」

 グレーがかった水色のショートヘアーを揺らして除湿器ちゃんががなり立てる。何もなかったなんでもないは通用しないだろう。

「バイト先でヘマした、し……雨にも降られたから。あの、除湿器ちゃん……」

「他には? あるでしょう?」

 俺の言葉にかぶせて追及してくる除湿器ちゃん。その瞳には確信が宿ってる。

「ホントだよ、それで凹んでるし疲れてるんだ。だから休ませて欲しいんだけど」

 実際通知が気になってバイト先でヘマはやらかしたし、雨に降られて体力が消耗しているのも間違いない。けど、もっと大きな問題は別にある。彼女にはそれが見えているらしい。

――だけど、知られたくない! 除湿器ちゃんに聞かれたくない!

 正直に言って俺は恐い。

 悩みを打ち明けて彼女がそれを大した問題でないと一蹴してしまったら身を千切られる想いだ。

 かといって、共感してくれたらくれたで俺は心のどこかで『でも除湿器ちゃんは家電だしな』と一線を引いてしまうんじゃないか。

 それで俺と除湿器ちゃんに溝を作ることを俺は恐れている。この問題はあくまで俺だけの問題にしておきたい。そういう想いが胸の内にある。

――限りなくフリーターに近い声優の仕事事情って話づらいし、な。

 専門学校卒業後、最初は運よく仕事もありネット検索すれば誰かくらいはわかる程度の知名度の声優。それが俺だ。学生時代のコネもあって芝居関連の仕事もちょいちょいもらっているものの金銭的な収支から見れば俺はフリーターだ。

 夢追い人と言えば聞こえは良いが、根無し草のような暮らしと言われたら反論が難しい身の上だ。

 そして、そんな暮らしを進んで選んだ俺の気持ちを彼女は理解してくれるだろうか。

「う、うう……!」

 そうやって、押し黙ったままでいると今度は除湿器ちゃんが唸り始めた。見ると目にはうっすら涙が溜まっている。

「じょ、除湿器ちゃん⁉」

「話しなさいよぉ! あんた、絶対変だもんっ! なにか、あったんでしょ⁉」

「そ、そんなことは……」

――俺はバカだ。この期に及んで誤魔化そうとするなんて、除湿器ちゃんが泣いちゃうじゃないか。

 除湿器ちゃんが俺をポコポコ殴る。殴られてる場所は痛くないのに、妙に胸が痛い。

「泣きそうな顔して、ジメジメしてるし……!」


 ポコポコ


 俺を殴る手を止めた除湿機ちゃんが睨みつけながら口を開く。これが証拠だと言わんばかりに。

「今日のあんた、可愛いって……言ってくれてない、し」 

「…………」

 そうだな。俺は確かにそんなヤツだ。除湿機ちゃんの前ではいつでもおどけて可愛い可愛い言ってるようなヤツだった。

 いきなりそれを止めたら不安になるよな。俺は彼女の頭をくしゃりと撫でた。

「ごめんね。除湿器ちゃん」

「……うん」

 ああ、やっぱり除湿器ちゃんは可愛いなあ。

「で、何があったの?」

「……はい。話します」

 それでも追及は止めてくれないようだ。



 § §



「……と、いうわけです」

「ふぅん」

 それから俺はオーディションの不合格通知を受け落ち込んでいたことや、将来のことを考えるとこのままでいいのかといった悩みを一切合切白状したのだった。

「感想は? 除湿器ちゃん」

「待って。いろんなこと話したからまとめてる……」

 あれだけ話したくないと思っていたのに、いざ話してみると一気に話してしまった気がする。もしかしたら俺は誰かに悩みを聞いて欲しかったのかもしれない。

――あとは……この体勢のせいか。

 いま俺はベッドの上で除湿器ちゃんに膝枕されている。除湿器ちゃん曰く『目を合わせない方が話しやすいこともあるし、逃走防止』だそうだ。

 除湿器ちゃんの太ももは柔らかくてさらさらしている。そして温かい。コンプレッサー式だからか彼女の身体は起動中はけっこうの熱量を持つのだ。

 除湿器ちゃんはうんうんと独りで頷き考えをまとめている。どんな回答であれ、こんなに真剣になってくれる相手にビビッて悩みを打ち明けずにいたのが馬鹿みたいだ。

――それにしても、除湿器ちゃんの膝枕か。

 こんな素晴らしい恩恵を賜っているにも関わらずテンションが上がらないなんて、確かに俺はどうかしているようだ。普段なら身悶え必至のご褒美なのに。

「まとまったわ」

 そんなことを考えていたら除湿器ちゃんも考えがまとまったらしい。さあ、彼女はなんと言うのだろうか。

「うん。上手くいかないと、どうしてもいろいろと考えちゃうんだけど、除湿器ちゃんはどう思う?」

「そうね。いまはまだ頑張ったらいいんじゃない?」

「そ、そうかぁ……」

 出ました。定番のとりあえず頑張れ系か。まあ、分かるは分かるんだけどね。

「けど、除湿器ちゃん。頑張っても上手くいかないときもあるよ」

 不合格通知を彼女にピラピラ揺さぶって見せる。

「そうね、頑張ればどうとでもなるなんて見当違いな場合も多いわね」

 そう言って彼女は俺の手から通知を奪い取ってグシャグシャにしてゴミ箱に投げ捨ててしまった。

「ああー⁉」

 思わず立ち上がろうとするが頭をガシッと押さえつけられて叶わなかった。

「いいじゃない。あの紙を大事にとっておいてもなにも変わらないわ。それよりも」

「それよりも?」

「次、頑張りたいって思うことをしたらいいのよ。頑張っても思い通りにならないことはある、けど、頑張りたいって思えることがあるのはいいことよ。だったら、それをするだけ」

「……シンプルだなぁ、除湿器ちゃんは」

「除湿しか出来ない家電だからね、あたしは」

 そう言ってウインクしてみせる除湿器ちゃん。可愛いけど……格好いいな。

「そ、それでね……」

「うん?」

 今度は除湿器ちゃんがモジモジし始めた。なんだなんだ?

「もし、あんたがどんなに頑張っても無理だあってなったら、ね……?」

「……うん」

「あたしが、誉めてあげるわ……あんたを」

 そう言って真っ赤な顔で俺を見下ろす除湿器ちゃん。

 その瞳にはとても穏やかで情熱的な光がある。

 うん、それなら俺は頑張れるな。いや、頑張りたいぞ‼

「ありがとう除湿器ちゃん。たったいま、また頑張りたくなったよ」

「うん♪」

 除湿器ちゃんは満面の笑みで頷いた。

 本当にありがとう。除湿器ちゃん。

 除湿器ちゃんは温かい。それはコンプレッサー式だから、ではないんだ。



 § § 



「ねぇ、ところで……いつまで膝枕されてんの? あんた」

「もうちょっと……除湿器ちゃんが満水になるまで」

「…………」

「あっ⁉ 除湿器ちゃん吸気スピード上げたでしょう?」

「なんのことかしら?」

「だって、音がフォォォってなった! フォォォって‼」

「あはは♪ なんのことかしら?」  


 フォォォ‼

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