第2話 除湿器ちゃんのお手入れ

 予定のない休日。今日は久しぶりの晴天だ。

 洗濯物が日差しの下で風に吹かれて揺れている。

 エアコンのきいた室内は室温湿度共に快適な状態に保たれている。

「んんっ……!」

 俺は目を通していた書類を閉じて伸びをする。内容は一通り頭に入ったが、これからどうしたものだろうか。ともあれ、いますぐどうこうしようという状況じゃないな。

「……集中力、切れた」

 こういうときは小休憩をとるに限る。真面目に受験生をしていた経験からそれは間違いない。

「さて、そうなれば……!」

 俺は部屋の隅へ向かう。床に敷かれたい草のラグの上にはグレーがかった水色のショートヘアーにプリーツスカート、機械とも鎧ともつかないパーツを身にまとった女の子がぺたん座りしている。

 彼女は眠るように瞳を閉じているが呼吸は一切していない。彼女は家電であり人間ではないので当然なのだが、少しだけ不思議な気分になる。俺は彼女の額に付いている長方形の黒いプレートに触れる。


●電源


 ぴっ、と電子音が鳴りディスプレイにランプが灯る。

 すると全身をびくりと震わせたのち彼女が瞳を開き、起動状態お目覚めになった。

「おはよう、除湿器ちゃん」 

 彼女は除湿器ちゃん。人型の除湿器だ。

 除湿器ちゃんは俺の姿を認めてから部屋のなかを見回した。

「んっ、おはよう。どうしたの? 湿気仕事、ないじゃない」

 勤勉な彼女は起動するとまず部屋の湿度と状況を確認する。

 そして自分の仕事が見当たらないので怪訝そうにしているというわけだ。

 ちょっと面白くないが勤勉なトコが除湿器ちゃんのいいとこだから仕方ないね。

「いまはくつろぎタイムなので、除湿器ちゃんを起こしてみました!」

「あぁ、そう」

 除湿器ちゃんは家電なのに寝起きはテンションが低い。いつものことだけど、つれない。

「そんなつれない態度だと、可愛いコールをし続けるぞ !? 」

「そんなことしてみなさい、電源落として完全無視してやるわ」

 気だるげな表情で額の鉢金はちがねディスプレイを軽くつついて見せる除湿器ちゃん。なんということだ! いつものチョロ甘紙防御の除湿器ちゃんと同じようにはいかないぞ! むむむ!

「あんた、いまモーレツに失礼なこと考えてない?」

「そんなことはないさ。俺は除湿器ちゃんと会話中は十中八九『除湿器ちゃんは可愛いなぁ!』としか思ってないからねっ!」

「むぅ……」

 むくれて見せるが、その頬にはわずかに赤みが差している。そうそう。除湿器ちゃんはこうでないと!

 うんうん、除湿器ちゃんは可愛いなぁ!

「いま、あたしモーレツにあんたのドヤ顔にパンチくらわせたいわ」

「はっはっはっ!」

 まったく、除湿器ちゃんは可愛いなぁ!



 § §



「で、どうしたのよ? 実際のとこ」

「うん、台本読みに飽きました」

「あんたねぇ~」

 ひとしきりじゃれたところで、除湿器ちゃんが訊ねてくる。俺が正直に答えると彼女は呆れ顔だ。 

「人間は常に勤勉に活動し続けられるモノではないのだよ除湿器ちゃん」

「まぁ、そうね。けどその人間を助けるためにあたし達、家電が存在してんだから胸張って怠惰を報告しないでよ……」

「うぐぅ……!」

 除湿器ちゃんは勤勉だ。それゆえ怠惰であることを良しとしてくれない。

 叱られたままは嫌なので、とりあえず下読みは終えていること、集中力が切れたままでは効率が悪いのだと告げるとひとまずは納得してくれたようだ。

「じゃあ、前みたいに台本読みに付き合おうか?」

「う~ん、それはなぁ……」

 除湿器ちゃんからの練習の提案だけど正直気乗りしない。イメージが自分のなかでまだ固まっていないし、なによりまだ俺は除湿器ちゃんをイジっていないのだ! なのに真面目に練習など出来ようか? いや、出来ない!

 乗り気でない俺を除湿器ちゃんがジト目で睨んでいる。あからさまに不服な表情で口なんか三角形になってる。いかん、このままだとほんとに電源を落としかねない。ん? そうだ。

「除湿器ちゃん。吸気口の掃除を最近してなかった気がするんだけど大丈夫?」

「いまのところ問題は感じないわね。あと、あんた『ん? そうだ』って」

「よしっ!! 吸気口の掃除をしようっ!!」

 除湿器ちゃんの追及を強制キャンセルする。この世は声の大きいモノの意見こそが通るのだ!



 § §



「はいじゃあ、ヨロシク」

「オーケー、力抜てね」

 俺は除湿器ちゃんをローテーブルに座らせ彼女の背後に立っている。

 除湿器ちゃんの背中は臀部から背骨のラインを鎧パーツに覆われている。その細長いパーツは人間でいえば胃の辺りで二股に分かれている。そして肩甲骨に張り付いたパーツと連結しておりちょうど『Yの字』型の形状をしている。つまり除湿器ちゃんの背中はほぼ丸見え状態なのだ。

 俺は肩甲骨のパーツをロック解除して除湿器ちゃんの背中に触れる。

「んっ……」

 除湿器ちゃんがわずかに声をあげて身じろぎする。セクシーですな。

 俺は構わずにシールを剥がすような動作で彼女の背中を優しくく。

「んぅ! んっ」

 相変わらず、ここの操作(?)は難しい。これは決して除湿器ちゃんの悩ましい声を堪能するためにわざとやっている訳ではないのだ。


 すっ、すっ、かり


「ひゃぅ! んっ!?」

 何度かのトライの後、指に薄い膜のようなものが引っかかった。

「よしっ」

 俺はその薄膜をつまむと、真っ直ぐに引き上げた。

「あっ、ダメ! もっ、もっとゆっくりしてぇ……!」

 除湿器ちゃんが抗議の声をあげたが時すでに遅し。俺はそれを彼女から引き剥がし終えた。

 背中に収納されていたときの形状を保ってはいるが薄くてほぼ透明なソレはフィルターだ。

 除湿器ちゃんの吸気口は背中の肩甲骨にある。細かくいえば肩甲骨のくぼみに走るスリットがそれだ。

 そしてこのフィルターはごみの吸い込み防止のために背中に取り付けられている。左右に一枚ずつ取り付けられているそれの形状は昆虫の羽根に少し似ている。

「まったく、乱暴なんだから、そんなんじゃ私のパーツ壊れちゃうわよ……」

 恨みがましい視線を除湿器ちゃんが寄越すが、取り合ってはいられない。

「そんなこと言ったって、除湿器ちゃんがいいっていう加減で引き抜いてたら日が暮れてしまうよ。それにもう片方を抜かなきゃいけないし、取り付けだってあるんだから」

 除湿器ちゃんはフィルター掃除を拒んだりはしないが相当くすぐったいのか、掃除の度にこんな調子だ。

「まったく、除湿器ちゃんは敏感だな~」

「へ、へんなコト言うなぁ!!」

 除湿器ちゃんは顔を真っ赤にして両手をぶんぶんと振り回し始める。除湿器ちゃん可愛い。



 § §



「よ~し! フィルターは漬け洗い中だから、背中いこうか!」

「あんたノリノリね……優しくしなさいよ?」 

 二枚目のフィルターを取り外すときも除湿器ちゃんがキャーキャー言って大変だったが無事にフィルターの掃除は終わりそうだ。今度は本体の清掃だ。もとい……除湿器ちゃんのお背中をフキフキするターンだ!

 もう一度言う! 除湿器ちゃんのお背中をフキフキするターンだ!

「怖れるな、背中を拭く時間が来ただけだ……!」

「なんなのよ? いったい……?」

 用意するのはメガネ拭き用のクロス。大型のモノを用意。続いてぬるま湯だ。

 クロスをぬるま湯に浸してから固く絞る。軽くパタパタさせて冷ましてから除湿器ちゃんの柔肌を上から下へと優しく擦っていきます。

「ん~~!!」

 日頃から部屋は綺麗にしているし、除湿器ちゃんの手入れも欠かしてはいないがそれでも細かい繊維質のゴミがとれる。


 フキフキ フキフキ 


「んん……!!」

「どうだい? 除湿器ちゃん?」

「うっ、うるさい……!」

 加減に問題ないかを聞いただけなのだが、除湿器ちゃんはなにを思ったのか首をいやいやと振って抗議するばかりだ。


 フキフキ すぅ


「ひぃ、ひゃぁ……!」

 肩甲骨周りのごみの溜まり易い箇所の次にわき腹を撫でる様に拭いていく。除湿器ちゃんの身体の線に沿うようにクロス越しにゆっくりと撫でていく。

「……!!」

 除湿器ちゃんの悲鳴が止んだ。盗み見すると彼女は指を噛んで声を押し殺していた。

 多分見当違いなことを考えているんだろうけど、可愛いからいいや。


 ふにっふにっ きゅ、きゅ


「……んっ」

 ふむふむ。汚れは一通り取れたみたいだ。あまり汚れちゃいなかったな。いいことだ、うん。

 しかしここでこのまま止めるのは勿体ないな。しばしクロス越しに除湿器ちゃんの柔らかさを堪能しようかな?

 

 フキフキ フキフキ 


「……!!」

 なかなか耐えるね除湿器ちゃん。そんな健気に我慢する様子も可愛いなぁ!

 しかし、そんな姿見せつけられたらイジらずにいられないのが男の悲しい性だ。

 悔しいけど俺も男の子なんだな……!

「……ん? お、終わり?」

 はぁはぁと息を荒げながらも期待を隠し切れない様子で除湿器ちゃんが振り返り俺を見る。

 水色の瞳と髪の彼女の頬に赤みが差すとコントラストが美しいね。

 見返り美人な除湿器ちゃんに俺の我慢もついに限界を迎えてしまう。

「ああ。最後の仕上げをしたらお終いだ」

「し、仕上げ?」

 俺は満面の笑みで除湿器ちゃんに答える。

 さぁ、とっておきを出しますよっ!



 § §



 チンと電子レンジが過熱終了のベルを鳴らす。ドアを開き中身を手に取る。

 ホカホカと湯気を立てる蒸しタオルを掴み俺は意気揚々と除湿器ちゃんの元へ向かう。

「除湿器ちゃん。お待たせ」

「待ってないわよ……」

 ツンとそっぽを向く除湿器ちゃん。さて、その余裕がいつまで持つかな?

「じゃあ、仕上げといこうか……除湿器ちゃん?」

「うっ……」

 ビクンと怯えたように身体を震わせる除湿器ちゃんの背中に蒸しタオルを近づける。

 タオルからゆらりと立ち上る湯気がつつっと彼女の肌に触れていく。熱いものが触れる瞬間を予感して彼女の身体が僅かに縮こまろうとする。

 強気な除湿器ちゃんの無意識の抵抗がいじらしい。大丈夫、決して熱くはないよ。


 ひた じわぁ


「あっ、あぁ……!!」

 蒸しタオルが白い肌に触れて押し当てられる。

 除湿器ちゃんは身体の内側まで広がっていく温かさに耐えきれずあえいでいる。

「あ、あぅぅ!!」

「除湿器ちゃん。どうだい? 仕上げは」


 じわぁ もみもみ


 彼女の肩を指で掴み、手の平で蒸しタオルを背中に押し付けていく。

 ほらほら、温かくて気持ちいいでしょう?


 もみもみ もみもみ


「除湿器ちゃーん? 感想ぉ、聞きたいんですけどー?」

 何にも気づいていないフリをして感想を求める。優しく彼女の背を揉みほぐしながら発言を促す。

 それにしても柔らかいなぁ。

「うっ、うう……!」

 くそう、まだ堕ちないか!

 このままでは蒸しタオルの熱量が足りないじゃないか!


 もみもみ もみもみ


「除湿器ちゃーん?」

「く、気持ち、いい……」

 き、きたぁ!!

 だがまだだ。まだ笑うんじゃない。

 ちゃんと彼女の口から言ってもらわなくては! ここはそうだな。

「え? なんだって?」

 コレだぁ!

「あ、あんたねぇ!」

 除湿器ちゃんが涙目で背後にいる俺を睨む。

 顔を真っ赤にして恥ずかしさで口がわなわなと震えている。

 まったく除湿器ちゃんは最高だぜ!

 除湿器ちゃんは意を決したように息をのんでから口を開いた。

「き、気持ち……いいわよ」

 よ……しっ!

 イエス! イエス! イエス!!

 ひゃっほぉぉぉっい!!

 我、成し遂げたり! 我、成し遂げたり!

「くぅ~~!!」

 除湿器ちゃんはぎゅうっと目をつむり歯がみしている。

 あぁ、可愛いな! 可愛いなぁ!!

「あ~~! 除湿器ちゃんは可愛いなぁ!!」

「ウルサイッ!! このド変態がぁ!!」


 めごりっ……!


 除湿器ちゃんの渾身の拳が頬にめり込んだ!

 ああ! とても痛いけどこの充実感は揺らがない!

 ははっ、頭から床に倒れ伏してるけど、気分いいぜぇ!

「ちょっと! あんた起きなさいよ!?」

 自分でやっといて心配しちゃう除湿器ちゃんも可愛いなぁ!

「ちょっとぉ~!?」

 結論。やっぱり除湿器ちゃんは可愛い!

 ……このあと、こぶの治療に結構時間がかかった。

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