なんか、著者名が気に入らない

 ――ゴブリンの巣――。


 じめっとした洞穴の手前には人骨で作られたトーテムポールみたいなのがあって、明らかに近寄りがたい雰囲気だった。

 オレはここまでやって来たはいいんだが、なんの武装もしていないのに、大丈夫だろうかと、今頃になって不安が沸々と心を支配していく。


「なぁに、オレには特殊能力がある」


 わざと口に出していった。そうじゃないと、怖かったんです。

 オレは『文庫本』を開いた。そこには新たなページに、ゴブリンの巣にやって来たことがきちんと記されている。


「これって自動書記だよな。もし、オレが自分で、この文庫のページにペンで書き足したら……どうなるんだ?」


 オレは自分の能力の持つ可能性に、やきもきした。自分の力を把握せずに使い続けることは非常に危険だと、バトル漫画でそれっぽく書いているが、それを実感した気分だった。

 残念ながら、今、字を書けるようなものはないので、残念ながら書けない。

 まったく、あの死神幼女め、きちんと取説かチュートリアルを用意しておけというんだ。


 オレは大きく溜息を吐き出して、ゴクリと生唾を呑んだ。嫌な汗が垂れるのが分かる。

 ここから先は、マジで化物が出てくるんだと考えると、ゴブリンだろうがビビるにきまっているじゃないか。


「様子を見るだけ、様子を見るだけ……」


 オレはゆっくりと、足音を立てないように嫌な臭いがしてくるゴブリンの巣穴に入っていく。

 じりじりと地面を踏む音が妙に耳にこびり付く。

 オレ、これから、こんな世界でやっていけるんだろうか。モンスター一匹くらいは倒せる力があればいいんだが、まるで敵の強さが未知数だ。


 やがて……、オレは少し開けた空間に出た。そして、思わず「おっ」と声を出してしまった。

 なんとそこには、おそらく先行していたであろう少女冒険者が居たからだ。しかも、ゴブリンらしき影は見えない。


 さ・ら・に――。


(おーいおいおいおい! なんで、あの娘はすっぽんぽんなの!?)

 思わず物陰から覗き込み、まじまじと相手の裸体を見てしまって、オレは目ん玉を丸くしてしまった。

 なんと、その冒険者らしき少女は、素っ裸なのだ。もしや、本当に、ゴブリンたちに襲われてしまったのかもしれないとも考えたが、身体にはまるで傷ひとつなく、むしろ綺麗な柔肌が白く輝くようだった。

 オレは、大体この手のパターンを知っている。

 いきなり出てきたオレに、相手は裸体を見られて大騒ぎのラッキースケベになるやつだ。

 オレはその展開にはしたくなかったので、先手を打ってみることにした。


「オーイ! そこの少女!」


 と、物陰に潜んだまま、相手のほうを見ずに、大きく声をかけたのだ。わんわんと洞窟内に声が反響して、相手のいる方から、慌てたような物音がした。


「だ、だれ!?」

「あー、その。村の人間に頼まれて様子見に来たもんだ! ゴブリンはどうなった!」 

「た、たおしたよ!」

「え、まじで? じゃあ、なんで裸なの?」

「ちょっと事情があったの! あ、あの、ゴメン! 何か服貸してくれない?」


 あちらはあちらで、好きで裸でいるんじゃないと訴えかけてきた。オレは上に着ていたシャツを脱いで、丸めて投げてみた。


「それでいいなら、着てみてくれ~」

「あ、ありがとう!」


 それから衣擦れの音がするとともに、オレのほうに、足音が近づいてくる。


「これ……ありがと……」


 そう言ってオレの目の前に現れたのは、金髪を綺麗に背中に流した碧眼の少女だった。細く白い脚が伸び、オレのシャツを一枚しか着ていないため、色々とヤバイ。

 オレのシャツのサイズが大きくてある程度は隠せているんだが、裾をぴんと伸ばして、若干前かがみになって局部を隠そうとしているが、後ろからみたら、お尻まるだしだろう。あと、シャツが白いんで、うっすらと透けて見えるものがあったりなかったり。

 それでも、女の子は頬を染めながら、きちんと礼を言ってくれるので、「あ、いい子じゃん」と思った。

 オレもシャツを脱いだせいで、肌着に呪いのネクタイをしているという、微妙な服装になった。


「ゴブリン、倒せたの?」

「うん……」

「凄いな。一人で? 武器も持ってないように見えるけど、素手? 武術?」

 オレは女の子の身体をなるべく見ないように、照れ隠しも兼ねて、質問を投げかけまくった。相手は恥ずかしそうに物陰に隠れたまま、こちらの質問に応えてくれた。


「そ、そんなところ。あ、あの、こんなことを頼むのは、本当に図々しいとは思うんだけど……、あなたのズボンも貸してもらえない?」

「エッ」

「こ、これだけじゃ、色々見えちゃうの!」

「し、しかし、オレもこのスラックスを脱いだら、パンツ丸出しなんだが」

「私は、パンツもないのよ!」

「大体、なんで全裸なの!」

「事情があるって言ってるでしょっ」


 オレは少しだけ悩んだが、確かに若い女の子が下半身丸出しは色々マズイ。このままの状態を続けて描写をしていくと、この作品にR18を設定しなくてはならない。オレはそれはできればしたくない。だって、ただでさえ少ないPV数が更に狭まるだろ?

 いや、むしろR18を売りにしたほうが見てもらえるのか? この名前も知らない少女にジャパニーズ・触手・Hentaiをけしかけるとかだろうか? いやいや、オレの特殊能力の『文庫本』を官能小説にしたら、もう人前で出せないじゃないか。健全でいきましょう、ケンゼンで。


「分かったよ……」

「ご、ごめんね。替えの服を用意したら、返すから」


 オレはしぶしぶスラックスを脱ぐ。そしてベルトごと、少女に差し出すと、素早くそれを受け取った少女は慌てながら、脚を通していった。


「ありがとう、村の人。なんだかすごくいい生地の服ね」

「あ、オレ、村の人間じゃないんだ。異邦人って言えばいいかな」

「あ、そうだったんだ。ごめんね、早とちりしちゃったよ」


 えへへ、と舌を出して笑う少女は、外見だけで判断すると、十代後半か、二十歳ってところだろうか。若々しく、そして腰は細い。そしてバストはそこそこ目を引くくらいに存在感がある。

 正直、美少女だった。異世界ありがとう、とオレはやっと転生を感謝した。


「私、ミラリー。冒険者だよ」

「ああ、オレは……なんて言えばいいんだろうな……まぁ冒険者でいいか。名前は――」

「ん?」

 ミラリーは、可愛い顔で首をちょいと傾げた。キラキラしている瞳は透き通っていて見惚れてしまいそうだが、オレが言葉を失ったのは、それが理由じゃない。


「――あら? オレ、オレの名前、なんだっけ」

「え?」


 ……ちょっと待て。落ち着け。オレは地球の日本生まれ、血液型はB型で、好きな食べ物は海鮮丼。好みの女の子は従順な妹タイプ……。

 そこまで色々と思い出せる。なんなら国歌だって歌えるし、住んでいた家の住所も思い出せる。くそったれな会社の名前も覚えているのに……。


「オレの……名前が思い出せない」

「記憶喪失とか……?」

「そ、そうなのかもしれん……」


 そこで、オレはとんでもないことに気が付いた。そうだ。『文庫本』。あれはラノベ風の表紙をしている。題名だって書いてある。だったら、そこに著者名が書いてあるべきじゃないか!

 オレは慌てて『文庫本』を出現させた。


「うわ、本が出た!」


 ミラリーは驚いたようだが、今はそれどころじゃない。

 オレは『文庫本』の表紙を見た。背表紙を見た。そしてもう一度、表紙を見た!


 著者名に、『花井有人』と書いてある――。


「花井有人……? これが、オレの名前、か?」


 ピンとこない。こんな名前だっただろうか? 違う気もするし、全然違う気もする。


「……アルト……」

「ん?」

「アルトかなー、たぶん……」


 オレは、自分の名前を、その著者の名前から頂くことにした。それが本当にオレの名前だったのか否かは分からない。だが、そこにそう書いてある以上、これはオレの本だし、オレの名前、だと思う、たぶん。


「そっか。アルト。服、ありがとう」

「ああ、うん。とりあえず、村まで戻ろうか?」

「そうしよ。ゴブリン退治の報酬も貰わなくちゃ」


 ミラリーはくりんと身を回転させて、眩い笑顔と輝く金色の髪を揺らした。あと、大きめの胸も、ぷるりんした。

 ああ、ブラもしてないもんな、とオレは考えて、思わず、見つめてしまいそうになる彼女の胸部から、目を逸らすのに、気を遣い過ぎて、帰り道で躓くのだった……。

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