第17話 よくよく考えたら、素直にいい話だと思えない



 私には忘れられない人がいる。

 もう10年以上前になるが、彼以上の生徒が現れることはないと確信している。

 それぐらい私の中で群を抜いていた。


 まず初めて見た時から違った。

 騒々しい教室の中で、窓際の席に座り彼は外を眺めていた。

 何を見ているのかと、私もそちらを見れば特にこれといって変わったところはない。しかし、彼は穏やかな表情を浮かべていた。


 その表情に、それから私は彼を気にかけるようになった。





 彼はとても優秀だった。

 授業も真面目に受けて、テストでは常に一位。その上、運動も出来て性格もよかったから、クラスだけではなく学校中の人気者だった。私たち教師陣からも評判は高かった。


 それぐらい完璧な生徒だったのだが、一つだけ気になることが私にはあった。

 それは放課後に一人で図書室に残り、勉強するわけもなく本を読んでいる。


 それだけだったら勤勉ですむのだが、読んでいる本が問題だった。




 今日の放課後も、図書室で彼を見つけて私は近づいた。


「常陸くん」


「あ。小村先生」


 声をかければ、彼は私を見上げて頭を下げる。私は顔を上げさせて、彼の持っている本にわざとらしく目を向けた。


「『カッパの結婚』? そんな本も、ここに置いてあるんだな」


 声をかける前からわかっていたのだが、私は驚いた顔を作る。

 前から常陸くんが図書室で絵本を読んでいることに、私は問題意識を感じていた。うちの学校に絵本が置いてあるのも悪かった。

 しかしまさか、彼が読んでしまうとは。


 未来ある生徒が、読むべきものではない。


「はい。中々、興味深いです」


 何とか考え直してもらおうと思っていた。

 だが恥ずかしげもなく、答えが返ってくるのは予想外だった。


 私は続く言葉が出てこなくて、曖昧な笑みを浮かべる。


 そんな私をどう思ったのか。

 絵本を閉じた彼は、今までに見たことのない無表情になる。

 その顔にたじろいだ。いつも柔らかく微笑んでいる姿しか知らなかったから、恐ろしいとしか感じられない。


「そ、そうなのか。例えばどこら辺がかな?」


 私はこの場にいるのが嫌になる。

 しかし話しかけてしまった手前、終わるまでは立ち去れない。

 私は彼の前の席に座り、笑いかけた。少しでも空気を和らげようとしたためだ。

 彼の表情は、全く変わらなかったが。


「例えばですね。この作品もそうなのですが、いい話に見えて実は理不尽な展開が多いです。約束をしたのに、いざ守らなきゃいけなくなったら嫌になって、回避する方法を探す。それが見つかって、守らなくてすんでハッピーエンド。しかし、これが本当にハッピーエンドなのですか? やってもらった対価を払っていないのに、幸せになるなんて最低です」


 彼は何かを思い出しているようだった。

 だからこそ、何かしらの明確な怒りを感じた。

 私は彼の怒りの対象が何なのか、全く分からなかった。しかしそれが今の彼を作り出しているのだと、そう分かったら途方もない悲しみに襲われた。


 表面的な姿しか見えてなくて、本当の彼を分かっていなかった。

 彼をどうすることも出来ない私は、なんて無力なんだろう。





 それから私は彼と、どんな会話をしたのか覚えていない。

 たぶん覚えていられるような事を、彼に絶対に言っていないだろう。


 今も思い出す度に、あの時気の利いた言葉をかけてあげれば良かったと後悔してしまう。



 その後は学年が上がると、私は彼の担任じゃなくなり、接点がなくなった。廊下ですれ違えば挨拶をするが話をすることはなく、何度か図書室で絵本を読んでいる姿を見つけたが声をかけようとはしなかった。


 そして卒業する年になり、彼が我が校でも早々いけない名門校に行ったと聞いた時は、素直に喜んだ。

 しかしその後、物語人事課という三流に近い職場の就職をしたと噂が流れた時は、なんて馬鹿なことをしたんだと残念に思ってしまった。

 彼の母親は教育熱心な人だったから、きっと一流の企業か、専門的な職種につくと思っていたのに。



 そして現在、テレビで色々と活躍している姿を見るたびに私は思うのだ。

 絵本を読んでいたのは、彼にとって全くの無駄ではなかった。私が馬鹿にした雰囲気を察していただろう彼は、どんな気持ちだったのだろうか。

 あの時の私は、教師として間違った対応をしてしまった。



 今の彼はやってもらった対価を払って、幸せになっているのかと不安に思ってしまう。

 何も出来なかった私に、そう思う権利はないのかもしれないが、幸せであることを強く願う。彼は幸せになるべき人なのだから。


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