第15話 その考えは、正しいのか?
私の子供には、立派な大人になってもらいたい。
誰もが認めるような、そんな立派な子に。
それだけが、私の人生の目標だ。
例えばテレビに出ている人でも、教科書に載るような人でも、何でもいい。
名前を言えば、誰もが分かるような人。
だから私に息子が産まれた時、これからが楽しみになった。
この子は、立派に育て上げる。
そう決めたら、あとは早かった。
どう転がってもいいように、選択肢はたくさん考えておく。
私の思うがままに育てられるなんて、なんて幸せなだろうか。
ミルクを与えたあと、腕に中で抱えながら私は言い聞かせるように話しかける。
「お母さんを困らせないでね。立派になるのよ。あなたには、それが絶対に出来るはずなんだから」
意味は分かっていないはずだが、私の顔を見て笑った。それはきっと、肯定の返事なんだろうと、私の期待が高まった。
息子はすくすくと、順調に育っていった。
周りの親に羨ましがられるぐらい、勉強もスポーツも出来て、私は満足していた。
これなら将来も安泰だろう。
数年後、どうなってくれているのか。今から妄想が止まらない。
「おかあさん。ほんを、よんでください」
私がバランスのとれた食事を用意していると、息子が本を抱えて近寄ってきた。
何の本を読んでもらいたいのだろうかと、私は料理の手を止めて見てみる。
「『ロバを売りに行く親子』? 何これ、絵本じゃないの」
しかし、まさか絵本とは思わなかった。とっくの昔に全部捨てたはずなのに。一体、どこから引っ張り出してきたのか。
私は息子から、それを取り上げた。
「あなたも、もう6歳なんだから。この前買ってあげた図鑑とか、小説を読みなさい。こんなものを読んだって、何の意味もないのよ」
「……はい」
そして言い聞かせるために、目線を合わせて強い口調で諭す。
そうすれば聞き分けがいいので、息子は少し肩を落としていたけど素直に従った。
部屋に帰っていく後ろ姿を見送ると、私は絵本をゴミ箱に捨てた。これは必要ない。
神童。その後そう呼ばれた息子は、ついに最難関と名高い大学を首席で卒業までしてくれた。
卒業式で代表に選ばれ原稿をよんでいる姿に、私は鼻が高くなる。
ここまで来るのに、たくさんの事を犠牲にしてきた。
私の教育に呆れた夫が出て行ったのは、数年前。それからは女手一つで、息子と二人三脚で頑張ってきた。
辛くないわけじゃなかったけど、これからの事を考えれば乗り越えられた。
そして今日、その努力が報われたのだ。
私は式が終わり、たくさんの人達に囲まれている息子の姿を、笑顔で見守っていた。
「母さん」
やっと全員を相手にし終えた息子は、駆け足で私の方へと近づいてくる。
「卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
私が労わるようにお祝いの言葉をかけると、深々と礼をしてきた。
「それで。卒業後の進路を教えてくれる約束だったわよね。一体どこにしたのかしら?」
ずっと聞いていたのだが、いつもはぐらかされて教えてもらえなかった進路。
優秀だから、引く手あまただっただろう。
その中から、息子はどこを選んだのか。
省庁? 宇宙飛行士? スポーツ選手?
それとも更に知識を深めるために、専門分野に特化した研究機関?
様々な候補が頭に浮かぶ。
息子なら、どれを選んでいても不思議ではない。
私は期待して、次の言葉を待っていた。
「ああ、そうでしたね。私は物語人事課に内定が決まりました」
「……え?」
私の耳がおかしくなってしまったのだと、真っ先に思った。
だって、あまりにもありえない言葉だったせいだ。
「も、物語人事課って、嘘でしょ? あ、あんな誰にでも入れるところ。お母さんを驚かせるために、冗談を言っているんでしょう? ねえ?」
「真実です」
物語人事課。
誰でも入れる所だと、馬鹿にされている。
まさか本当に、そんな所に入るなんて言っているのか。
どんなに信じられなくても、息子の顔がそれを肯定している。
私は理解した瞬間、膝から崩れ落ちた。
「どうして? あなたは私が立派に育てたのよ? 他の子達とは違って、優秀になるようにしたのに。みんなが認める立派な人に。それなのに、どうしてそんな事をしたの? 絶対に認めないわよ!」
そして次に出てきたのは、やり場のない怒り。
息子の足にすがりついて、何度も何度も殴った。
それでも全く動じていない息子は、私を冷たく見下ろす。
「私は、私がしたいようにしただけです。別にあなたに、認めてもらえなくても構いません」
今までずっと敬語だから慣れていたはずなのに、他人行儀に感じてしまう。
息子は、いつもこうだっただろうか。
掴む手から、力が抜けた。
「私は、今まで育ててくれた事には感謝しています。だから、これまで欠けてしまった分のお金は、きちんとお返しいたしますので」
また深々と礼をしてくる。
その姿を、私は今生の別れの合図のように感じてしまった。
「あ、あ。待って」
何かを言いたい。しかし言葉が出てこない。
そうしている間にも、息子は丁寧に、しかし有無を言わさずに私の手を外した。
「今まで本当にお世話になりました。母さん。……私は、絵本を意味の無いものだとは思っていませんでした」
そして一切こちらを見ようともせず、踵をかえす。
私はその後ろ姿に、必死に手を伸ばした。
「待って! 待って! ……常陸!」
久しぶりに名前を呼んでも、息子の常陸が振り返ることは無かった。
それから、どれぐらい経ったのか。
全く覚えていないから、分からない。数える気力が残っていなかった。
常陸は、今や誰もが名前を知る有名人になっていた。物語人事課の救世主。常陸に憧れて入るのを希望する人が後を絶たないらしい。
私には、もうテレビ番組でしか姿を見る事は出来ない。
私が望んでいた通り、成長を遂げた常陸。喜ぶべきはずなのに。
しかし、このどうしようもない気持ちはなんだろうか。
「常陸」
今は会えない姿を、画面越しになぞって私は涙を流す。
そしてあの時、常陸が持ってきた絵本を抱えてうずくまった。
全ては私が悪い。
それを謝るすべを持たないのだから、一生後悔し続けるべきなのだ。
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