第14話 やる前から色々と言うのは、簡単だ




 私の父は、昔すごい人と一緒に働いていたらしい。

 だからお酒を飲むと、毎回同じ自慢話をしてくる。


「俺はあの人と一緒に仕事ができたことを、とても誇りに思っている」


 ベロベロに酔っ払って、いつも最後にそう締めくくり潰れてしまう。

 はいはい、私達は受け流してしまうのだが。


 その日の、飲み会での父は少し違った。


「俺は、あとどれぐらい生きられるか分からない。だから死ぬ前に、あの人の凄さをちゃんとお前達に知って欲しくてな」


 お酒を飲んではいるが、目は真剣で。

 最初はいつものように軽く流していた私達も、目の前にきちんと並んで座った。


「話は長くなるから、まあ飲め」


 父はそう言って、お酒を勧めてきた。

 飲んでいないと、話をするのが嫌なのかもしれない。恥ずかしがり屋の父なのだから、仕方が無いか。

 私と母と兄は顔を見合わせて笑い、お酒をそれぞれ飲んだ。


「よし、飲んだな。……あれは俺が会社に入社して、少し経った頃の事だった」


 父は飲んだのを確認すると、自分もまた飲みゆっくりと話を始めた。





 連続の残業、上司からのパワハラ。毎日そんな感じで、俺の精神は疲弊していた。

 この仕事に就くと決まった時は、本当に嬉しかった。エリート街道を進めると思ったのに。

 まさか大企業の内情が、こんな事になっているなんて。現実は本当に残酷である。

 俺は騙された気分だったが、入ったばかりの会社をすぐには辞められない。次の職を探す時に苦労すると、どこかで聞いてしまってからは、もはや諦めの境地に達していた。


「何も考えない。俺はロボット。俺は何も考えないで、動くだけのロボット」


 自分の言い聞かせて仕事をすれば、少しは楽なのだと気がついたのは最近だ。何の解決にもなってはいないが、入ったばかりの俺にどうにかする力はない。


 2年は我慢して、それが過ぎたら次の職場を探そう。

 俺はそう思いながら働いていた。他の周りの人たちも、多分同じ気持ちだったろう。



 今日も今日とて俺は、上司には理不尽に怒られて仕事を沢山押し付けられて、定時をだいぶ過ぎているのにパソコンに向かっていた。


「あの野郎、さっさと帰りやがって。呪われろ」


 口からは勝手に文句が出てくるが、面と向かって言えないのが情けない所だ。さっさと帰ってしまった顔を思い出しては、キーボードを強く叩いた。

 ようやく仕事の終わりが見えかけていた頃、オフィスに誰かが入ってくる。俺はちらりとそちらを見て、二度見してしまった。


「あ、えっと。お疲れ様です」


 その人も一応、俺の上司なので軽く頭を下げて挨拶をする。

 入ってきたのは、常陸さんだった。

 直属の上司ではないが、彼の噂は俺の耳にも届いていた。


 パワハラやセクハラをするわけではないけど、冷たく厳しい人らしい。無表情だから感情が読めないのも、皆から怖がられる理由の一つである。


 俺の働いている部署とはあまり接点が無いはずだが、一体何の用だろうか。

 恐ろしい事に今ここには、珍しく俺しかいない。それは対応する以外に選択肢がないわけだ。


「な、何か用ですか? えーっと、誰かに用とか? 言伝があるなら聞いておきますけど」


 とりあえずパソコンの前から離れると、俺は常陸さんの方に近づいた。

 彼の事は苦手だと思ったが、後で面倒になるのも嫌である。


 さっさと用事を済ませてもらって、帰ってほしい。帰る時間が遅くなってしまうが、背に腹は変えられない。



 常陸さんは視線を巡らせて、この場所に俺しかいないのを何故か確認した。そして眼鏡の位置を直すと、話しかけてくる。


「すみません。他の人は戻ってきませんか?」


「は? えーっと、そうですね。帰ってしまったんで、今日は戻ってこないと思います」


 早く帰ってくれないかな。俺が思うのは、それだけだった。俺しかいないのだから、後日来て欲しい。

 しかしそんな気持ちを嘲笑うかのように、常陸さんは話を続ける。


「そうですか。すみませんが少し相談したい事があるので。仕事が終わったら、食事に付き合ってもらいませんか。時間がかかりそうなら手伝いますし、それかあなたの上司に掛け合います。だからお願いいたします」


 更には食事に誘われてしまうとは。

 正直に言うと断りたい。しかし常陸さんの雰囲気が、それを許してくれそうになかった。


 俺は仕方なく彼に仕事を手伝ってもらい、予定よりもはやく終わらせると、一緒に会社を出た。





 まさか常陸さんと、向かい合って食事をする日が来るとは。

 数時間前の自分だったら、とても信じられなかった。


 良い店があるんです、と常陸さんに連れてこられた先は小ぢんまりとした居酒屋だった。

 しかし個室もあり、掃除が行き届いていて綺麗な所は、さすが彼が選んだ店だと納得してしまう。


 そして席に座るとすぐに、常陸さんはメニューを渡してくれる。勝手に頼まれなくて良かったと、俺は少し緊張しながら開いた。

 お酒も料理も、なじみのあるものが多く安心する。値段もそこまで高くなさそうなので、奢りだとしても割り勘だとしても、気持ちは幾分かは楽になる。


「えーっと、決まりました」


 パラパラと何度か見返して、飲み物と食べ物を決めると、常陸さんが店員を呼んだ。

 そしてすぐに来た店員に、スマートに注文をする。俺の分まで言ってくれて、鮮やかな手際でいつの間にか注文は終えられていた。

 ただそれを見ている事しか出来なかった俺は、店員がいなくなると一気に緊張する。


 話がしたいということだったけど、全く身に覚えがない。相談なんてされても、俺がどうにか出来る気がしない。


「は、話って何ですかね」


 それでも聞かないと気まずいままなので、俺は勇気を出した。


「そうですね。少しお腹に入れてからでいいですか? 恥ずかしながら、今日は朝から何も食べていなくて」


「あ! はい! すみませんでした!」


 しかし常陸の言葉に、土下座する勢いで謝った。

 たしかに焦りすぎている自覚はある。

 お酒を入れて緊張をほぐした方が、話をしやすいかもしれない。


 タイミングのいいことに、ちょうどそれぞれが頼んだお酒も来た。

 俺はサワーで、常陸さんは日本酒。

 乾杯はビールからという風潮をやめてほしいと思っている俺にとって、彼が好きなのを頼ませてくれたのは本当にありがたかった。


「じゃあ、えーっと。とりあえずお疲れ様です」


「お疲れ様です」


 常陸さんが乾杯の音頭をとるタイプではないと思ったので、俺がとりあえずやった。そして勢いよく飲んだのだが、実は俺も昼に菓子パンを1つ食べたきりだったので、お腹が減っていたのだった。だから酔いが、いつもより回りやすい気がする。

 料理が来る前に、飲むのは止めておこう。

 俺がコップを置けば、常陸さんも同じように置いていた。


 そのまましばらく待っていると、思っていたよりも早く料理が運ばれてきた。


「さ、食べましょうか」


「はい! いただきます!」


 美味しそうな匂いに、自然とよだれがわいてくる。

 しかし上司の手前、先に食べるのを確認してからにしようと思っていれば、嬉しい事に食べていいと言ってくれた。

 想像していたよりも良い人かもしれない。現金な俺は、彼の評価を変えながら遠慮なく料理に手を伸ばした。





 もうお腹いっぱいだ。

 かなり膨れたお腹をさすりながら、俺は姿勢を崩していた。同じくたくさん食べた常陸さんも、いつもよりリラックスしている。


 料理があまりにも美味しかったせいで、夢中になりすぎて全く話らしい話が未だに出来ていなかった。

 しかしお店の営業時間というものがある。長くなるかはわからないが、早く話を始めなくては。


「それで、えっと。話って何ですか?」


「そうですね」


 常陸さんは、姿勢を正して俺に向き合った。

 その瞬間、場に緊張が広がる。自然と俺の背筋もまっすぐ伸びた。


「話というのは、ですね」


「はい」


 一体何を言われるのか。俺の喉がゴクリと鳴った。


 常陸さんは姿勢を正したまま、深々と頭を下げた。


「えっ? ちょちょちょっ!?」


 そんな風に頭を下げられる意味が分からず、慌ててやめてもらおうとするが、彼は頭を上げようとしない。


「お願いがあります」


 そしてそのまま話し出す。


「な、何ですか?」


「私に協力してもらいたいんです」


「協力?」


 とりあえず頭を上げさせるのは諦めて、話を聞く事にしたが、話の内容が見えない。俺が協力できることなんて、あっただろうか。全く見当がつかない。


「はい。……私は近いうちに、会社の腐っている所をすべて切り捨てたいと思っています。しかしそれを成功させるには、たくさんの人の協力が必要です。だからあなたの力を貸していただけないでしょうか」


「ええ?」


 あまりにも話のスケールが大きい。俺は戸惑いの声を上げてしまった。


「き、切り捨てるって言ったって。どうやってですか?」


「私がこれまで調査した所、今のこの状況を社長は把握しておりません。社員の自主性を大事にしているのが、仇になっているんです。だから次の役員会議までに証拠を集めて、社長に報告しようと考えています」


 彼の言っていることが本当だとしたら、とてもすごいことを成し遂げようとしている。

 それは分かるのだが、簡単に協力ができるかといえば、話は違った。


「……そう上手く行きますかね。訴えた所で、社長が聞き入れてくれるとは限らないですし。そんな危険な賭けをするなんて」


 保身が俺を弱くさせる。あんなにもどうにかしたいと思っていたのに、いざチャンスが目の前に現れても掴み取るのにためらってしまった。


「む、無理ですよ」


 俺はまるで迷子の子供のような気分で、途方に暮れてしまう。常陸さんの力になんて、とてもなれそうになかった。

 こんな風に場を作ってくれたのに、なんて情けないんだろう。俺は自分が恥ずかしくなった。


「……あなたは、それでいいんですか」


 そんな俺を常陸さんは、静かに諭す。


「きつねが高い所のぶどうが取れないのを、『あのぶどうは酸っぱいから、誰が食べるものか。』と言って諦めたように。自分で結果を勝手に決めて、諦めてしまう。それではいつまで経っても、何も変えられないです。私にはあなたの力が必要です。どうかお願いします」


 頭を下げすぎて、もはや額が地面についてしまっている。


 この人にここまでさせておいて。俺は、俺は。


「……俺で、俺が力になれるなら」


「ありがとうございます」


 気づけば、常陸さんの肩に手をのせて了承していた。

 ようやく頭をあげた彼の額は赤くなっていて、俺はこんな状況だというのに笑ってしまった。

 つられて常陸さんも笑う。


 彼の笑っている姿を見たのは、これが最初で最後だった。





「その後は他にも仲間を集めてな。万全の状態で、社長に直訴した。それで訴えはちゃんと聞いてもらえて、会社はいい方向に変わっていった。常陸さんの助手として、その家庭を一緒にやっていた時は、本当に楽しかったな」


 父は懐かしむかのように、残っていたお酒を全部飲んだ。

 私達は空になったコップを手にして、何も言葉を発せなかった。


 常陸さんという人が凄いというのは、よく聞いていた。しかし詳細は知らなかったから、何だか貴重な話を聞いてしまった。


「だから俺は本当に、あの人と働けた事を誇りに思っているんだ」


 今まで何度も聞いてきた言葉。

 しかし今日は、何だか違って聞こえてきた。



 遠くを見つめる父の視線の先には、きっと在りし日の思い出があるんだろう。常陸さんと一緒に、働いていた日々が。

 私はそう感じた。



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