第13話 一発勝負のギャンブラー




 人生とは、やり直しがきかない。


 この世に生を受けてから数十年経つが、人生で失敗した事を思い出すと歯がゆい気持ちになる。

 しかしそれでも幸せな人生だと思えるのは、あの人のおかげだろう。



 あの日、あの時、彼に言われなかったら。

 私は絶対に、今より悲惨な生活を送っていたはずだ。

 それだけは断言できる。


 今でも、あの日の事を思い出す時がある。

 彼との出会いがあまりにも、強烈だったからだ。



 あれは、とてもとても暑い日だった。





 私はその日、がちがちに緊張していた。

 そうなるのも無理はなかった。


 今日は、私の運命が決まるような大事な日なのだ。

 五年付き合っている彼女に、結婚を申し込もうとしている。

 予想的では成功する確率は高いのだが、確実とは言えない。

 それが、弱気な私にとって胃が痛くなるようなプレッシャーだった。


 もしも断られたら、どうしよう。

 そう思ってしまうと、止めたくもなってしまう。


 しかし前に同僚に言われた言葉に、それも怖くなってしまう。


「結婚を意識している彼女から逃げ続けていたら、振られた」


 彼女が結婚を意識しているからか分からないが、もし何もしないで振られたら死にそうになってしまう。

 それなら言った方が良い。

 だから今日、ディナーで良い感じになったらプロポーズしようと思っていた。





「えっ⁉ 予約出来ていない⁉」


 しかしディナーの場所にと決めていた店で、私は絶望を味わった。

 後ろにいる彼女の顔が見られない。

 もしかしたら呆れているかもしれないし、怒っているかもしれない。

 そう想像したら、私は気が遠くなりそうになった。


 これではもう、今日は失敗したも同然だ。

 私は何で確認の電話をしておかなかったのだと、とても後悔していた。

 それでも予約できていなかったものは、仕方が無い。

 彼女には悪いが、今日のプロポーズは延期して適当な店にでも入るか。


 今日の朝にたまたま見た占いが悪かったなと、今になって思い出しながらため息が出そうになった。

 ラッキーパーソンも出ていたな。

 それは確か。


「すみません」


「はっ、はいっ!?」


 私が思い出そうとしていた時、唐突に後ろから声を掛けられた。

 何事かと後ろを見ると、驚きで声も出なくなった。


「ああああなたは」


 そこには私と同じように驚いた彼女と、テレビや雑誌などのメディアでしか見た事が無かった人が立っていた。

 スーツ姿で眼鏡で無表情。

 それは知っている通りだったのだが、何でこんな所にいるのだろう。


「ひ、常陸さんですよね」


 私は何とかその名前を言った。

 そうすると何度か瞬きをした彼が、軽く礼をする。


「名前を知っていただけているとは。とても光栄です」


 絶対に関わらないと思っていた人が、目の前で話している。

 それに感動していて、私と彼女は気づけば見とれてしまっていた。


「え、えっと。何か用ですか?」


 一体私に、常陸さんが用なんてあるのだろうか。

 頭の中は疑問で溢れた。


「ああ、すみません。失礼だとは分かっていますが、話を聞いてしまいまして。そこでご提案なのですが、私の部下の手違いで二重に予約をしていたのが判明していたんです。だからよろしければ、そちらの一つをお使い頂けませんか?」


 しかし彼の言葉に、色々と吹っ飛んでしまった。

 それは願ってもみない提案ではある。


「い、良いんですか⁉」


「はい。こちらも困っていた所だったので、受けていただけるとありがたいです」


 だからすぐに飛びついた。

 隣りで彼女がたしなめようとしていたが、常陸さんがすぐに返事したので何も言えなかった。


 私は自分の運の良さに、有頂天になる。

 これで彼女に、プロポーズが出来る。

 その興奮から、常陸さんの手を取って何度も何度もお礼を言った。


 私の事情を知らないであろう彼は、少し不思議そうにしていたが色々と手続きをしてくれると、颯爽と去っていく。


 その後ろ姿は、まさしく出来る男という感じで、しばらく見続けてしまった。





「とても美味しかったね」


「そうだね」


 ディナーは大成功だった。

 最初は常陸さんに会った緊張で表情が硬かった彼女も、料理を食べていく内にリラックスして来た。

 私はプロポーズの成功の確率が上がったと、内心でガッツポーズをする。


 そろそろ頃合いだろうか。

 カバンの中の指輪を視線で確認して、私の心臓は騒ぎ始める。



 これから大げさではなく、人生の大事な岐路に立つ。

 どうなるかは、神のみぞ知るというやつだ。

 それを自覚してしまったら少し気持ち悪くなってきて、彼女に断って慌てて席を立った。



「けほっけほっ。……こんなんじゃ駄目だ。弱気になるな弱気になるな」


 トイレに行くと、人がいないのをいい事に水道を占拠する。

 水を勢いよく出して、何度も顔を洗えば少しは落ち着いてきた。

 それでもプロポーズの覚悟が出来たわけではなく、彼女が待っているとは分かっていても動けなかった。


「落ち着け。大丈夫、きっと上手くいく」


「いかがなさいましたか?」


「うわぁっ!? うわああっ!?」


 頬を勢いよく叩き、自分に喝を入れていると、突然後ろから声をかけられる。

 驚き声を上げると、鏡越しに常陸さんと目が合った。

 それにも驚いて、また声を上げてしまう。


 先程から驚いてばかりだ。

 しかし彼はそれに対して馬鹿にせず、顔がずぶ濡れの私にハンカチを差し出した。


 恐れ多くて遠慮しようと思ったが、恥ずかしい事に慌ててきていたから持ってきていなかった。

 だから何度も頭を下げて、申し訳なく貸してもらう。


「あ、ありがとうございます。洗って、後日お返ししますね」


「気になさらなくてもいいのですが」


 顔全体を拭いたから、びしょびしょになってしまったハンカチ。それをさすがに返すわけにもいかず、私は彼に断ってポケットにしまう。

 今日は、色々と変なところを見せてしまった。


 これ以上、恥の上乗せをしたくない。

 まだ気持ちは固まっていないが、席に戻ることにしよう。

 そう決めて、私はゆっくりとその場から立ち去ろうとした。


「何か迷っているのではないですか?」


 しかし話しかけられたので、勢いよく止まった。


「えっと」


「すみません。先ほども思ったのですが、緊張しておられるようだったので」


 そんなに私は緊張していたのだろうか。

 頬を触ってみるが、よく分からない。


「あはは、そうですか。実は、ですね……」


 もしかしたら彼女にもばれてしまっていたのではないかと、私は苦笑してしまう。

 だから恥ずかしくはあるが、今日プロポーズをしたい事を全て話してしまった。


 私の話を聞いた常陸さんは、口元に手を当てて考え込んでいた。

 そんな反応をされると、私としても何だかさらに恥ずかしくなってしまう。


「何しろ初めてなもので、どうしたら良いか分からなくて。もし振られてしまったらなんて思うと」


 頭をかいて笑えば、常陸さんは私を見据えた。


「まあ、大体の方が初めてですからね。誰だって、何だってそうです。失敗を恐れてやらない事の方が、人生の楽しさは半減してしまうと思います。やったからこそ、人は物語の主人公になれるんですよ」


「……そう、かもしれませんね」


 彼の言葉は、私の心に強く響いた。

 確かに物語の主人公達に、リハーサルなんて出来ない。


 どうなるか結果は分からないまま、賭けに出て成功して来た。


 私だって、やろうと思えば出来るのではないか。


「あなたならきっと大丈夫です。自信を持って」


「はい。頑張ってみます」


 常陸さんの発破は、私に勇気を与えてくれた。

 彼に何度も何度も頭を下げて、足取り強く今度はその場から立ち去った。


 彼は何も言わず、引きとめなかった。





 席に戻った私は、勢いに任せて彼女にプロポーズをした。

 最初は驚いていたが、はにかみ頷いてくれた。



 そして夫婦になった私達は、それから様々な困難を一緒に解決して来た。

 とても幸せだった。


 彼女に先立たれてしまって、息子や娘と住んでからも私はあの時の常陸さんの言葉を思い出し、どんな事でも挑戦し続けた。

 失敗した時もあった。

 それでも後悔はしなかった。


 それも全て常陸さんのおかげだ。

 彼の活躍をテレビや雑誌で見る度に、いつも心が温かい気持ちになる。

 これからも頑張ってほしい。

 私の心からの願いだった。




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