第11話 必死にやっても、結果につながるとは限らない





 僕は今までの人生の中で、一番と言っていいぐらい落ち込んでいた。

 理由は仕事で考えられないぐらいの、とんでもないミスをやらかしてしまったからだ。

 新人だってそうそうやらない、そんなものすごいミスを。


 それが発覚した瞬間、職場は上から下までパニックになった。

 連日、対応に追われ、皆の突き刺さる視線が痛かった。

 僕のせいなので仕方が無いのだが、それでも責められるのは辛い。

 体力的にも、精神的にも、ボロボロになってしまった。



 そして、一応の事態の収拾のめどが立った今、仕事を辞めようと思っている。

 こんなにもみんなに迷惑をかけて、のうのうと仕事を続けられるほど、僕は強くない。

 退職届を用意した僕は、足取り重くとある部屋に向かっていた。


 これを渡すのは、ものすごく勇気がいる。

 そうだとしても辞めない以外、考えられなかった。


 のろのろと歩き、目的の部屋に着くと何回か深呼吸をする。

 そして覚悟を決めて、ノックをした。



「……どうぞ」


「し、失礼いたします」


 中から静かな声が聞こえてきて、緊張が高まってしまう。

 しかし逃げ出すわけにもいかず、僕は声を裏返させながら中へと入った。


 中ではパソコンを前にして座る、彼の姿がある。

 それを見て、僕の喉はからからに渇く。

 何か言わなくては、言わなくてはと思うが、言葉が出て来ない。


 そして僕が何かを言う前に、こちらに視線が向けられる。


「どうかしましたか?」


「あ、はい。すみません、お仕事中に。は、話があって」


 喉がひきつり上手く話せないが、それでも通じたようで彼はパソコンを閉じて、部屋の中にあるソファに座るように促してきた。


「どうぞ。座って話をしましょう」


 そして僕が座ったのを確認すると、彼もこちらに近づき前にあるソファに座る。

 僕は息を大きく吸い込み、彼、物語人事課の責任者である常陸さんに向き合った。





「それで、話とは一体何でしょうか?」


 常陸さんは眼鏡の位置を直しながら、僕を見てくる。

 当たり前だが、話をしなきゃならない。

 本当は嫌だけど、辞めるには言うしかない。


 僕は緊張で冷房の効いた部屋なのに、汗をだらだらと流しながら口を開いた。


「先日は、本当にすみませんでした」


 本題に入れなかったのは、僕がチキンだからだ。

 それでも、最初から言うには勇気が足りなかった。


 だから思い出したくない話を、わざわざ蒸し返した。

 僕は座りながらも、膝に顔が付くぐらいに頭を下げる。


 今回の、僕のミスのせいで、一番迷惑をかけてしまったのは常陸さんである。

 謝っても謝り切れないぐらい、罵倒されたっておかしくない。

 前にも誤ったのだが、その時は時間が無くて彼は何も言わなかった。

 もしかしたら殴られるかもしれない。


 そう覚悟して、僕は頭を上げられなかった。


「その件は、一度謝罪をしてもらいました。それに同じ事を繰り返さなければ、今回は仕方が無かったと私は思います。あなただけのせいだったわけでは無いですからね」


 しかし、かけられたのは、とても優しい言葉。

 僕は下を向いたまま、信じられない気持ちでそれを聞いた。


 まさかそう言われてしまうなんて。

 それでも余計に、罪悪感が僕の心をむしばんだ。

 こんなに良い人を、大変な目にあわせてしまったなんて。


 そう思ったら、自然と持っていた退職届をテーブルの上に出していた。

 そして顔を上げた。

 常陸さんは出された退職届を見て、少し眉間にしわを寄せる。


「これは」


 彼は普段とは違って、言葉に詰まっていた。

 とても珍しい事だが、僕には気にしている暇なんてなかった。


「僕は、今回色々な人に迷惑を掛けました。だからもう、辞めたいんです。たぶんその方が、良いんですよ」


 彼と視線を合わせられなくて、目を逸らしながらも言いきった。

 あとは、辞める日時を相談するだけだ。

 そう思ったら、何だか気が楽になってきた。


 もはや吹っ切れた気持ちになると、僕はようやく常陸さんと視線を合わせる。

 しかしすぐに逸らした。

 彼が今までに無い位、恐ろしい表情をしていた気がする。

 無表情が標準で、それ以外の表情なんて見た事なかったのに。


 あんなにも恐ろしい顔をしているなんて。

 僕は恐怖で、そちらを見られない。


「もしかして、私の対応に何か不満でもあったのでしょうか。だから辞めたいんですか?」


 そのまま膠着状態が続くかと思ったが、彼の言葉に驚いて顔を見てしまった。

 その言い方だとまるで、僕が彼に不満があって辞めたいと思っているみたいじゃないか。


 さすがにそれは聞き捨てならなくて、僕は反論した。


「違います。僕が駄目だから、今回のミスもありますし、これ以上皆さんの迷惑になりたくなくて。だから常陸さんのせいじゃないです」


「そうですか。しかし、さっきも言いましたが今回の件で、自分をあまり責めすぎないでください」


 常陸さんは僕の話を聞いて、少しだけ表情のこわばりが消えた。

 それでも眉間のしわは、まだ残っている。


「いや、今回の件で分かったんです。僕はこの仕事に向いていないんです。一生懸命やってきても、結果がこれじゃあ意味が無い。もっと大変な事をする前に、辞めたいんです」


 彼が引きとめようとしているのは、何となく分かっている。

 しかし僕には、残るという選択肢はまだ考えられなかった。


 それが常陸さんにも伝わったのか、僕の顔をじっと見てくる。

 何を言って来ても、僕の考えは変わらない。


「あなたは『幸福な王子』という物語は知っていますか」


「ええ、まあ」


 身構えていたから彼が急に話を変えてきて、少し拍子抜けしてしまう。

 しかし、これも彼の計画の内かもしれない。

 だから気は抜けなかった。


「あの物語では、死して銅像となった後でも、国の人々の為に身を削ってまで助けていた王子とそれを手助けしていたつばめに対して、国の人々の扱いは酷いものでした」


「そう、ですね」


 確か体の金箔を貧しい人に渡している内に、薄汚れた灰色の銅像になってしまった王子の銅像。そして南の国にわたり損ねたつばめも弱り、最後の力を振り絞って王子にキスをして力尽きた。

 その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立てて二つに割れてしまった。

 みすぼらしい姿になった王子の銅像は、心無い人に溶鉱炉で溶かされてしまい、更に溶けなかった鉛の心臓は、つばめと共にゴミ溜めに捨てられた。



 この話を僕は、努力が報われない話だと思っている。

 身を削ってまでやったのに、誰にも気づいてもらえなかった。

 それのなんと悲しい事だろう。


「しかしそれを見ていた神様が天使に、『この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい。』と命じ、天使はゴミ溜めの中から王子の鉛の心臓と、つばめの死体を持ってきました。神様は天使を褒めて、王子とつばめは楽園で永遠に幸福になりました」


「はあ」


 そんな最後だったとは、よくよくは知らなかった。

 単なる悲しい物語じゃなかったのか。

 何となくの情報しか持っていなかったから、正直に言ったら常陸さんに怒られてしまいそうだ。


「私はこの物語で思うのですよ。王子の行動は、本当に街の人々の為になったのか。きっと、なったはずだと」


「そう、ですかね?」


 僕はラストを知った今も、微妙な気持ちになってしまう。

 王子のやった事を神様が見ていたとしても、国の人々には響いていない。

 それは全く意味が無かったのと、同意じゃないのだろうか。


「私達の立場から見たら、そうは思えないのかもしれません。しかし王子の立場からしてみれば、彼は幸せだったと考えているはずです。自分の国の貧しい人々の為に、少しでも分け与える事が出来たんですから」


「僕は、僕は」


「だから結果がどうであれ、その過程で努力したというのは消えないと思うんですよ。一度の失敗で、自分が駄目だと判断するのは早計です」


「……」


 僕の心は、随分と揺れ動かされてしまった。

 常陸さんは仕事も出来るが、人たらしの才能もあるらしい。


 絶対に揺れ動かされないと決めていたはずなのに、もう少しここで働きたいと思ってしまっている。

 あまりにも、もろすぎる僕の心。

 しかし、それも仕方がない事だ。


 彼の真剣な目を見てしまったら、僕の考えなんて赤子の手をひねるぐらい簡単に変えられる。


 僕は大きく息を吐いて、そして力を抜いて笑った。


「そうですね。少し考えなおしてみようかと思います。すみません、それは持って帰りますね」


 彼の手元にある退職届を指すと、それは何故かそのまま胸ポケットの中に隠されてしまった。

 戸惑いながら見ている僕に向けて、彼はいつもの無表情のまま口角だけを上げた。


「これは預かっておきます。もしも無理だと思ったら、遠慮なく言って下さい」


 その笑顔なのかよく分からない表情は、僕の恐怖心をあおるには十分な効果があった。


 これからはうかつな行動は出来ない。

 間接的にくぎを刺された気がして、引きつった笑みを返すので精いっぱいだった。



 それから僕は絶対に常陸さんに逆らわないように、見捨てられないように、必死になって働いた。

 そのおかげで、今の僕があるのだと自信を持って言える。

 彼がいなかったら、僕の人生は一生良くないもので終わってしまっただろう。


 彼には感謝しても、仕切れない。




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