第8話 本当に欲しいものは何ですか?




 周りに言っても信じてもらえないが、常陸と俺は同期である。


 未だ大した役職でもない俺と、人事課の責任者になったあいつとでは仕方のない話かもしれないが、本当だ。

 それにしても働いているだけで耳に入ってくる情報は、もはや嫉妬という感情も浮かんでこない。


 凄いというのは分かる。

 しかし俺は、あいつも人間だという事を周りに広めたいと思っていた。

 別にネガティブキャンペーンでのつもりではない。

 ただ、あまりにも周りの期待値が高まりすぎて、いつかあいつが潰れてしまうのではないかと心配になってしまったからだ。



 確かに涼しい顔で、何でもできるように見える。

 でもそれは、上限が無いわけはない。

 誰にだっていつかは限界を迎える。


 常陸にはそれが当てはまらないと、誰が言える。

 みんながまだそれに気が付いていない今、俺が微力ながら気が付かせていこうと思っている。





「でもそれって、やっぱりネガティブキャンペーンなんじゃないの?」


 こういう事を相談できる数少ない友人であるかすみに、今やっている事を言えばばっさりと切り捨てられてしまった。

 俺は飲んでいたビールの泡が下から上に登っていくのを見ながら、口を尖らせる。


「違うわ。ただ俺は常陸さんの為を思ってだなあ」


「でも本人に頼まれたわけじゃないんでしょ? 有難迷惑なんじゃないの?」


 図星をつかれて、俺は唸りながら黙った。

 そして誤魔化すように、ビールを勢いよく飲んだ。

 喉を通る炭酸が心地良いはずなのに、あまりすっきりしていない。


 俺はそれでも信念を変えるつもりは無かった。


「でも後でやっておけばよかったなんて、思いたくないんだよ」


 目の前にある冷めてしまっただし巻き卵を、行儀が悪いのは分かっているが、小さく小さく箸で切っていく。

 そうすれば少しは気持ちが落ち着くのかと思ったが、全くそんな事は無い。

 原型をとどめないぐらい細かくなった卵焼きの残骸を見つめて、大きくため息を吐いた。


 そんな俺の姿をどう思ったのか、霞は頬杖をついて目を細める。


「でもね。あなたのやっている事が、必ずしも相手にとって良い事とは限らないわ」


 まるで諭す様に、彼女は話を続けた。


「私の担当物語知っているでしょ。『金の斧』。それを見ている内に、色々と思っちゃったのよね」



 金の斧というのは、正直者が得をして嘘つきが損をする話である。


 木こりが川辺で木を切っていたら、手を滑らせて斧を川に落としてしまう。

 困り果てていると、ヘルメース神(女神、ニンフなどの場合もある)が現れて川に潜り、金の斧を拾ってきて、落としたのはこの斧かと尋ねてくる。

 木こりが違うと答えると、今度は銀の斧を拾ってくる。

 それも違うと答えると、最後に失くした鉄の斧を持ってきたので、それが自分の斧だと答えた。

 ヘルメースは木こりの正直な姿に感心し、3本全ての斧を木こりに与えた。


 その話を聞いた他の木こりは、わざと斧を川に落とした。

 そして現れたヘルメースが金の斧を拾ってきて同じように尋ねると、彼はそれが自分の斧だと答えた。

 ヘルメースは呆れて何も渡さずに去ってしまうと、嘘つきな木こりは自分の斧を失ってしまった。



 しかしこの話が、俺の話と何の関係があるのだろうか。

 別に俺は正直者でも、嘘つきでもない。

 彼女の言いたい事が分からなかった。


「何て言えばいいのかしらね。その正直者の木こりには3本の斧を与えたでしょ。それを本当に彼は喜んだのかな、って思ったの」


「どういう事だ? 喜んでいたに決まっているだろう。金の斧と銀の斧だぞ?」


 俺の言葉に納得がいっていないような顔をして、顔をしかめている姿は、自分でもうまい言い方が見つからないみたいだ。


「うーん。うーんとね。でもそれをもらったとしても使う事も出来ないし、ましてや売るなんて事も彼には出来なかったでしょ。しかも他の人に話して、その人は斧を失ってしまった。正直者の木こりは、きっと話をしたことを後悔したでしょうし、斧も自分の手に余るものだと思う。結局は喜びよりも、別な気持ちになったんじゃないかって」


 俺は彼女の言葉を、アルコールで少し動きの鈍った脳みそで考えてみる。

 確かにその後の話を考えてみれば、幸せになったとは言えないかもしれない。


 しかしそれでも、俺の話との関係性が見えない。

 表情から察したのか、彼女もアルコールで少し声を大きくさせながら、俺の額にデコピンをしてくる。


「だーかーらー。あなたのそれも、巡り巡って常陸さんに悲しみを与えているかもしれないのよ。知らないのかもしれないけどさ、あなた最近評判悪いのよ。常陸さんんの悪口を言っているんじゃないかって。それを常陸さんが知ったら、絶対に自分のせいだと思うでしょ!」


 俺は額の痛みに耐えながら、まさかそんな事になっているのかと二重の意味でうなった。

 確かに常陸さんの話をしている時に、皆の顔は変だった。


 それがまさか俺が、悪口を言っていると思っていたからなんて。


「どうしたらいいんだよ」


「そのよく分からないキャンペーンを止めて、別の事で常陸さんの為になる事をしなさいよ」


 どうしたらいいのかと頭を抱えていると、霞が的確なアドバイスをしてきた。

 俺は少し、否かなり考えて彼女の言う通りにしようと決めた。





 それから俺は、常陸に間接的にだが色々と差し入れをするようになった。

 それは栄養ドリンクだったり、リラックスできる音楽の入ったCDだったり。


 直接渡さなかったのは、何だか気恥ずかしかったからである。



 そんなある日、いつもの様に彼のデスクにそっと置いておこうと思ったら、逆に何かが置いてあった。

 手に取ると、それは俺の好きなエナジードリンクで。


『いつもありがとうございます。あなたも体調には気を付けてください』


 彼の性格を物語るような几帳面な字で書かれたメモが貼ってあるのも見つけ、読んだ途端体温が急上昇してしまう。

 まさか俺だと分かっていたのも驚きだし、好きなものも知ってくれていたとは。


 今度は霞の言っていた有難迷惑ではないと、俺はガッツポーズをした。




 それからもなお、俺は常陸に差し入れを続けている。

 いや、お互いに差し入れを送り合っている。


 顔を合わせる事は無いが、このやりとりがとても楽しい。

 これで少しでも常陸の役に立っていれば、俺も満足である。



 その内、霞と一緒に飲みにでも誘おうか。

 それが今の俺の、秘かな野望だ。



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