第7話 恩返しが、そのままの意味に捉えられない世の中




 私の主な仕事は、物語に出てくる動物達の世話や、小道具の準備である。

 周りには裏方で地味だと言われがちだが、自分では大切な仕事だという自信を持っている。


 特に産まれた時から育てている子が、立派に仕事をしているのを見ると、まるで親のような気持ちで感動してしまう。

 涙まで流す私の事を、同僚はからかってくるが仕方ないだろう。本当に嬉しいのだから。



 しかし働き始めた当初は、私達はここまで仕事に熱意を持っていなかった。

 ただ与えられた事を、たんたんとこなす。

 それは職場の環境が、主な原因となっていた。




 働き始めた頃、もう数十年前になってしまうが、その時の上司は最悪の人だった。

 結果しか見ない、人によって態度を変える、ちょっとでも気に入らないと立場にものを言わす。

 そのせいでみんな、目立たないように目立たないようにと息をひそめていた。


 それが変わったのは、とある人が入社してからだった。


 彼は入った当初は特に何もせず、様子をうかがっていた。

 そして何が悪いのか、誰が駄目なのかを把握すると、そのあとはものすごい勢いで全てを一新した。


 あまりにも容赦がなく、あまりにも鮮やかな手際に、彼に恐れた人と救われた人がこう呼んだ。


『物語人事課の鬼』と。


 そして数年の月日が流れ、今ではみんなすっかり生き生きとした仕事ができるようになった。

 職場の環境が違うだけで、こうも意識が変わるものなのかと驚いてしまうほどだ。



 そんな恩人、常陸さんだが全く私生活の見えない人だった。

 結婚をしているのか、家族はいるのか、まず何歳なのか。

 様々な憶測が飛び交い、結局答えは出ない。


 それにモヤモヤとした私達は、ついにとあるそれに計画を実行した。





「飲み会、ですか?」


「はい。日頃の感謝を込めて、パーっと飲もうという話になったんです」


「しかし私がいたら、皆さん気を遣ってしまうでしょう」


「いえいえ。そんな事は無いですよ。むしろみんな、常陸さんと飲みたがっているんで。ぜひ、来てください」


 みんなが常陸さんと仲良くなるために飲み会を計画し、じゃんけんで負けた私が誘う係になってしまった。

 何でこんな大役を。

 失敗した時の事を思うと憂鬱だったが、同僚に私のコミュニケーション能力があれば大丈夫だと太鼓判を押される。


 とてつもないプレッシャーの中、少し顔を引きつらせて話しかけた。

 話しかける事さえもそうそう無いので、常陸さんが困惑した顔をするのも分かる。

 しかし私も色々な人の想いを背負っているのだ。


 ちょっとやそっとの事では、絶対にあきらめない。


 その気迫が通じたのか、しばらく考えていた彼は最後には了承してくれた。


「仕事があるので、最初から最後まではいられませんが。それでよろしかったら」


 条件付きだったが、それでも大きな成果である。

 私はほっとしつつも、常陸さんに間違いが無い様に飲み会の日程を伝えた。



 みんなに常陸さんが参加できることを伝えたら、ものすごく喜んでくれたので、本当に交渉が成功して良かった。

 心臓に悪い体験だったが、達成感に満ち溢れた。

 あとは飲み会で盛り上がるだけだ。

 私は数日後が楽しみになった。





 そして迎えた飲み会の日。

 飲み会が始まる前から、みんなそわそわしていたのだが店の扉が開くたびに、そちらを見て集中できていない。

 お目当ては一緒。


 颯爽と入ってくるであろう、スーツ姿だ。


「まだかな?」


「たぶんもうすぐだよ」


 私は少し心配しつつも、常陸さんが言った事を破る人では無いと知っているので、来てくれると信じていた。


 その時、また扉が開く。

 そしてにわかに色めき立った。

 みんなが待ち望んできた人物が、やっと入ってきたからだ。


「あっ。常陸さん! ここでーす!」


 少しお酒が入っているからか、いつもは絶対にしない緩んだ話し方。

 それで話しかけた猛者を、みんなが尊敬の眼差しで見る。

 もしかしたら仕事中ではないが、怒られてしまうのではないか。


 しかし常陸さんは気にしていないようだった。

 こちらにまっすぐに歩いてきて、そして空いている席に座る。


「すみません。遅れてしまって。みなさん私に気にせず、どうぞ飲んでください」


 店員さんにビールを頼んだ彼は、おしぼりで手を拭きながら言う。

 そうは言われても、みんな彼を気にする事なんて出来ない。


「いやいや。みんな! もう一度乾杯しましょう! グラスを持って持って! はい、かんぱーい!」


 常陸さんのビールが来たのを確認すると、私達は乾杯する。

 そうすれば本当の意味で、飲み会が始まった。





 それから数杯のお酒を飲み進めていき、みんないい感じに酔っている。

 大きな声で話していたり、笑っていたり、顔を赤くさせていたり。

 好きなように楽しんでいた人達の中で、私は常陸さんの隣りに陣取っていた。


「それで最近、鶴の子が立派になりまして。もう本当嬉しくて嬉しくて。今でも思い出すだけで、涙が出てきそうになります」


 例外なく酔っている私は、一応の礼儀はわきまえつつも話に熱が入ってしまう。

 それは今日、その鶴の子が働いているのを初めて目の当たりにしたので余計にだった。


 鶴の恩返しという、昔からよくある物語。

 まさかこんなメジャーなものに、自分が関われるとは思っていなくて、本当に嬉しい。


 その熱が周りにはうざいと言われていたので、常陸さんももしかしたら面倒だとうんざりしているのかもしれない。



 さすがに反省して止めようとしたが、その前に今度は彼が口を開いた。


「それは良かったですね。確か、鶴の恩返しでしたか」


「えっ! 知っているんですか!」


 まさか知ってくれているとは。

 それを聞いて、私のテンションは更に上がってしまった。


「はい。とても良い仕事ぶりでした。あなたの教えが、丁寧だったんですね」


「あ、ありがとうございます」


 仕事をしていて良かったと思う事はたくさんあったが、その中でもトップを争うぐらい嬉しい。

 そのせいで嬉しさから、私の口は止まらなくなった。






「そういえば思ったんですけど。恩返しって、今の世の中って難しいですよね」


 私は今日、鶴の子を見ていてふと思った事を口に出した。


「例えば鶴の恩返しを今やろうとしたら、絶対にどの家も知らない人をいれるわけないから、話が終わっちゃいますよね」


「確かにそうですね。それが駄目というわけでは無いですが、今は色々と物騒ですから」


 日本酒を飲み切った彼は、全く顔に出ていない。

 顔が赤くなっているのを自覚しながら、私は笑った。


「まあ、色々なものが発展して、住みやすくなったかもしれないですけど、その代償に失ったものも多いかもしれませんね。たまに良い話を聞くと、ほっこりします」


 私はもうこれ以上は、明日に差しさわりがあると飲むのを止める。

 そして常陸さんに、真剣な顔で向き合った。


「今日、こんな感じでみんな目的を忘れていそうだから、代わりに言いますね。常陸さんありがとうございます」


「お礼を言われる理由が見当たらないのですが。私は何もしていませんよ」


 彼は首を傾げている。

 しかし私はその手を掴んで、更に近づく。


「いいえ。違います。こんな風に、みんなが笑顔でお酒を飲めるのは、全部あなたがいてくれたからです。今日のこんな飲み会で、恩返しができるとは言いませんが、前から感謝を伝えたかったんです」


 今までずっと言いたかった事を、全て言い切ると気が抜けた。

 そのせいか一気にお酒が回って、気が付けば眠ってしまった。



 次に起きた時、私は言った後の常陸さんの反応を見たかったと後悔する。

 みんな酔っていたので、私達のやり取りを見た人が誰もいなかったのも惜しかった。


 しかし、きっと少しは恩返しができたのだと、そう信じたい。


 もしかしたら夢かもしれないが、彼の貴重な微笑みを見たような気もするからだ。



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