第5話 周りを見ると妙に焦ってしまう
私は最近、物語人事課で働き始めた新人である。
とはいっても、アルバイトなのでそこまで重要な仕事を任されてはいない。
何でわざわざ倍率の高いここで働こうと思ったのか、それは人事課の責任者である常陸さんが目的だった。
彼を特集する深夜番組を見た時から、私は夢中になってしまっている。
それは、アイドルと追っかけるファンの気持ちと同じだ。
だから軽い気持ちでアルバイト募集をしたら、まさかの合格。
憧れの常陸さんと、一緒に働ける。
そう思ってうきうきしていたのだが。
「何で会えないのよ」
初日の挨拶以外、彼の姿をいっさい見る事が出来ていない。
思っていたのと全く違う状況に、私の気持ちは萎えていた。
しかし一度始めた事を放置するわけにもいかず、それでも仕事に集中できていない。
それが駄目だったのだろうか。
「ちょっといいかしら?」
「暇よね?」
「は、はい」
お昼休みだとテンションを上げて食堂に向かおうとしたら、数人に囲まれてしまった。
人事課の人達もいれば、まさかの物語を演じている人達もいる。
あまりに豪華なメンバーに、私は変な笑顔を浮かべてしまった。
これは調子に乗っているだとか、仕事にやる気があるのかだとか言われるフラグなのではないか。
私は内心でガタガタと震えながら、それでも彼女達に大人しく連れられるしかなかった。
どうしてこうなった。
口から魂が出るんじゃないかというぐらい、私はその場になじめていなかった。
「この仕事をしてたら婚期が遅れるわよね」
「周りの良い男は、みんな妻子持ちだからね」
「出会いが無いわー」
連れて来られた先は、私が行こうとしていた食堂の一角だった。
そこで逃げられないように囲まれ、まさかの女子会が行われ始めた。
主な内容は恋愛話。
私も人の事は言えないが、彼女達はみんな恋人募集中らしく、愚痴ばかりが出てくる。
友達とするのならば、喜んで話に加わるのだが緊張しすぎて口が開かない。
話を聞いている分には楽しくなってきたので、相槌を打つ程度に収める。
「私もそうよ。憧れのプリンセスをやっているとは言っても、私生活はボロボロだもの」
「分かる。でもイメージがあるから、外ではちゃんとしなきゃならないでしょ。たまに疲れるのよ」
「こういう風に愚痴を言える場所が無いとね。気持ちが沈んだままになっちゃうわ。だからこうして仲間を集めて、たまにお話をするのよ」
「はっ、はいっ!」
急に話しかけられて驚いてしまった。
私は飲んでいた水を少し零して、慌てて拭く。
「大丈夫? さっきから緊張しすぎよ。リラックスリラックス」
「すみません、ありがとうございます」
隣りに座っていた上司である小二田さんが、ハンカチを差し出してくれる。
私はそれを遠慮し、自分のハンカチを取り出した。
口元をぬぐって気持ちを落ち着かせると、へらりと笑う。
「私も仕事をしていて、少し疲れていたのでお話が出来て良かったです」
「あらそう。お世辞でも嬉しいわ」
確かに本心とは言い切れなかったので、私は微妙な気持ちになる。
しかし話を聞いていて、同じような悩みを皆抱えているのだと思うと、気分は少し軽くなった。
だからあまり定期的に参加はしたくないが、たまにだったらいいかもしれない。
「よしよし。じゃあ新メンバーが増えた所で、恒例のあれをやりましょうか」
私が落ち着いたのを見たようで、小二田さんはパンと手を叩いて言う。
その瞬間にわかに場が盛り上がったが、私は何のことか分からず首を傾げる。
「恒例のあれって何ですか?」
「ふふふ。これよ」
小二田さんは一回辺りを見回し、にやりと笑う。
そして懐から何かを取り出した。
「今回は新人もいるから前のもあるけど、新作ももちろんあるわ」
彼女が机の上に広げたのは、数枚の写真だった。
それを見た私達のテンションが上がる。
「こ、これって」
「やっぱり、あなたもこっち側なのね! そうよ。とっておきの常陸さんの写真!」
仕事をしている所、食事をしている所、動物とたわむれている所、様々な場面の常陸さんの姿があった。
久しぶりに見る彼は、写真とはいえ格好良い。
今までの疲れが全て吹き飛ぶぐらい、私はありがたい気持ちでいっぱいになった。
「でも、これって盗撮じゃないんですか? それって……」
しかし犯罪だっとしたら話は別だ。
すぐにその考えにいたった私は、泣く泣く写真から目を逸らす。
「違うわよ! これはちゃんと本人の許可を取っているわよ」
「許可を? 一体どういうことですか?」
写真を撮らしてくれるなんて。
私は頭が混乱する。
そんな様子を察したのか、小二田さんはからからと笑った。
「許可をされる前までは、あなたの言う通り盗撮が多かったの。そのせいで業務に支障が出ててね。見かねた常陸さんが、時間帯を指定して写真を撮るのを許可したの」
「へー。そうなんですか」
許可してくれるなんて、どんだけ心が広いのだろうか。
私はさらに彼の事を好きになってしまう。
「ただし、ちゃんと仕事はしなきゃ怒られるわよ。彼も聖人じゃないからね」
彼女の言葉に、私は今までの自分の行動を思い返す。
それは、写真を撮るに値する仕事では無かった。
「はい」
きっと今回の女子会もどきも、私に対する忠告の意味も込められているのだろう。
彼女の表情を見て、何となく察した。
「これからもっともっと、人事課の為に働こうと思っています」
だからこそ、決意を力強く宣言する。
そうすれば安心した顔をされたので、私の行動は合っていたのだろう。
先ほどとは違って、ちゃんと本心から言ったので、そのおかげもあるのか。
これから常陸さんのために働き、常陸さんで癒されたい。
アルバイトではなく、正社員で働くのもいいかもしれない。
私の気持ちは固まっていた。
恐らくこの女子会も、たまにではなく毎回参加する事になるだろう。
何て言ったって私達は、似た者同士なのだから。
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