第4話 未満の話
私はしがない定食屋を切り盛りしている。
若い時はがむしゃらに働いていたのだが、子供達も成人すると、昔からの夢だったお店を出すのをやれる時間と余裕が出来た。
だからリスクも覚悟で、家の近くにある場所で始めた。
そして今まで苦労もあったが、何とか続けられている。
店に来るお客様と言えば、近くで働いている方が多い。
その中でも特に気になっているのは、物語人事課で働いている常陸さんという方だ。
彼は月に数度、お昼休みだろう時間帯にくる。
そして、いつも同じものを頼む。
「すみません。親子丼をお願いします」
「はい。親子丼一つですね」
今日も同じ注文をした彼は、無表情ではあるが雰囲気は柔らかかった。
一緒に働いている子から聞いた話では、結構偉い立場らしいのだが、全くそんな風には見えない。
むしろ腰が低く丁寧で、とても好感が持てた。
お客様によってひいきする訳では無いが、彼が来た時はいつも以上に腕によりをかけて作ってしまう。
「お待ちどうさま。親子丼です」
「ありがとうございます。いただきます……」
しかし丁寧に挨拶をして一口食べたあとに、無表情ながらも少し緩んだ目尻を見てしまうと、いいものを作りたいと思うのは仕方が無い。
自分の作ったものを喜んで食べてもらえれば、本当に幸せな気持ちになる。
それにしても前に電話をしている時に名前を知ったが、それ以外の彼に関する情報を私はほぼ何も持っていない。
いつも真っ黒なスーツをきっちりと着こなしているから、真面目な性格だろう。
彼は物語人事課で、一体何をやっているのだろうか。
最近はそれが気になってしまい、少し仕事に支障が出てきそうになっていた。
「
「え? 見学?」
悩むのがついには耐えきれなくなって、アルバイトの千草ちゃんに相談をした。
そして返ってきたのが、見学に行こうという言葉。
私は間抜けな顔をして、彼女を見つめる。
「そうです! 見学っていっても、やらなきゃいけない事はありますが、間近で常陸さんが働いているのを見れるチャンスがあります!」
「は、はあ」
鼻息荒い彼女に私は少し引いてしまうが、話の内容は気になった。
「えっと、やらなきゃいけない事っていうのは?」
聞いてみれば目を輝かせた彼女が、どこから取り出したのか紙を私の顔の前に掲げた。
あまりにも近すぎて、なんて書いてあるのか分からない。
私は少し顔を逸らし、目を細めて紙に書いてある内容を読んだ。
「えき、すとら、だいぼ、しゅう? ……エキストラ!?」
「はい!」
内容が吹っ飛びすぎていて、すっとんきょうな声を上げてしまう。
急にエキストラと言われても困る。
「エキストラって言ってもセリフとかがあるわけじゃなく、やるかどうかも分からないらしいです。知り合いが言うには、広報の為のカモフラージュなんじゃないかって。だから緊張することは、無いですよ」
しかし彼女のペースにおされ、気がつけば応募してしまっていた。
私は物語人事課と書かれている場所を前にして、緊張で固まっている。
「すごい大きくて綺麗なところですね! 予想外でした!」
隣でテンションの高い千草ちゃんがいるが、何を言っているのか全く耳に入ってこなかった。
確かに想像では、ビルの一室にあるかと思っていた。
しかしまさかビル丸ごととは、一体誰が分かるのか。
何階建てなのだろうか、見上げるぐらい大きな建物に、私は後ずさってしまった。
「ち、千草ちゃん。本当に行くの?」
「はい!」
やらないかもしれないにしても、エキストラとして中に入るのは、何だか場違いな気がする。
もしかしたら千草ちゃんもそうかもしれないと、希望を持って尋ねたが、返ってきたのはいい返事だった。
これはもう行くしかないのか。
私は少し沈んだ気持ちで、足取り軽く先に行った千草ちゃんの後に付いて行った。
中に入れば、更に驚いてしまう。
「うわー写真撮りたい! でも怒られるから駄目だ! 残念!」
私は圧巻の光景に戸惑うばかりだったが、さすがに若い子は適応力が違う。
それに感心しながら、紙に書いてあった場所に向かう。
着いた先は会議室みたいで、数人がすでに中でくつろいでいた。
「あ、あれ。常陸さんじゃないですか?」
千草ちゃんが私の耳元で囁く。
彼女の視線の先を見れば、確かにいつも親子丼を頼んでいる彼の姿があった。
「良かったですね。仕事をしている所を見られそうじゃないですか」
「そうだけど、邪魔しないようにしましょうね」
私をからかうように言ってくるが、別に話しかけるつもりは無い。
彼に気付かれずに、今日はそっと見守るだけにしたかった。
しかし、そんな私の希望はうまくいかない。
「あれ。あなたは」
常陸さんと視線が合ったかと思ったら、こちらに近づいてくる。
そして向こうから話しかけてきた。
「どうも。えっと、エキストラとしてきました」
何だかお店以外で会うのは慣れず、少し戸惑ってしまう。
それでも彼は気分を害さなかったようで、むしろ嬉しそうな雰囲気になったみたいだ。
「それは、わざわざありがとうございます。……もしよろしければエキストラではなく、別に珍しいものが見れるのでそちらはどうでしょうか?」
更には場になじめていない私に、良い提案をしてくれた。
「珍しいものってなんですか?」
「それは行ってからのお楽しみです。」
「楽しそう! 行ってみましょうよ、真赭さん!」
「あ、うん。そうね」
ここまで来たら、彼の好意に甘えてしまおう。
その別の珍しいものが何なのかは分からないが、エキストラよりはきっとマシだろう。
私達は彼の後に続き、別の場所へと案内された。
案内された先には、たくさんの本が並べられていた。
そのどれもが、見覚えのないタイトルばかりだ。
「ここは?」
「何だか図書館みたいですね」
千草ちゃんは辺りを見回して、微妙な顔をしている。
もしかしたら、もっと面白い所を想像していたのかもしれない。
しかし私は落ち着いた雰囲気の場所に、ものすごくすごしやすいと思った。
「そうです。ここは人事課の図書館なのですが、置かれている本が特殊なんですよ」
常陸さんは本棚から、1冊の本を取り出す。
「これ全部、物語として生まれたばかりのものです。今からこのお話の中から、どれかが何十年も受け継がれていくのかもしれません」
そう聞いて、私はもう一度辺りを見回した。
ここにある本の数々には、たくさんの可能性がある。
そんなに価値のあるものを、見せてくれて良いのだろうか。
「いつも美味しい親子丼のお礼です」
彼は私の想いを感じ取ったかのように、無表情ながら茶目っ気たっぷりに答えてくれた。
「もしよろしければ、この中から好きなものを複製します」
「良いんですか? 外部の人に見せたらいけないものなんじゃ」
「いいえ。むしろ物語を広めてもらえる方が、こちらとしてはありがたいです。まずは、色々な人に読んでもらうことが大事ですから」
常陸さんがそう言ってくれるならと、遠慮をしつつも私は1冊の本を選んだ。
何ともまあ恥ずかしい事に、それは彼が最初に取り出した本だったのだが。
「私は、エキストラの方がやりたかったです」
帰り道、千草ちゃんは少し頬を膨らませていた。
「そう? 貴重な体験だったじゃないの」
私は胸に大事に本を抱えて、反対にほっこりとした気持ちになっている。
もしもこの物語が、思っていた内容ではなくても一生大事にするだろう。
「真赭さんも物好きですね。その本、有名なものじゃないのに」
「いいのよ。むしろその方が面白いと思わない?」
まだ有名じゃなく、これから物語として消えてしまうのかもしれない。
しかしそれは、無限の可能性を秘めているという意味にもとらえられる。
「そんなものですかねえ」
千草ちゃんは納得がいっていないみたいだったが、私は気にせず更に本を引き寄せる。
「そんなものよ」
何だかこの本が、昔の私と重なる気がするのは自分だけの秘密だ。
店を始め、これから不安もあったが夢を叶えられて、とても幸せだったあの頃に。
今度彼が来た時にはもう一度本のお礼と、そして読んだ感想を言いたい。
きっといつもみたいに親子丼を頼むだろうから、今まで以上に腕によりをかけて作ろう。
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