第3話 表現の自由とは
その日、仕事を終えた私の元へと来たのは、随分と久しぶりに会う人だった。
「お久しぶりです。仕事は順調ですか?」
「はい、お久しぶりです。常陸さん」
「どうやら人魚姫も板についてきどうやらたようで、安心しました」
面接をした時以来の常陸さんの訪問に、視線と私の背筋が伸びた。
常陸さんは、私の事を救ってくれた人だ。
何をするにも自信が無く、親に勧められるまま人魚姫の面接に来た時、彼は全てを見抜いて諭してくれた。
「あなたの容姿、その純粋な性格、人魚姫にぴったりだと思います。しかし覚悟が足りない。これから変わりたいと思うなら、思うだけではなく行動をするんです」
ありきたりかもしれないけど、私にとっては救いの言葉だった。
そこから行動を起こした私は、今は少しは自分の事を誇れるようになったと思う。
それは全部常陸さんのおかげなので、感謝の気持ちを伝えたかった。
だから彼の方からきてくれて、本当にちょうどいい。
「今から休憩なので、一緒にお食事しませんか」
「はい。では近くにいいお店を知っているんで、そこに行きましょうか」
出来ればゆっくりと話をしたいと、迷惑かもしれないが昼食に誘った。
もしかしたら断れるかもと心配になったが、快く了承されて気分が上がる。
昼食の時間は決まっているので、時間を無駄にしてはいけないと速足で店へと行く。
常陸さんが言うだけあって、着いた先は落ち着いた雰囲気の良い所だった。
和食、洋食とジャンル問わず種類があるらしく、メニューを見ながらどれにしたらいいか少し迷ってしまう。
「おすすめはオムライスです」
そうしていると、見かねた常陸さんが教えてくれた。
これ以上迷っていても、良いものが決められるとは思えない。
私は助言を受け入れて、オムライスを頼んだ。
彼の言った通り、オムライスはとても美味しかった。
ふわふわの玉子、こだわっているだろうデミグラスソース。
今まで知らなかったけど、ここまで美味しい店が近くにあったなんて。
ここはお気に入りの場所に追加しておこう。
お腹いっぱいになった私は、満足した気持ちで背もたれに深く寄りかかる。
そうすれば、同じように食べ終えた常陸さんと目が合う。
「常陸さんが言っていた通り、すっごくオムライスが美味しかったです」
「それは良かったです」
「あの、まだお話しする時間ってありますか?」
あまりに美味しかったから食べるのに夢中になっていたが、私の目的は彼と話をする事だったのだ。
それを思い出して、慌ててうかがう。
「はい、大丈夫です。何か心配事でもありましたか?」
凄い。
私はまだ何も言っていないのに、彼は全てお見通しだったのか。
それなら話が早いと、回りくどい事はせずに本題に入った。
「この前、ファンレターが来たんですが。その中にこんな手紙があって」
私はずっとしまい込んでいた手紙を取り出し、机の上に置く。
彼は無表情に手紙を取り、静かに目を通した。
その内容を、私は何度も何度も読んだので見ないでも思い出せる。
簡単に言えば、人魚姫は話が可哀想だからラストを変えろという、何ともまあ大規模な訴えだ。
内容はさておいても、あまりにも酷い書き方で読んだ後は嫌な気持ちになった。
確かに私が今、仕事をしている人魚姫のラストは泡になって消えるという悲恋の物語。
しかし可哀想だからといって、変えるなんて違う気がする。
手紙をもらって読んでから、そのせいでずっとモヤモヤしていた。
誰かに相談しようかとも思ったが、適任が見つからなかった。
しかし常陸さんなら、良いアドバイスをくれるはず。
そう期待して、今回勇気を出して話の場を設けたのだ。
「なるほど」
手紙は数枚なので、すぐに読み終えた常陸さんはメガネの位置を直した。
「この手紙の内容は、最近他の物語に対しても言われているものですね」
「そうなんですか?」
「はい。こういった手紙は、中身は違えど言いたい事は同じです。展開が酷い、子供の教育に良くない、残酷な描写は削除しろ。と言った感じですね」
確かに童話でも、子供が読むにしたら怖い部分はある。
しかしそれを無くしたら、物語として成立しないものだって出てくるのに。
「そんなの勝手です」
私は、怒りから握った拳が震えてしまう。
自分の仕事にプライドを持っている今、周囲の何も知らない人に色々と言われたくない。
本当に、皆勝手すぎる。
「いいえ。しかしこういった意見が、時には物語の違った面を引き出してくれる事もあります」
しかし頭に血が上った私を落ち着かせるかのように、常陸さんは穏やかに話を始めた。
「それは、どういう事ですか?」
私は食後のコーヒーを口に含む。
香りがとても良く、程よい酸味と苦味。
そのおかげで少し気持ちが落ち着いた。
彼も同じ様にコーヒーを一口飲み、私の為に詳しく話をしてくれる。
「今、あなたが仕事をしている人魚姫。この物語も、本当は少し違います」
人魚姫は恋をした王子に気づいてもらえず、そして殺す事も出来ず、海に身を投げて泡になる悲恋の物語ではないのか。
彼の言うとおりなら、私は本当の話を知らない事になる。
しかし人形姫の少し違う物語とは、一体どんなものだろうか。
「細々とした所で省略されていたりしますが、1番違うのは最後ですね」
彼は私に分かりやすいように、噛み砕いて本来の物語を教えてくれる。
『結局は王子の愛を得られずに泡になってしまった人魚姫だったが、彼女はそのまま消えてしまったわけではなく風の精に生まれ変わり、泡の中からどんどん空に浮かび上がっていった。
どこに行くのか戸惑う彼女に精霊が話しかけ、それによると「あなたは空の娘(風の精)のところに行く」「自分た
ちは暑さで苦しむところに涼しい風を送ったり、花の匂いを振りまき、物をさわやかにする仕事をしている。」「自分たちも人魚と同様に魂はないが、人魚と違い人間の助けを借りずとも300年勤め続けることで魂を自力で得られる。あなたも今までの苦労でこの世界にこれた。」というような答えが返ってきた。
生まれ変わった彼女は、自分の最期を知っているはずがないのに海の泡を悲しそうに見ている王子と花嫁を見つけた。そして王子のお妃となった姫君の額にそっと接吻し、王子に微笑みかけたあと新しい仲間たちとともに薔薇色の雲の中を飛びながら「あと300年で天国に行けるようになるのかな」とつぶやく。そうすると、先輩の精霊から補足が入った。
魂を得られるまでの期間は厳密には固定ではなく「子供にいる家で親を喜ばせて愛しみを受ける子供を見つけて私たちも微笑むと試練の時は1年単位で短くなり、逆に悪い子を見て悲しみの涙が流させられると1日づつ長くなるのですよ。」と』
「これが一応、アンデルセンの作った人魚姫です。そういうわけで悲恋というには、少し違っています。恐らく風の精のくだりは、子供が読むのには難しいからと省略されたのでしょう」
確かにその話が本当なのだとしたら、私も間違っていたのかもしれない。
「その時代によって、状況が違いますものね。無駄な部分は省略したり、不適切な部分を消したり。しょうがない事なんですね。この手紙も、良い意見として受け止めます」
私の考えていた結末にはならなかったが、常陸さんに話が出来てすっきりした。
彼から手紙を返してもらおうと、手を伸ばす。
しかし何故か、彼は手紙を持ったままだった。
「常陸さん? どうしましたか?」
「こういった意見で、物語を変える事はたまにあります。しかし、それにしてもこの手紙は書き方があまりにも酷い。私に少し貸してもらっても良いですか?」
「あ、はい。良いですよ」
「ありがとうございます」
特に困る事では無かったので了承したが、何だか常陸さんの無表情の中に恐ろしい何かを感じた。
それからしばらくして、抗議の手紙が減ったと上司が喜んでいるのを聞いた。
理由を何となく察した私は、常陸さんに対しどういう気持ちになればいいか、少し考えてしまう。
しかし今までの事を思えば、良い人だというのは私の中で変わらなかった。
また今度、食事に行く機会があれば良いな。
その時は私のおすすめの店に行こう。
今から、それを思うと楽しみだった。
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