第2話 200X年7月第二週目

 朝だ。

 朝が来てしまった。

 私を軽くゆすって起こす夫を、私は寝ぼけ眼で不機嫌そうに見返す。


 夫の快眠を「蚊の羽音」で妨害してやろうと思ってから一週間。

 夫からのアドバイスを参考に、私はせっせと蚊の羽音の練習を重ねていた。より不快に、より神経を逆撫でする音を目指し、夫に気づかれないようシャワーの音でカムフラージュしながら何度も調整を重ねた。


 蚊と格闘する夢を見る夫。

 姿の見えない蚊。いつ刺されるか分からない恐怖と苛立ち。それを存分に感じる夢に苦しむ夫。

 あるいは蚊の羽音に目を覚まし、寝付けなくなる夫。

 暗闇に潜んでいるかもしれない蚊。いつ刺されるかわからない恐怖と苛立ち。それを存分に感じて、蚊と戦うことを決意する夫。


 そんな夫を想像して吹き出しそうになり、シャワーの水を飲みかけても、この練習はやめられない。どの夫も楽しくてかわいらしい。どう想像しても楽しい未来しか浮かばない。努力すればするほど成果を感じられるのは仕事とはまるで違う。仕事をすることは、たまにむなしい。

 「仕事っていうのは、やればやるほど増えるのよ。」そうため息交じりに言ったのはOJTの教育係として私についていた先輩だったと思う。当時はなんのことかわからなくて、とりあえず「はい」と答えただけだったが、今はこの言葉は本当にその通りだなと思っている。自分に課されたタスクをこなせばこなすほど、より難易度の高い案件を任されたり、業務遅延している同僚の補助に駆り出される。残業時間も長くなり、疲れ切っている私は最近、ベッドに入るとすぐ寝てしまう。鼾でなんて起きられない。目覚ましで起きることすらままならない。目覚ましで起きた夫に起こされる毎日。なんという体たらく。


 このままでは夏が終わってしまう。

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