夫よ!

@tamako3

第1話 200X年7月第一週目

 夫はよく眠っている。

 鼾をかきかき、腹を掻き掻き、彼は実によく眠る。

  

 一方の私は、彼の鼾のせいで夜中に目を覚ましてしまう。そして一度起きてしまったが最後、鼾の音が気になって、もう寝付けない。金曜日や土曜日の夜ならば構わない。翌日が休みなのだから夜中起きようが問題はない。最悪なのは平日の夜で、翌日仕事のある身としては、いつ眠くなってもいいように、鼾の轟音に耐えながらベッドに寝転がっていなければならない。実に苦痛だ。何とかこの音から逃れようと耳を塞いでも、夫に背を向けてみても何の効果もない。しょうがなしに私は、眠る夫を観察する。

 

 私は知っている。

 寝ている時の彼の呼吸が、たまに止まっていることを。どうして何度検査しても、「睡眠時無呼吸症候群」の診断がくだらないのか。心配じゃないか。


 私は知っている。

 彼が寝ながら腹を掻くのは夏の夜だけだということを。きっと汗疹でも出来ているのだろう。


 私は知っている。

 彼が夏の夜には、ベッドから手を伸ばして床を触りながら寝るということを。きっと涼を求めているのだろう。


 私は知っている。

 床に手を伸ばしすぎた彼が、たまにベッドから落ちていること。しかも、ちゃんと自力でベッドに戻ることも。どうして朝になると、落ちたことを覚えていないだろう。


 彼は知らない。

 鼾のせいで寝付けない妻が、今、復讐の鬼と化していることを。彼だって、一度くらい、夜中に起きればいいのだ。そして、眠い目をこすりつつ大量のコーヒーをのみながら仕事をし、あげくそのコーヒーのせいでトイレが近くなり、トイレに行けば鏡に移った自分の顔に滲む疲れの濃さに失望する。そんな辛さを味わえばいいのだ。


 夫への怒りをこめて、私は夫の耳に囁く。


 ぷーーーーーん・・・・・・

 ぷーーーーーーーーん・・・・・

 



 ・・・反応がない。気持ちよさそうに寝たままだ。起きる気配などさらさらない。


 釈然としないまま、私は昼の夫に聞いてみる。


 「ねね。今ちょっと練習してるモノマネがあるんだけど。」

 「なに?」コーヒーを片手に夫が振り向く。果たして君にコーヒーが必要なのか。あれほどよく寝ている分際で。


 「あのね。蚊の羽音。」


 ぷーーーーーん・・・・・・

 ぷーーーーーーーーん・・・・・

 

さぁ。どうだ。


 「なんか違うなぁ。」

と夫は首をかしげる。

 「どうしたらいい?」

 「もっと音高くて、後若干、音が震える感じかなぁ。」

こんな意味の分からないモノマネに真剣にアドバイスを考えてくれる夫の姿が愛おしい。私もなんとか成果を出して、このアドバイスに応えたくなってくる。


 ぷぅぅぅぅぅん・・・・・・

 ぷぅぅぅぅぅぅぅぅん・・・・・


 「近い!」

 「大丈夫?ちゃんと不愉快?」

不愉快かどうかが一番肝心なのだ。不愉快でなくては意味がない。恐る恐る聞いた私に、夫は少し考えてから答えてくれた。

 「不愉快?そこまでではないかなぁ。もっと小さい音で試してみてよ。聞こえるか聞こえないかギリギリのやつ。どこから聞こえてるか分からないってとこが一番苛立つよ。」

 

 夫よ。ナイスアドバイスだ。

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