10.朝焼けと横顔
カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされて、私は目を覚ます。
枕元に置いてある目覚まし時計を確認すると、昨夜に設定した目覚まし機能が働いた後だった。要するに寝坊していた。
けたたましい目覚まし音に気付かずに寝続けるなんて、私はどれだけ熟睡していたのだろうか。これでは目覚まし時計さんに申し訳が立たない。少しだけ反省する。ごめんなさい。
伊藤くんはもう起きているのかな。確認しようとすると、隣りからすーすーと可愛い寝息が聴こえていることに気づく。彼もまた寝坊しているようだ。
身体を起こし、彼の寝顔を覗き込む。普段は捻くれているけれど、寝ているときは本当に愛らしい顔をしている。普段からこうしていればいいのに。
そんな彼の寝顔を眺めていると、だらしないぐらいに口元が緩んでしまう私がいた。
「君の寝顔はかわいいね」
囁いて、彼を起こさないよう静かに、身体を元のポジションに戻す。もう少しだけ寝っ転がっていよう。彼が起きたらからかってやるんだ。
夢を思いだす。
そこはただただ真っ白い空間で、だけど暖かくて、ふわふわと私の身体は上昇していく。そんな漠然とした夢。
あまりに抽象的過ぎて意味もわけもわからないけれど、何故だか幸せな夢だったと思う。
私が幸せな夢を見るのは彼のお陰だ。
途方に暮れて、存在を失い迷っていた私を、彼は救い出してくれた。何も訊かず、何も要求せず、ただただ私をありのままに認め、傍にいてくれた。
夢見た幸せを、私は掴んだ。
それは夢ではなく、現実だ。
きっと伊藤くんは知らない。私がどれだけ救われたのかを。私がこの日常をどれだけ望んでいたのかを。そしてそれを伝えたところで、彼は絶対に否定する。彼にとっては無意識で、無自覚で、自然な行為なのだ。
だから、私は感謝の言葉に口にしない。安っぽくなってしまうから。嘘になってしまうから。
私は行動で、彼に恩返しをするしかないのだ。
そう決意したとき、彼は寝言を漏らした。初めの方はくぐもっていて聴き取れなかった。次は聴き逃すまいと、私は耳をすます。
「このまま夜明けが来なければ、それは幸せなのかもしれない」
衝撃だった。まるで鈍器で頭を殴られたような、背後から心臓を撃ち抜かれたような、体験したことのない、そんな衝撃が襲いかかってきた。
存在を否定された気がした。
否定されただけなら、構わない。辛いけど耐えられる。だけど、彼が耐えていたのだとしたら、それは耐えられる気がしなかった。
私は彼に強いてしまったのだろうか。甘えていただけなのだろうか。だとしたら、私は最低だ。最悪だ。
私は自分が赦せそうにない。同時に、自分の馬鹿さ加減にも嫌気が差す。
満たされていたのは、私だけだったのだろうか。
おそらく伊藤くんの寝言は、度々うなされるという悪夢の内容の一部だ。前々から見ていたという言葉を信じるならば、私がその悪夢に拍車をかけ、より酷なものにしてしまったのかもしれない。
出会ったその日から、彼が自己否定に苦悩し、存在意義を求めていたことに感づいていた。だからこそ私は惹かれ、彼も求めてくれたのだと、そう思っていた。
共依存だとしても、それを認めたうえで、たとえ関係が偽りだとしても、いつかは本物になるのだと信じていた。
独り善がりだったのかな。
そう思うと、悲しみが溢れて、私を支配する。彼を追い込んでしまったという罪悪感と、私たちは独りずつであるという現実を突きつけられた寂寥感が胸に突き刺さった。
それすらも、独り善がりか。
でも、もう逃げられない。彼から受け取った優しさを、返さなくてはいけないから。伊藤くんが私の存在を許容してくれたように、私は伊藤くんに価値を与えるしかない。
価値とは、人が与えるものだから。
それから、ここを去ろう。考えると涙こみ上げてくる。
泣かない。私が泣いていいはずがない。独り善がりでもいい。おこがましいけれど、私は彼に幸せになって欲しいのだ。
不意に、私の手は握られた。
引き留められるように、強く。
とても温かい手だった。
その瞬間、求められていることに気づく。独りで生きてきた彼が、誰かの手を自ら取ることはなかったはずだ。
嬉しくて、だけど不安はあって、私は彼の手を握り返す。強く。強く。
いつだって、私が求めていたことを、彼は知っていてくれたのだ。
勝手な想像だと言われても、この部屋は私と彼の世界そのものなのだから、他人にはわかりようがない。
私たちには、私たちしかいない。それがどれだけ脆いものだとしても、いまさら恐れる必要はない。先なんてわからないものなのだ。
さあ、そろそろ彼を起こそう。
「そうは言っても朝はやってくるものよ」
引き上げるのは私の役目なのだ。
「私と一緒にね」
私たちは目を覚ます。
そうしてまた、今日を迎えた。
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