9.灯す

 目を瞑ると孤独がやってくる。

 手を伸ばすと君がいる。

 隣りで横になる伊藤くんの頬に触れ、彼の存在を実感し、そして安堵する。私は独りじゃない。

 彼は不思議そうな視線を向けてきた。

「どうかしたの」

「ううん、何でもない」

 手を伸ばせば届く。当然なはずなのに、どうしても確認してしまう。

 ときどき不安になる。なにもかも失うんじゃないか。そんな妄想が思考を支配して、なにをしても落ち着かなくなる日がある。手にした幸福を素直に受け入れることができていない。胸の中で大きくなる不安に押し潰されそうになりながら、できるだけ普段どおりに答えた。

「ふうん、嘘下手だね」

 見透かしたように、彼は短く笑う。相変わらず意地悪だ。

「嘘じゃないですよう」

 だけどそれを認めたくないので、私は嘯いた。本当は今すぐにでも心中をぶちまけたい気分だったけれど、怖気づいてしまったのだ。

 孤独はいつだってその強靭な牙を、鋭い爪を研ぎ、私の首を狙っている。彼に否定されることは孤独なのだ。そして彼に肯定されることもまた、孤独なのだ。

 しかし私は知っている。彼は否定をせず、肯定もせず、ただただ許容してくれることを、私は知っている。

 だからこそ怖かった。私たちの決定的な差異を、違いを明らかにしてしまうことが怖かった。

 往々にして人が持つ不安。平凡にして陳腐な苦悩。そんなものを世界から弾き出された私が持つこと自体、実に滑稽で同時に嫌悪するものだった。私はずるい。

 だけど私と同じぐらいみんなずるい。

 少数派は嫌われる。空気を読めず、慈しめず、他人と同じ正しい選択を行えない人は少数派。そうやって少数派を隅っこに追いやり、孤独の餌食とする。

 個性とは大多数の中に存在するカテゴリの総称でしかない。所詮は演技。カテゴライズされるために必要な資格。枠組からはみ出さないための試験。

 どこにもカテゴライズされない、その人だけが持つ唯一の個性とは欠陥でしかないのだ。

 私たちは管理される。効率的に、効果的に管理される。

そのために私たちは騙される。まるで多数派が正しいかのように、少数派が誤っているかのように騙される。

 世界はずるい。

 面倒くさい人間は、少数派。

 世界は正しいけれど、それは誰かが決めた正しさだ。それなのに私は、その正しさから弾き出されないように愚かにも努力した。所詮は演技。いつかは失敗する。

 だから私は孤独の餌食となった。怖くて泣きたくて逃げ出したくて。……でもすべてから解放された気がして、少しだけ嬉しくなった。

 恐らく、自由とはカテゴライズされなかった人間が手にするのだろう。孤独と自由は表裏一体なのだ。

 しかし、今の私は違う。自由ではないし、孤独でもない。

 彼に嫌われることを恐れ、孤独に戻らないように演技をし始めている。きっと彼の求めた、求めてくれた私は大多数にカテゴリされる人間ではない。個性を捨てた私に、どれだけの価値が残るのだろうか。

「君はさ……、少し難しく考えすぎだと思うけどね」

 私は今どんな表情をしているのだろう。彼は私の顔を覗き込んでいた。

「……難しく、ねえ」

「そう、難しく。たまにはさ、考えないことも必要なんじゃないかな」

 彼は簡単に言うけれど、それは私にとって難しいことのように思えた。

 その差異が絶望的なもののように思えた。

「君はさ、独りになることが怖くないの?」

「うーん。質問の意図はわからないけど、答えるなら独りでいる時間の方が長かったからね。怖くはないかな」

 そうして、私と彼の差異は明らかになってしまった。

 怖い。彼が私たちの違いに気づいてしまうことが怖い。私の本性を知られるのが怖い。独りなるのが怖い。

「私はね、怖いよ。怖い。独りに戻ることが怖い。君と離れることが怖い。もう独りは嫌なんだ」

 彼と私は違う。孤独に生きてきた彼と、孤独に生きることになった私とでは違うのだ。

 私はカテゴリエラーだけど、彼はそもそもカテゴライズすらされていない。圧倒的で根本的な絶対的差異。

 自称知人の佐々木さんは拒絶されたのだ。佐々木さんと私はそう変わらない。つまり、私と伊藤くんの差異は致命的。

 身体が震える。ああ、私はやはり独りに戻るのか。

 そんな絶望の淵に立つ私に向けて、彼は平然と言う。

「君はここを出て行く予定でもあるの?」

 あまりにも突拍子もない質問に、私は戸惑い言葉に詰まってしまう。とにかく答えなければと、慌ただしく首を振った。

 彼は私の様子を見て、嘆息する。

「はあ、なら別に独りになることなんてないじゃないか。それとも出て行きたいの?」

 まさか、どうしてそうなってしまうのだろうか。私が自ら孤独に向かうなんてあり得ない。

 それとも何か、暗に出て行けと言っているのだろうか。何故だか無性に腹が立ってきた。

「やめてくださいよう。私は絶対に出て行かないからね」

 そう言うと、彼は珍しく静かに笑った。

「そう、じゃあ悩み解決だね。まったく面倒くさいなあ、君は」

 彼はどこか、ほんの少しだけどいつもよりも優しい声音だった。

 そんな彼の言葉に、私の心は奪われた。

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