5.一歩引いて
私たちは、佐々木さんと再会した。
私と伊藤くん出会いが必然だと言うならば、私と佐々木さんの出会いもまた必然だと言えるだろう。
佐々木さんは彼の知人を自称していた。過去形なのは、名実ともに、一応は知人の体裁を保っているからだ。彼女の伊藤くんに対する、なり振り構わぬ猛アプローチの結果だった。
他人との付き合いを苦手としている伊藤くんは、佐々木さんのあまりにも無法なアプローチに辟易としている。その方法が彼を追い詰めるものだったからだ。彼の拒絶にもめげず、向上心に溢れた彼女は、まだまだ納得していないご様子だけど。
問題は、佐々木さんの好意が明らかなのに、伊藤くんは一切気づかず、また向き合わない点だった。気づいていないのだから向き合いようもないけれど、それでも少しばかり彼女には同情してしまう。
しかし、彼女のアプローチ方法は看過できない。このままではいずれ彼が壊れてしまう。いくらなんでも、一時間毎にメールを一方的に送りつけるなんて狂気の沙汰だ。彼でなくともノイローゼに陥るだろう。
それに彼も彼で、嫌なら嫌とはっきり告げるべきなのだ。もし嫌でないなら少しぐらい話を聞いてみるなり、何にせよ明確な対応をするべきである。彼もまた身勝手で自己中心的だった。
そんな二人に、正直苛ついていた。
そうはいっても、私が踏み込むべき問題ではないし、価値観は人それぞれなので、口を挟まない。あくまで私は。佐々木さんはどうやら私を目の敵にしているらしく、敵愾心をあかさまに私に向けていた。
私と彼が散歩している最中、彼女はすれ違おうとした彼の腕を掴む。はあ、好きにやればいい、と私は嘆息。すると彼に向いていた彼女の視線は、いつの間にか私を標的としていた。
親の仇でも見ているかの、鋭く射抜くような視線。睨まれているともいう。彼女の敵意丸出しの視線に、私は我慢の限界を迎える。きっ、と睨み返すと見えない火花が散った気がした。
口火を切ったのは前回と同様、彼女だった。
「あなたは、彼とどういう関係なんですか?」
丁寧な口調とは似つかわしくないほど、低く棘のある声音。前回と同じ質問を、彼女はでき得る限りの不快さと敵意を持って武装していた。一体私が何をしたというのだろう。……何もしていないからこその展開か。
「君に話す必要が見つからないのは、気のせいじゃあないよね」
私も応戦する。副音声は、うるさい黙れ。敵愾心はないけれど、こうも責め立てられれてしまうと、私だって反抗心ぐらいは抱きたくなる。彼女がどう思っているのかは知らないが、私はそんなに寛容ではない。
予想外の反撃だったのか、彼女は黙り、標的を彼に変える。埒が明かないと割り切ったのだろう。どうせなら、私もいないものと割り切って欲しいものだ。
彼女に睨まれた彼は、面倒くさそうに言う。面倒くさいのは私の方なんだけど、とは言わない。
「一緒に暮らしているんだよ」
彼は簡素に事実だけを伝えた。そんなものは家を訪ねてきたのだからわかるはずだし、私も前回にそう答えたので彼女も知るところだ。しかし彼の口から改めて告げられたその事実に、彼女はショックを隠しきれていない様子だった。
ざまあみろ。性格の悪い私である。
「……あなたは、恋人はいないと、以前に答えましたよね。どういうことですか?」
ただ、彼女は納得しない。ここで納得するような性格ならば、こんな事態にはなっていないだろう。
「別に、理由なんてないよ。恋人じゃあない。ただ一緒に住んでいる。それだけ」
「ルームシェアリングということですか?」
「違う。僕の部屋に、彼女と二人で住んでいる」
短い応酬のあと、彼女は沈黙する。というか、私も沈黙する。こればかりは仕方のないことだけど、私たちの関係は特殊だ。理解のしようがないし、説明のしようもない。少しばかりの罪悪感を覚えた。
「よくわかりません。が、ここは置いておきます。ではあなた方は、相手に恋人ができたらどうするつもりなのですか?」
だけど、彼女のそんな言葉で、私の罪悪感は消え去った。ぐつぐつと腑は煮え繰り返る。
どうして。どうして、彼女は真っ向から素直にアプローチをかけられないのだろうか。彼の言葉によって私たちが恋人ではないと判明したはずだ。ならば、今の私たちがどうであれ、彼女には関係ないし、口を挟まれる筋合いもない。もし私を彼の部屋から追い出したいのなら、告白して恋人になればいい。
どうやら彼も同じ心境のようで、表にこそ出さないけれど、苛ついている様子だった。ここらが潮時か。これ以上は何を言っても無駄だろう。
私は、彼を掴む彼女の腕を、力強く振り払った。
「さっきから私たちの話でしょう。あなたに踏み込まれる筋合いはない。いい加減どいてよ」
「それこそ、あなたに聞いているのではないのですから、関係ないでしょう。私が彼に何を言おうと、どうなろうと私の勝手なはずです」
そう、勝手だよ。心の中で呟いて、私は無言でその場を立ち去る。私がいない方がいいのなら、いなくなってやろう。なあなあしてきたけれど、彼には選択する必要があるのだから。
「どこにいくの?」
彼の言葉を無視する。今、君が向き合わなくちゃいけないのは佐々木さんなんだよ。
行く当てもなく、そぞろ歩いていると、たどり着いたのは寂れた公園だった。数ヶ月前に彼と出会った公園。彼の掘った穴と、私の用意したロープは、今だに残っていた。ロープを使って、私は穴の底に下りる。
私には無関係。口にしてみると、心が冷え込んだ。そうだ、私と彼は同じ部屋で生活していても、独りと独りでしかない。だから彼女の言うとおり、私には関係のない話。たとえ終わったとしても。
楽しかったんだけどな、心地良かったんだけどな。無性に寂しくなった。悲しくなった。いつからあの部屋ではなく、彼に愛着を抱いていたのだろう。
今頃になって自覚するなんて、なんて馬鹿な女なのだろうか。
「何をしているの?」
そんなとき、不意に上から声がした。声の主を見上げて、私の胸は高鳴る。ああ、いつだって彼は私を救い出してくれる。
「出られなくなっちゃった」
私たちは再会した。
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