3.言葉舞う、ふわふわ舞う
「私のいいところは、家事万能で可愛くて静かな大人の女性ってことかな。他にも看病もできます。だから私がここにいるといいことがいっぱいです」
部屋の中央で私は仁王立ちし、座ったままの伊藤くんを見下ろして自信満々に胸を張る。言うだけならタダなのだ。
そんな私に、彼はあからさまなほど懐疑的な視線を向ける。どうやら私の発言に疑わしい言葉が混じっていたらしい。
おかしいな、嘘は混ざっていないはずだけど。
「君が、静か……?」
まるで私が喧しいとでも言いたげに、彼は呟き首を傾げた。私ほど静かな女も中々いないと思うのだけれど、彼には比較対象がいないので信じられないようだ。
「静かですよう。世間一般の女性なんて私の十倍はうるさいよ」
偏見と憶測に基づいて嘯いてみたたけれど、あながち間違いでもないように思う。どうして彼女たちは、箸が転がっただけであんなに爆笑できるのだろうか。
そんな私の話を聞いて、彼はうんざりした様子でため息混じりに苦笑い。
「十倍……、それは最早騒音の域だね」
「うん工事現場といっても過言ではないよ。だから私はお得物件ですよ」
「君の話だけを参考にするならそうなるけど……」
じとっとした眼で私を見据える彼。ここまで言ってもまだ疑っている様子だった。私の想いは伝わらないのね。なんて悲観的になってみたり。
夕暮れ時の彼の部屋で、どうして私は雄弁に自己アピールをしているのか。
事の発端はアパートの契約更新日が近づき、彼が「このまましばらく泊まるつもりなら契約人数を二人にしなくちゃいけないんだけど。どうする?」と問うてきたからである。
この「どうする?」とは、「泊まっている」という状態から「一緒に住む」へと形態変化させるのかとの意。端的に言えば、「明確な意思表示」を求められていた。
住むのか。
出て行くのか。
今までは漠然と続けてきた生活を、現実的な問題を理由にして、明確化する必要が出てきたのだ。
私はこの曖昧模糊とした、何にも縛られない生活に心地良さを覚えていた。逃げようと思えば逃げられるし、現状維持も容易いからだ。だからこそ、必要であったとしても自分をこの部屋に縛る発言は避けたかったし、それを明言することに抵抗があった。
第一、彼の問いには彼の意志が介在していない。まるで私だけの問題のように取り扱っているけれど(実際問題私が原因であることには間違いないけれど)今回の問題は私たち二人の問題なのだ。
なぜならば、この部屋の家主は彼なのだから。
君の部屋に、居候。
つまり私だけが考えるのではなくて、二人で考える問題なのである。更に言うならば彼が答を出す問題なのである。
それと、一つだけ懸念があった。
自惚れかもしれないが、きっと私がどのような意思表示をしても、彼はそれを素直に受け入れるだろう。出て行く選択をするのならば気にはならなかったのだろうけど、生憎自らその選択をする予定は今のところない。だから私が「住みたい」と明言したとき、彼を縛ってしまうのではないかと不安になったのだ。
私は縛られたくないし、誰かを縛るのも嫌だった。
図々しくも、私はそうして「状態の明確化」を彼に丸投げした。基本的には泊まっていたいというスタンスで、彼に選んでもらおうと、私は自己アピールを始めたのである。
彼はそんな私の思惑を知ってか知らずか嘆息する。
「でもさ、一方の言葉だけじゃあ客観性は皆無だよね。それに君の言葉には根拠がないし」
「うっ。そ、そうですかね。でもうるさいかどうかなんて所詮は主観でしかないんだし」
「そうだね、確かに主観でしかない。つまり君はうるさいということだ」
腕を組み、彼はうんうんと一人で納得していた。
おかしい、そんなに騒いだことなんてないのに。私は頬を膨らませ不満をアピールする。一度私以外の女性と話をしてみればいいのだ。そうすれば私の有り難みが分かるというもの。そのときになって謝られても許さない。
そう強く心に決意した。そもそもそのときに私と彼が一緒にいるとは限らないけれど。
「じゃあもう私はうるさくてもいいですよう。次いくよ次」
「次ねえ。他にもまだあるの?」
彼は子供をあやすように、だけどおざなりな態度で私に続きを促した。
そんなもう飽きたとでも言いたげな彼の態度にもめげず、私はふんと鼻で息を吐き、
「お留守番ができます!」
したり顔で言い放った。
「うん、別に君じゃなくてもできるね。というか僕には必要ないの知ってるでしょ?」
それを彼は受け止めもせずに一刀両断した。
へなへなと私は膝から崩れ落ちる。勝てる気がしなかった。勝ち負けなんてないけれど。
ええと、つまり私は出て行かなくてはいけないのだろうか。改めて考えると一抹の寂しさを覚えたが、しかしこの状況は健全ではないのだ。この辺りが引き時なのだろう。
だけど……。
「はいはい、わかりましたよ。私がいなくとも問題はないね」
不貞腐れ気味に三角座りをし、立てた膝に顔を埋めた。
寂しいとかそういう気持ちもあったけれど、結局最後まで彼がどう考えているのかわからなかったのが悔しかった。一体彼は何を考えているのだろう。
そんな私を尻目に彼は立ち上がり、キッキンへと向かう。
最後の晩餐かなあ、なんて場違いなことを考えていると、
「まあさ、まだ契約の更新までは少し時間があるし、それまでに『君がいて良かった』と思わせてみてよ」
背中を向けたままの彼は、明確に現状維持を提案した。きっと彼にとっては何てことのない、ありきたりな言葉なのだろうけど、私は受け入れられている気がして嬉しくなった。
勢い良く立ち上がり彼の元へと向かう。
「任せてよ! 手始めに美味しい夕飯を作ろうと思います」
夕飯の準備を始めようとしていた彼を座卓の辺りまで押し戻し、私はその役目を奪い取る。彼より美味しい夕飯を作るのだ。
私は君がいてくれて良かったよ。今なら雄弁にそんなことを語れそうな気がした。気がしただけで口にはまだしない。
彼にも私がいて良かったと思わせたら、伝えてみよう。
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