7.触れる

「今から映画を観に行きたいと思います」

 水瀬は何の前触れもなく、提案する。提案と言うより、彼女の言葉は、決定と表現するべきなのかも知れない。だけど、僕はなんの相談も受けていないし、話し合いもしていないのだから、やっぱり提案という他ないだろう。

 そしてもちろん、却下もとい拒絶する。

「行ってらっしゃい」

「むー。どうしてそういうこと言うかなぁ。君も一緒に行くんですよう」

 ジタバタして不満を表現する彼女。あと五歳若ければ、許されただろう。少なくとも、僕は許していた。さすがにこの歳はアウトだ。

 嘆息。彼女との生活も月日を重ね、悲しいかな慣れつつある。恩もある。しかし、ここは僕の部屋で、僕が家主だ。何故、彼女はこうも大きく出られるのだろうか。

 疑問を解決するためには、彼女に直接質問をしなくてはいけない。でも、そんな面倒なことはしたくない。うむ、知らない方がいいこともある。真実はときに残酷なのだ。違う。この格言の使いどきは今じゃない。

 不毛な思考を働かせ、僕は現実逃避をする。彼女は相変わらず、僕の隣りで騒いでいる。きっと、提案に乗るまでこのままだろう。笑うしかない。

「行こうよぉ。私はとっても暇なのです。つまり君もとっても暇なのです。だから映画を観にいくしかないのです」

 彼女は無茶苦茶な三段論法を持ち出し、背後から抱きついてきた。

 これじゃ、何もできないではないか。ちょっと待て、全体重をかけるな。首が。締まる。

 耐えきれず後ろに倒れる。彼女の鈍い悲鳴が聞こえ、僕の首は自由になった。

「君は僕を殺す気なのかな」

「だって、君が相手してくれないから」

 僕の言葉を否定せず、自分の要求を通そうとする水瀬。頭が痛い。

 ……というか、今僕は殺されかけているのか。助かる道は一つだけ。この要求を飲むしかない。癪だ。

 別に映画を観るのはいい。ただ、彼女の思い通りになることだけが気に食わないのだ。

 だけど、言っても仕方がない。こうしている間にも、彼女の腕は徐々に締まってきている。まあ、たまにはいいか。

「分かった。付き合うよ」

「ありがとう。そうと決まれば、よし準備だ」

 言うと、僕の背中から抜け出し、水瀬は嬉しそうに微笑みかけてきた。何だか最近、この笑顔にほだされている気がしてならない。一応、僕にも感情があるようだ。命の恩人なのだしあんまり、無下にはできないよなあ。



 夕方の繁華街。僕と水瀬は、映画館を出て、喫茶店で一服することにした。

 映画館について驚いたことは、彼女が観る映画を決めていなかったことだ。てっきり決めてあると思っていたのに、まさか受付で何が観たいかと訊かれるとは。結局、僕は丸投げし、彼女は恋愛物のチケットを二枚購入。カップル割という、僕たちの関係には、似ても似つかわしくない割引により半額となった。

 チェーンの喫茶店に入り、アイスコーヒーを二つ注文。僕はそれを受け取り、彼女の待つ席へと運ぶ。

「お姫様、お待たせしました」

「よい。ここに置け」

「少しイラっとした」

「ごめん。私もないと思った」

 くだらないやり取りを終えて、席につく。これじゃあ、部屋と変わらない。

 せめて、世間様と同じことをしたくなって、本で目にしたことのあるやり取りを始める。

「映画どうだった?」

「うーん。まっ、普通かな」

「ご都合主義だよね」

「そうだね。まあ私たちも人のこと言えないけど」

 そのとおりだった。僕たちの出会いは、まず誰にも信じてもらえないだろう。ただ幸いなことに、この先誰にも伝える機会もないだろうから問題ない。

「でも、付き合ってはいないよ」

「周りからしたら、そんなの分からないって」

 彼女は言い終えて、含み笑いをする。何か企んでるのだろうか。

 そう言えば、カップル割も受付の人が勧めてくれたものだった。……彼女はこれを狙っていたのか。

 ああもう、どうでもよくなってきた。今に始まったことじゃないんだ。今日は彼女の好きにさせよう。見事に、恐らく彼女の思惑通りに、僕は諦めぐせがついてきた。諦める。

「で、次はどうしたい?」

「手を繋いで帰ろうと思います」

「いいよ」

 彼女は、隠しもせずににやけ顔を決めた。

 そんなに、嬉しいのかよ。心で突っ込む。癪なのに、嫌な気はしない自分が恐くなった。

 店を出ると、彼女は恥じらいつつ、手を差し出してくる。僕は、気付かないふりをして焦らす。

「その、ほらさっきいいって言ったよね?」

「ん、何の話し?」

「……ずるいですよぅ」

 明らかに、きっと誰が見ても分かる程あからさまに落胆して見せる彼女。さすがに、外でこのまま放ってはおけない。

 そう思うほど、僕は彼女にほだされていた。

 手を取る。

 水瀬はみるみるうちに元気を取り戻していった。単純と取るか、計算高いと取るか、少し迷ったけどどっちでもいいと結論づける。結果は一緒なのだ。

「帰ったら晩酌に付き合ってもらいます」

「はいはい」

 おざなりに返事をする。どうせ、抵抗しても今日は上手くいかない。

 帰ろう。帰ったら彼女と酒を飲む。それでいい。

 周りの視線は気にならない。どうせ、僕たちのことなど気にもしていないだろう。

 初めて、僕たちの手は触れ合った。

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