5.知らないまま
ありきたりで、それこそ王道過ぎて面白味の欠片もないのだけれど、端的に言って修羅場だった。
水瀬と散歩していたところ、自称知人の佐々木紗季と出くわした。
別に僕が水瀬といること自体に問題はないはずだ。ただ、水瀬が佐々木を、佐々木が水瀬を、それこそ親の仇のごとく毛嫌いしていることが問題なのだった。
佐々木は、何故かは知らないけど、以前にカフェで遭遇してからやたらとメールを送ってくる。モーニングコールもある。さらには大学でもつきまとわれていて、正直頭痛の種だ。
問題はそれだけに尽きず、僕の携帯が鳴るたびに水瀬は不機嫌になる。彼女の機嫌のためと、僕の意思表示として、なるべく返事はしないでいるのだけれど、無駄な抵抗とかしていた。
そして現在、僕の隣りには水瀬がいて、目の前には佐々木がいる。適当に誤魔化して通り過ぎれば、面倒は避けられる。そう思ったけど、失敗。呼び止められために、お互いがお互いの存在を認識してしまった。
どうにか穏やかに、なんなら今すぐに逃げ帰りたいのだけれど、僕の腕を掴む佐々木の力は弱まる気配がない。
「あなたは、彼とどういう関係なんですか?」
「君に話す必要が見つからないのは、気のせいじゃあないよね」
棘をもって質問する佐々木に対して、毒をもって応える水瀬。
なんだこの不穏な空気は。見えないはずの火花が飛び散っているような気がする。
水瀬の応えを聞いて、佐々木は沈黙し鋭く睨む。
誰を、という疑問に答えるならば、事実に則って僕にとしか答えられない。何故だ。
空気に耐えきれず、胃が悲鳴を上げる。流石にこのままではマズイと思い、僕は事実を述べた。
「一緒に暮らしているんだよ」
まるで地雷原を全裸で突っ走るような、生死を分ける類の緊張が空気の構成物に加わり、次第にその勢力を増していく。
変化したものは、何も空気だけではない。水瀬は勝ち誇った表情を浮かべ、佐々木は苦渋な表情に顔を歪ませていた。
「……あなたは、恋人はいないと、以前に答えましたよね。どういうことですか?」
事実を事実として伝えて、はたして意味があるのだろうか。僕と水瀬の出会いは、ドラマチックでもロマンチックでもない。ただ、シニカルな出会いだったのだ。お互い理由も聞かず、詮索もせず、偶然を偶然として受け入れ、ここにいる。それだけの話である。だから、理由を訊かれても、意味を訊かれても、僕には答えられるはずがなかった。
「別に、理由なんてないよ。恋人じゃあない。ただ一緒に住んでいる。それだけ」
「ルームシェアリングということですか?」
「違う。僕の部屋に、彼女と二人で住んでいる」
言い切る。僕に取ってはそれだけで十分だった。
だけど、佐々木は納得がいかないらしい。別に納得してもらう必要はないけれど、段々と掴まれている腕が痛くなってきているので、早く諦めて欲しい。これ以上意味はないのだ。
「よく分かりません。が、ここは置いておきます。ではあなた方は、相手に恋人ができたらどうするつもりなのですか?」
質問。質問。質問。佐々木は質問が好きらしい。第一、さっきから僕と彼女の話ばかりである。余計なお世話だ。放っといて欲しい。
水瀬も同じ気持ちなのだろうか。いい加減、業を煮やしたらしい。彼女は僕を掴む佐々木の腕を乱暴に振り払った。
「さっきから私たちの話でしょう。あなたに踏み込まれる筋合いはない。いい加減どいてよ」
「それこそ、あなたに聞いているのではないのですから、関係ないでしょう。私が彼に何を言おうと、どうなろうと私の勝手なはずです」
佐々木は水瀬の言葉を、水瀬の存在を真っ向から否定した。
佐々木の言葉を聞いて、水瀬は憤激すると思っていたのだが、彼女は小さくため息を吐いて早足に去って行った。
「どこにいくの?」
水瀬を追おうとすると、僕は再び佐々木に腕を掴まれる。
振り返る。そこには、勝ち誇った笑みを浮かべ、だけどさっきよりもずっと真剣な眼差しを向けている、佐々木がいた。
どうやら、まだ終わっていないらしい。
「まだ、話は終わっていません」
「僕としてはもう終わっているんだけど」
「あなたにとって彼女は何ですか?」
「また質問か。別に君には関係ないよ」
「……私じゃ駄目なんですか」
「僕は君が苦手なんだ」
腕を振り払って、走る。振り返らない。あの小さな部屋には、僕と彼女しかいないのだ。いまさら、新しい人を招き入れるつもりはない。
十分ほど走ってたどり着いた場所は、寂れた公園だった。穴から出て、数ヶ月は経っているはずなのに、僕の掘った穴も、彼女が用意したロープも、変わらぬまま残されている。
僕は穴を覗き込む。中には、水瀬が座り込んでいた。
「何をしているの?」
「出られなくなっちゃった」
「ふうん」
「助けてあげようか?」
「お願いします」
「どうしよかっな」
「えー! 助けてくださいよう」
「……そこは驚くんだ」
「だって自力じゃ出られないし」
「お願いがあるんだけど、聞いてくれたら助けてあげるよ」
「いいよ」
「内容は聞かないんだ」
「どっちみち出られないからね」
「そうだね。はいロープ」
「ありがとう」
「じゃあ、お願いなんだけど」
「うん」
「帰ろう。お腹空いたからご飯作って」
「……甘えん坊ですねぇ。いいよ。帰ろう」
呆気に取られてから、可愛らしく笑い出す水瀬。彼女が何を思ってあの場から去ったのかは、残念ながら僕には分からない。だけど、今はいい。
僕は、彼女と再び出会う。
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