3.浮かされて

 重い。重い。頭が重い。

 身体が重い。意識が重い。関節が痛む。寒い。寒い。汗が止まらない。寒い。目を覚ます。寒い。痛い。熱い。涙が零れる。重い。辺りを見渡す。痛い。重い。熱い。寒い。彼女が、僕へと駆け寄る。熱い。痛い。身体が思うように動かない。寒い。寒い。彼女に声をかけようとした。痛い。喉が痛い。声が出ない。熱い。うめき声が出た。痛い。彼女の声と。痛い。熱い。苦しい。重なる。寒い。彼女は焦っている。寒い。痛い。音が消えていく。熱い。寒い。そうして。重い。意識が沈み込み。痛い。瞼は。熱い。落ちて。苦しい。僕は、再び眠る。



 再び目を覚ましたとき、幾分か体はマシになっていた。ただ、ここは僕の部屋じゃない。白い天井。ベッドを囲むカーテン。白い壁。なにが起こっているのだろうか。

 身体が思うように動かない。首を動かして、周囲を確認。点滴。酸素マスク。僕は病院にいた。

 事態を把握したそのとき、カーテンが開かれる。水瀬かと思ったが、予想に反してそこに立っていたのは若い女性の看護師だった。

「ああ、よかった。目を覚ましたね。ちょっと待ってください」

 安堵の表情を浮かべて、看護師は立ち去った。今の言い草だと、すぐに戻ってきてくれるのだろう。カーテンは開けっ放しだった。

 自分に何が起きたのかわからない。重たくて思うようには動かないけど、五体満足。声を出そうとしたら、うめき声しか上がらない。眼は見える。音も聞こえる。どうにか生きてはいた。

 看護師さんが、医者と思われる中年の男性を連れて戻ってきた。医者は僕の状態を見て、頷き、説明を始める。

「意識は戻りましたね。一時はどうなるかと思いました。あなたは運がよかった。彼女さんが救急車を呼んでくれなければ危ないところでした」

「…………」

 彼女ではない、と否定しようと試みて、やっぱり声は出ないことを実感。

 医者はそんな僕を見て、何を勘違いしたのか納得したような表情を浮かべ、説明を続ける。

「えーっと、一応診断結果ですけど、肺炎ですね。ここの所、風邪を引いてはいませんでしたか? まあ、取り敢えず一週間程、入院していただきます」

 そのあとも少し説明は続いたけど、寝起きの頭では上手く理解できず、適当に相づちを打っていたら、医者は区切りのいいところで看護師を連れて帰って行った。

 ひとつ分かったことは、どうやら、喉の炎症が酷くて声が出ないらしい。初めての入院で、まさか意思の疎通ができないとは。少しだけ不安になる。

 枕元に置いてあった携帯電話を確認。どうやら僕は丸一日寝続けていたらしい。ちなみに熱も四十度近くまで上がったのだとか。

 疲れた。腕を動かすだけで、もう限界だった。もう一度寝よう。意識は落ちていく。

 物音で目が覚める。彼女がいた。沈黙。声が出ないのだから、どうしようもなかった。

 枕元に置いてある携帯を取ろうとして、僕の右手は彼女に握られていることに気づく。そして彼女も僕が目覚めたことに気づいたようだ。

「やっとお目覚めですか、お姫様。きっと私のキスが効いたのね」

 彼女の手を離し、携帯を探しだしメール機能を起動する。

 普段全く使わない機能に四苦八苦しながら、何とか質問を書き上げて、彼女の目の前へと掲げる。

「ん、何々……やだなぁ、嘘ですよぅ。だって酸素マスクしてるじゃん君」

 言って、彼女は笑った。

 一杯食わされた。悔しいと思う。だけど、命の恩人なわけで、大目にみよう。

 そんな僕を尻目に、彼女は優しく僕の頭を撫でる。部屋に泊まりだしてから、初めて見る表情だった。

「でもよかった。ほんとに心配したよ。凄く心配した。起きたら君が倒れてるんだもん。……でもほら、居候がいてよかったでしょ?」

 彼女は撫でながら、眼に涙を浮かべていた。

 心配、してくれていたらしい。初めてのことだから、どう応えたらいいのか分からない。

 戸惑いつつも、携帯を操作する。何と言っていいか。どうにかこうにか、できあがった文面は中々こっぱずかしいものになっていた。

 画面を隠す。どうにも見せてしまっては、きっと彼女にからかわれることは確実だったからだ。

 彼女は、僕が悩みながら書いている間、静かに待っていた。だけど、携帯を隠そうとしたとき、腕を掴まれた。

「何で隠すのかなあ。駄目だよ。せっかく書いてくれたんだから見せてくれないと」

 反論したいけど、できない。反論するには、携帯を使わないといけない。携帯を使うには、画面を開かないといけない。恐らく開いた瞬間に、携帯は攫われてしまう。打つ手なしだった。

 諦めて携帯を彼女に渡す。

「諦めた。よしよし、いい心掛けだぞ。ふむふむ……。ねえ」

 携帯に映し出された文面を読み終えて、彼女は僕に画面を見せながら、にやけ顏を隠さずに尋ねてくる。

「ここに書いてあることは本音かな?」

 目を逸らす。答えない。でもきっと、彼女は僕が答えなくてもわかっているはずだ。失敗した。熱で頭がやられているらしい。どうして僕は、軽々しくあんなことを書いてしまったのだろう。

 彼女は憎たらしい笑みを浮かべ、言葉を続ける。

「へへへ、照れたぁ。助けた甲斐がありました」

 僕は生まれて初めて、助けられた。彼女が泊まり出してから、初めてなことばかりだ。でも、まだまだ素直にはなれないしなりたくない。この生活に慣れることすら、抵抗がある。

 彼女のからかいを無視する。きっとしばらく、彼女の顔を直視しないだろう。

 僕は沈黙する以外、どうにもできなかった。

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