第1話(緩やかに閉じる網膜の上の小休止)

高らかなチャイムの音が、本校の一日が終了した事実を屋上まで運んでくる。

楽しい放課後タイムが終わった、とっとと帰れというわけだ。

しかしその音を聞いて、即座に立ち上がる殊勝な高校二年生は、この場に存在しなかった。


「あーだりぃ・・・今すぐありったけのおっぱいとお尻を体育館に詰めて揉みくちゃにされてえ・・・」


明るい髪色とピアスとアホな発言をするのは、近藤だ。

発想が気持ち悪い。

とても一流大学に受かるべく、難関な英語の試験に挑戦中の、計算高い男とは思えない発言である。


隣で黒く艶のあるセミロングヘアをなびかせ、頬を膨らませているのが吉野。

その整った容姿と品のある佇まいで、男子生徒からかなりの人気を誇る。


「彼女の隣でふつう、そんな発言するかなー?」


なんと、アホの近藤の彼女だ。

何がきっかけでどちらが告白してカップルになったかはわからない。

これまで何人もの男子生徒が鬼の顔で近藤に詰め寄ったが、馴れ初めについてはのらりくらりとかわされてしまうそうだ。


才色兼備という名をほしいままにする彼女が、なぜ近藤の彼女なのか。

そろそろ新しい学園七不思議が生まれてしまうかもしれない。


「近藤、もうすぐ英語の試験なんじゃないか?その調子だと諦めたのか―?」


ガッハッハと豪快に笑うのは、ガッシリとした体格の大男だ。

おそらく190cmは優に超えているだろう。

名は体を表すとはよく言ったもので、その名も大山という。


「諦めてるわけねーし!でもこう・・・テンション上がるような目標とか、ほしいわけよ!じゃないとあと1ヶ月も勉強がんばれねー!」


近藤が手入れの行き届いた茶髪をかきむしり、大げさに天を仰ぐ。

「あと1ヶ月しか」勉強できない、が正解だと思うが。


「じゃあさ!近藤くんの試験が終わったら、みんなで東京行こうよ!ちょっと遠いけど、1日で往復できる距離だし」

「おっ!いいな!今度こそ両国国技館を生で見たいと思っとった!」

「そんなムサ苦しいとこ行かねーよ!やっぱ渋谷・原宿・六本木・池袋、の山手線四天王めぐりっしょ!」


六本木は山手線の駅ではない、とすかさずツッコミをいれる。


アホなのか実は頭がいいのかつかめない近藤、体育会系の大山、紅一点の吉野。

そして唯一の趣味と言えばネトゲ、くらいの僕。

どこの高校にもいそうで、ほんの少しだけ光るものがある、ただそれだけの4人組。

放課後はいつも屋上に集まって、あの先生はムカつく、進路どうしよう、とにかく女がほしいとか、ありふれた青春トークに花を咲かせる。


どんなに平凡で退屈な日常だとしても、僕にとってこの時間は、かけがえのないだった。

だから僕は僕が考えていることを、彼らに聞こえないようにそっと謝った。


今この瞬間も、みんなをロボットとみなし、つぶさに観察して過ごしていることを。


「きどってんじゃねーよ!」


近藤が、僕の脇腹に肘鉄を食らわせる。

ツッコミに対するツッコミにしては、尖すぎる痛みが走った。



屋上から地上に降り立った僕たち4人は、明日がすぐやってくるにもかかわらず、場所をゲームセンターに移してさらに時間を浪費していた。

大山がまた、試験勉強に勤しむ気のない近藤をからかっている。

吉野は帰りが遅くなると危ないから、という健全な理由で先に帰宅した。


僕たちが今いる場所は、娘思いの親なら早く帰宅するよう促すような、そんな場所だった。

ゲームセンターのほかに、映画館、カラオケ、それにボウリングやネットカフェも完備した、まさに若者のために完成された歓楽街。

遊ぶ場所が多いため、当然人の出入りはここ一帯では群を抜いて多い。

人の出入りが多いということは、自然と素行がいいとは言えない若者も集う、そしてやたら行き止まりの道が多い歓楽街だ。

身勝手な意見だが、夜遅くまでこの街で遊ぶ人たちとは仲良くなれそうな気がしない。


ただ、そんな歓楽街で遊んでいても「男子だから」という理由で、少々遅くなることを許されるのが、僕たち3人だ。


「大山のかーちゃんって看護師のボスやってんだろー?エロいナース服のおねえさん紹介してくれよ―」

「だからうちのかーちゃんが担当してんのは、そういう健全?な科じゃないんだって」

「不健全な科ってなんだ?!俄然燃えてきたー!」


目の前にはお笑い芸人のように、夢中でボケとツッコミを繰り返す近藤と大山。

そのやりとりを冷ややかな目で見つめる、僕。


気温も街の明かりも徐々に薄ら寒く火照り、夜の顔に変わっていく。

環境の変化に習い、僕は思考をゆっくり昨晩の自分のもとへ、落とした。


僕が掲げるのは「自分以外の人間はすべて意思を持たないロボットである」という説。

突拍子もなく、実に青臭い説だが、この旗を下ろすにはいかない。

下ろしてしまえば、そもそも僕の暇つぶしも兼ねた思考の旅が始まらないし、第一面白くない。

説を打ち立てた今、後は仮説を真実にするべく、調査と実験を繰り返すだけの話だ。


しかし、唯一にして最大の問題点が大きな壁となって思考の行く手を阻む。

実際の調査と実験方法について、皆目検討がついていない有様なのである。

昨晩、ネットゲームを早々に切り上げて随分と考えたものだが、結局有効だと言い切れる案はひとつも浮かばなかった。


他人の心が読めない以上、最も簡単な方法は「あなたはロボットですか?」と片っ端から問い続けることだろう。

ただし、これで「はい、そうです」とあっけらかんと認められてしまう確率はゼロと断言できる。

理由は簡単だ。


僕の仮説が正しいとすれば。

僕は世界中に敷き詰められた76億のロボットの中、ひとり自分の意志で呼吸をしていることになる。

そんな状況を生み出せるのは、この世界を創造した神に等しい存在だろう。断言する。


なんと言っても、40日間世界中に洪水をもたらし、すべての生を洗い流してしまうほどの相手だ。

バカ正直に「あなたはロボットですか?」と問うても、対・頭のネジが外れた人間専用の答えを返してくるだろう。

調査のひとつにおいても、限りなく柔軟で芯のある発想が必要になるはず。


さらに深く深く、思考の海へ潜っていこうとしたところで、突如右耳の鼓膜がビリビリと痺れた。


「おーらっ!もう遅くなってきたから帰っぞー!!」


大山は体や苗字だけに留まらず、声も異常にデカかった。


僕らは脱ぎ散らかしていたカーディガンを拾って、ゲームセンターを後にした。

外は空気が冷たく、まさしく夜に差し掛かろうとしているところだ。

大山の言うとおり、この空模様は僕らにとっての帰宅時間を意味している。


「んじゃまたなー!あ、明日ラーメン食いに行こうぜ!」

「はいはい、お前が勉強しなくても英語ペラペラになれるよう祈っとくぜ」

「その話はやめてください、訴訟も辞さないですよ」


まだまだ解散!とはいきそうもない漫才コンビに、ヒラヒラと手を振る。

思考へのダイヴは、家に帰るまでお預けだな。

ひとりだけ帰り道が正反対の僕は、二人に背を向け、さらなる雑踏に切り込んでいく。

むせ返るような群衆の臭いに圧倒されていると、くたびれたスーツを身に着けた中年男とすれ違った。


―――え?


僕は歩みこそすれど、振り返ってその男から目を離すことを止められない。

理由は、似合ってもいない明るいベージュ色のスーツのせいではなく、それが嫌でも忘れられない顔だったからだ。

幸いにも、向こうは僕の存在に気づいていない。


中年男は脇目も振らずに、僕たちが出てきたゲームセンターのすぐ横にある雑居ビルに吸い込まれていった。

とっさに雑居ビルの看板に目をやる。

ネットカフェと、あとは「おっぱい」「女子校生」といった、いかにも近藤が好みそうなピンク色の看板ばかり連なっていた。


心臓がドクン、と大きく跳ねる。

決して誇張表現ではない。


本来いるはずのない人間が、ここに、いる。

会社で歯車となっているはずの人間が、歓楽街の歓楽を形容する雑居ビルの中に、いる。


心音が加速していく。

その激しいBPMはまるでタップダンスのようで、今にも体が動き出しそうだ。

もしかするとこの違和感こそが、僕の求めていたものかもしれないよ。


―――父さん

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