第三話 伝説のヒモ男先輩

 黄色い布がねじれてできた、電子風に揺れる一本のヒモ。

 それが、その人のアバターだった。


「ミツグ……だったっけ? その、イエローの女? 聞いてる限り、まるで難攻不落だ。えへへ、そういう悪女ってのはね、案外絡め手に弱い」


 いや、別に悪女ではないのだけれど。


「俺はヒモとして、これまで四十年近く生きてきた。すべてのヒモは俺に通じる。ヒモになりたいなら、まずは学べ」


 いやいや。

 ヒモになりたいわけではない。

 困惑していると、リボ払い先輩が教えてくれる。

 このヒモのアバターを持つ男性は、VRサロンでは伝説的な人物で、自分では一切収入を得ることなく、女性のヒモとして割と本気で四十年も生存しているらしい。

 女性を落とす手練手管にかけては、他の追随を許さない、とか。


 そのヒモ男──ヒモ男先輩が、続ける。


「高嶺の花を落とすには、上手に甘えることだ。母性をくすぐる。なにかを与えようなんて思っちゃダメ。貰うの、こっちが」


 すみません。

 全く話が通じていないようなのですが……?


「いいからいいから。試してみなって……それで、甘えている間にそれとなく好きなものなんかを聞き出すんだ。やれといわれたことは全部やる。全部聞く。犬みたいにさ、わんわんって。記念日とかを作って、プレゼントを外さずに渡す。あとは養ってもらえばいい」


 いや、あの。

 だから別に、養ってもらいたいわけでは──


 と、そこまで考えて。

 ぼくはひとつのことに気が付いた。

 そういえばあのひと──毎日銀行にやってきていたような……?

 記念日と、ヒモ男先輩は言ったけれど。

 もしかして、もしかするのか?


「ありがとうございます、皆さん。大変参考になりました。また、質問させていただこうと思います」


 そんな風に書き込むと、リボ払い先輩と伝説のヒモ男先輩が、頑張れといわん感じでサムズアップの絵文字を送信してくれる。

 ぼくはなんとか期待に応えるべく、いったんVRサロンから離脱して──


§§


 翌日、あのひとはやっぱり銀行にやってきていた。

 ただ、あっちにうろうろ、こっちにうろうろ。

 ぼくの前を行ったり来たりするだけで、口座の取り扱いや支払いなどはなにもしない。

 その表情はうまく読み取れないけれど、なんだか困っているようにも思えた。

 結局、彼女はそのまま閉店時間までそこにいて、心なししょんぼりした様子で立ち去って行った。

 同僚たちは誰も、彼女に声をかけない。

 マニュアル的に、仕方がない。


 ぼくはこの日も、VRサロンへと潜った。

 そうして居合わせたヒモ男先輩に、事情を報告する。


「じつは、今日こんなことがありまして……」

「へー……なるほどねぇー」


 話を聞き終えると、ヒモ男先輩は顎を撫でるように全身をくねらせ、


「結局、そのひとは何が欲しくて、おまえは何が渡したいんだ?」


 と、言った。


「わかんねぇかもしれないが、人間てのは交流して社会を生きてる。しっかり働けばそれに見合った報酬がもらえて、寝て食ってるだけなら財産を消耗する。誰かを殴って金を奪えば、奪った分だけポリ公から懲役という形で時間と立場を奪われる。そういう形で、ぐるぐる回ってるのさ、広い世の中は」

「世の中……」

「俺だって、最近は援助してもらえないで飢えそうになってる。急にだよ。明日なんて誕生日だぜ? まあ、それはそれとして……で、おまえはどうなんだ?」

「どう、とは?」

「だーかーらー、それで、だよ」


 ヒモ男先輩は、こまかに体を震わせた。

 笑ったのかもしれない。


「おまえさんは、なにを考えているんだ……?」

「────」


 ハッとした。

 つまり、彼はこう言っているのだった。

 ぼくは、なにをしたいのかと──


「ぼくは……」

「何をしたくて、何ができるのか。そこを見定めなきゃ、ヒモにはなれない」

「ヒモになりたいわけじゃなくて」

「そうだろうなぁ、だっておまえ──ミツグくんだもん」

「────」


 それが、たぶん答えだった。

 ヒモ男先輩は、とても大事なことを教えてくれたのだ。

 ぼくが、

 ありがとうございますと、ぼくはヒモ男先輩に深々と頭を下げる。


「まあ……達者でやれよ、ミツグくん。ヒモの俺が言うのもなんだが……女のATMになるのは、たぶん悪くないぜ?」


 彼のそんな言葉に背中を押されて。

 ぼくは、現実世界へと立ち戻る。

 そして──

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