第二話 ハンドルネームはミツグくん
電子掲示板に書き込みをするのは初めてだった。
3Dなキャラクターを使ってチャットなどを楽しむサービス、VRサロンの副次的な機能が、この電子掲示板だ。
ぼくは適当なアバターをでっちあげ、さっそくログインする。
青いスクエアが描かれた、真っ白な服を着た少年のアバターだ。
ウユニ塩湖の様な、空が湖に鑑写しとなった、あからさまなVR空間。
そこにアクセスしたぼくは、アバターの右手にあるタッチパネルを操作して、スレッドを3D空間に投射する。
スレッドの名前は、
【急募】名前も知らない彼女にお礼をする方法【助けて】
というシンプルなものだ。
そのまま、1コメとして書き込みを始める。
「助けてほしいことがある」
ぼくの頭上でポップアップするコメント。
反応はすぐにあった。
クラゲのようなアバターが、すぐ近くにやってきていた。
2コメさんだ。
「詳しい話を聞こう」
ぼくは1コメとして、簡単な状況を説明する。
「じつは最近傷害事件に遭遇して、そこを名前も知らないきれいな女性に助けられました。なんとかお礼をしたいと思っているのですが、どうしたらいいでしょうか?」
しばらくすると、幾つかのアバターが集まってきて、ぽつぽつと返答がくる。
「リア充爆発しろ」
「メシマズ」
「釣りですね、わかります」
……さすがに、この辺の反応は予測済みだ。初めて電子掲示板を使うとはいえ、テンプレートぐらいは勉強してきている。
「どんな女性?」
「ほんとに名前とかわからないの? なんか特徴は?」
「1コメはなんかコテハンつけろ」
アバターたちの頭の上に、次々とポップアップするコメント。
ぼくは順番に答えていく。
「ぼくと同い年ぐらいの、和服が似合うお淑やかなひとです。名前はわかりません。黄色いハンカチを持っていました。コテハンって何でしょう?」
このあたりで、いったん流れがぴったりと止まった。
不安に思いながら待っていると、アバターの数と書き込みが、爆発的に増えた。
どうやら、住民たちのゴールデンタイムに差し掛かったらしい。
「イエローの女とよぼう」
「1コメのスペックは?」
「ぶっちゃけその女とどうなりたいの?」
「コテハンていうのは固定ハンドルネームの略で識別コードみたいなもん」
「1さんは彼女とかいる?」
ちょっと処理しきれないぐらい大量のコメントが書き込まれてしまった。
とにかく大事なことに優先して答えなければ……
そう考えて、ぼくは書き込みを続ける。
「えっと、たしかにこのままだとわかりにくいですね……コテハンは……」
「女に貢ぎたいんだからミツグくんでいいんじゃね?」
ああ、それはわかりやすい。
これからは、そう名乗ろう。
「じゃあ、ぼくミツグは……お礼がしたいんです。ぼくは口下手なので、できれば何か、形があるもので。名前は本当にわからなくて──」
そう告げた瞬間だった。
「どうやら、私の出番のようですね」
頭に〝リボ払い〟と書かれたアバターが、割って入ってきたのである。
§§
コテハン──固定のハンドルネームがどのように表示されるのか、ぼくが初めて認識したのがこの瞬間だった。
青い階段のようなアバター。
このひとのことを、ぼくは以降、リボ払い先輩と呼ぶことになる。
そのリボ払い先輩が、言うには、
「私もね、これまでたくさんの女性に贈り物をしてきたが……形あるものなら、花はやめておけ。女性は花を贈られれば喜ぶみたいなの、嘘だぞ。あれは好感度に比例するだけだ」
とのこと。
なるほど、花はダメと。
「リボ払いさん……いえ、リボ払い先輩。では、なにがいいでしょうか」
「その女性が喜ぶものが一番だが……鉄板はスイーツだ。限定もののスイーツで胃袋をつかめ。スイーツオンユアハンド。内臓が弱いのは男女とも同じだよ、ミツグくん」
「なるほど」
「できれば様子を見て連続で贈り物をしろ。もっとも……出費がかさむと、私のようにリボ払いに困窮することになるが……まあ、いまは銀行で直接借りてもいい。貸し付け審査にAIが導入された結果、かなり判定ががばがばになってるからな。私もそうしておけばよかった……」
どうやらリボ払い先輩は、結構な額をクレカで支払っているらしい。
世界的なAIの進出が、なんかよくわからないところで波及しているようだ。
そうこうしていると、また違うアバターがぼくへと近づいてきた。
「押し倒せ……!」
ハイエースのアバターを持つその人は、クラクションを鳴らしながらそう喚いた。
「男女の仲を進展させるなら、これが一番だ!」
「そうだ! 壁ドンしよう!」
「おしてもダメなら押し倒せ……!」
いくつかの年齢制限がかかりそうな外見のアバターたちが、一斉にコメントをポップアップさせる。
うーん。
それは、難しいんじゃないかなぁ……
「凛とした女性でしたから。ちょっと無理だと思います」
「そういう女性ほどおしに弱い!」
いや、そういうことではなく。
「ぼくは彼女にお礼をしたくて、援助したいだけで」
「円光かよ」
「メシマズ」
「これだからミツグくんは」
やいのやいのと掲示板が騒がしくなった、そのときだった。
「プレゼントとか、押し倒すとか、それは自我を通してるだけで……なんの役にも、立たないんだなぁ」
渋い色合いのアバターが、そう発言した。
それまでバカ騒ぎをしていたすべてのユーザーたちが、示し合わせたように沈黙する。
電子の風を纏って現れた、その人物のアバターを見て。
「絶対的な一線を引いて、それ以上踏み込まない……それが、高嶺の花を落とすための、やり方なんだよねぇ」
誰かがそのひとを、こう呼んだ。
そう──
「伝説のヒモ男」──と。
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