ATM ~アナタのタメにミツギます~

雪車町地蔵

第一話 ウイルスよりも恋の病

 世の中には、ATMと呼ばれる人種がいる。


 アッシー、メッシーと並んでその来歴は旧く、遥か昔の春愁バブル時代には一億五千万人も存在したとされる。

 さえない、ぱっとしない、ありえないと三重苦で、お金以外にとりえがないところがじつにストロングゼロ。虚無の酒。

 女性のために、金銭を供出することだけが喜びの、困ったちゃん。


 もちろんそんな人物を主役に据えるなんて、狂気の沙汰ではあるのだけれど。

 何事も、例外というものがあってしまうわけで。


 物語は、そんなATMが。

 一人の女性と出会うところから始まる。


§§


 ありていに言えば、その女性はピンチだった。

 周囲には覆面をかぶった、むくつけき黒服たち。

 場所は銀行で、黒服は銀行強盗たち。

 女性はたまたまそこに居合わせただけで、なんの瑕疵もなかったといっていいだろう。

 そう、強盗たちに説教をかますまでは。


「金を出せ! はやくしないと、むりやり奪っちまうぞ!」


 黒服が〝ぼく〟へとすごむ。

 その手にはバールのようなものが握られていて、あれで殴られたらカチ割られてしまうのは間違いない。


「おっと、下手に通報なんてするなよ! ぶっ殺すぞ?」


 そういって強盗は、ぼくの顔をぐりぐりと無遠慮にもみくちゃにする。

 この銀行に勤めて結構になるけれど、ここまでされて、はたして忠義を果たす必要があるだろうか?

 もう一週間もすれば、ぼくはここを退職することになっている。

 素直に金を渡してしまったほうが、あとくされなくていいんじゃないか。

 危険からは、できれば遠ざかりたいし。


 そんな、とても倫理にもとるようなことを、ぼくは考えていた。

 自分の保身ばかりを、考えていた。

 だからだろう。

 その女性ひとが声を上げた時、全身に電流が走ったような気分に陥った。


「恥ずかしくないんですか、あなたがた……?」

「あ? なんだてめぇー!」

「てめぇーではありません。そんなことより、ひとさまの金銭を奪うなんて、恥ずかしくはないのですか?」


 ぴしゃりと正論を口にしたのは、ぼくと同い年ぐらいの女性だった。

 髪の毛はお団子にまとめていて、品のいい和服を着こんでいる。

 背丈は小柄で、スレンダー。

 色気の残る泣きホクロ。

 穏やかそうな瞳には、いま苛烈な炎が燃えていた。


「たくさんのひとが汗水たらして稼いだお金、ブラック企業で命を削って稼いだ預金を強奪しようなんて、恥を知りなさい! そんなことが許されるのは、愛し合っている者たちだけです。あなたたちに、愛がありますか……!」

「愛? よりにもよって愛だと……? このアマ……痛い目を見ないと、わからねーようだな!」


 余りの舌鋒の鋭さに激情した強盗のひとりが、バールを振り上げる。

 それを見て、ぼくは。


 ぼくは、自分の保身も忘れて、咄嗟に警報を鳴らしていた。


 ジリリリリリリリリ……!


 鳴り響く警報。

 警察へと直通の非常ベル。

 三分以内にポリスカーが飛んでくることは、今どき誰にだって周知の事実で。


「……!? ク、クソがぁッ! 野郎ども、ずらかるぞ!」


 だから強盗たちは、血相を変えて逃げ出していった。

 すると、さっきまで気丈にふるまっていたあのひとが、へなへなとその場に崩れ落ちてしまう。

 大丈夫ですかと声をかけると、


「ありがとうございます……助かりました。本当はとても怖くって」


 当たり前だ。

 暴力が怖くない人間なんていない。

 ぼくは、この女性が本当に優しく、強いひとなのだと認識した。

 怒気で乱れた頭髪を整えた彼女は、ゆっくり立ち上がると、そっとぼくに触れて、


「お礼……こんなことしかできないですけど」


 そういって、黄色いハンカチで、汚れたぼくの顔を拭いてくれた。

 気持ちが悪いあの男の指紋が、ぬぐわれる。


 ……思えばこの時。

 ぼくはそういう病にかかったのだと思う。

 どんなウイルスよりも質の悪い──


 恋の、病に。


『名前も知らない彼女にお礼をする方法、募集!』


 ぼくがとある電子掲示板に、そんな助けを求めたのはわずか二日後のことだった。

 かくして、彼女にお礼をするための。

 ぼくの奮闘劇が、幕を開けた。

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